盛泉寺 守口市浜町1丁目2-6
元和5年(1619年)水野重仲が遠州浜松城より新宮城へ国替に当たり浜松普法山善照寺別院住職尊海を同伴し、当寺を建立。遠州浜松の地名をとり遠松山浄泉寺と名付けられた。城主水野家より代々菩提寺同等の待遇が与えられていた。今も水野重仲及び水野重期等の位牌が祠られている。本堂屋根の正面に城主水野家の家紋が付けられているのもその為である。浄泉寺12代住職に幸徳事件(大逆事件)の被告の一人として知られる高木顕明がいる。
山門
銀杏木
銀杏木
難宗寺 守口市竜田通1丁目5−2
真宗八代目の蓮如上人は越前の吉崎御坊を退去後、山科本願寺へ移るまでの3年間を枚方の光善寺で過ごしましたが、淀川を利用してここに立寄ったことで真宗に改宗したのが始まり。東海道沿いにある真宗寺院の内、西にある難宗寺を守口西御坊、東側の盛泉寺を守口東御坊と呼ぶ習わしです。