楽心館合気道で女子力 up アップ

Lizが記載します。
女性が、より美しく・やさしく・前向きに生きる為には、どうしたら良いか。考えます。

新渡戸 稲造『武士道』③の1「義理」

2014年03月05日 07時52分05秒 | 歴史を紡ぐ
新渡戸 稲造『武士道』③の1「義理」


1.「正義の道理」が私たちを命ずる

 ・「義理」は、文字通り「正義の道理」の意味である。
 ・もともとは、あくまで単純な義務を指していた。
 ・たとえば、親に対する行為においては愛情が唯一の動機である。
 
 ・だが万が一、愛情をもてなくなったときには、頼りになるのは人の理性である。
 ・その理性は、直ちに人に正しく行動することを訴える。
 ・義務が負担になった瞬間でも「正義の道理」が私たちにそれを命令するからである。

 ・義理をこのように理解すれば、それは厳しい監督者となって鞭を手にし、怠け者になすべきことを実行させる。


2.義理は道徳的には第二義的な力である

 ・義理が人間社会をつくりあげた産物。

 ・人は偶然うまれた事実によって階級社会をつくり、その社会的単位は家族である。
 ・そこでは才能の優劣より年齢が重視される。
 ・いわば義理は、自然な愛情が人間のつくった恣意的な習慣にしばしば屈服させられるような、そんな社会的条件
  の中にある。

 ・そのために義理は時を経るうちに曖昧になり、堕落した。

 ・たとえば、なぜ母親は長子を救うために、必要とあれば他のすべての子どもを犠牲にしなければならないのか。
 ・なぜ娘は父親の遊興の費用を払うために、わが身を売らねばならないのか といった状況においてである。
 ・「義理」は「正義の道理」として出発したにもかかわらず、しばしば詭弁のために用いられ、非難されることを怖れる
  臆病にまで堕ちてしまったのだ。


 ・もし武士道が明確な正しい勇気と、悠然と耐えうる精神力をもっていなかったとすれば、義理は即座に卑怯者の
  詭弁となっていただろう。

なんでNHKに、そんなに税金使うの?

2013年08月27日 04時22分24秒 | 女子力 女子会 twitter ツイッター

これ何??50億円IPS細胞山中教授の4年間予算
127億円はやぶさの本体開発費
170億円皇室の予算
501億円3年間の政権民主党政党助成金
1200億円在日外国人の生活保護費
3000億円沖縄振興予算
6724億円NHKの予算
2兆5000億円1997年IMF経由の韓国支援

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新渡戸 稲造『武士道』 ③「義」

2013年08月24日 17時54分07秒 | 歴史を紡ぐ
新渡戸 稲造『武士道』③「義」


様々な方が、新渡戸 稲造『武士道』についてまとめている。
それぞれ、表現は違うけれど意味は一緒だと私は思う。

それを、今の私なりに以下へまとめ記した。


1.武士道は、目に見えない心の掟
 ・個々の武士が、家庭教育で「武士の子ならこういった生き方をしなさい。」としつけられたものの総体が武士道。
 ・それゆえ、サムライひとりひとりが自分なりの武士道をもっている。

 ・武士道とは一言で言えば、武士階級の「高い身分に伴う義務」
 ・武士が守るべきものとして要求され、あるいは教育を受ける道徳的徳目の作法である。
 
 ・それは、成文法ではない。
 ・せいぜい、口伝によるか著名な武士や家臣の筆になるいくつかの格言によって成り立っている。
 ・ときには語られず、書かれることもない作法。
 ・それだけに実際の行動にあたっては、ますます強力な拘束力を持ち、人びとの心に刻み込まれた掟である。
 
 ・これが、「武士道」の重要な性質のひとつ。
 ・書かれない・語られない、心の中にある掟だからこそ、強く長い拘束力を持ち続けている。

 ・人間にとって本当に大切なことは、あえて書かれなくとも、言われなくとも、心の中に存在する。
 ・こうしたメンタリティは、日本人にとってごく自然に理解できることである。


2.武士の戒めで、最も厳格な掟 「義」
 『・義は武士の掟 中最も厳格なる教訓である。
  ・武士にとりて卑劣なる行動、曲がりたる振る舞いほど忌むべきものはない。』
 『・義の観念は、誤謬であるかも知れない、狭隘であるかもしれない。』
 ⇓
 ・卑劣で陰険な行為を憎む心から生まれるのが「義」であり、それは武士の最上位概念にあると説いている。
 ・また、この「義」の観念は間違っているかも知れないし、おそらく概念としては狭すぎるであろうと。

 ・あらゆる学問や芸術を究めることよりも、ずっと大切なこと。
 ・それが「義」なのである。
 ・現代に照らしてみても、それは決して不自然な価値観とは思われない。
 ・勉強ができることよりも、正々堂々と生きることを潔しとする考え方は多くの日本人が受け入られるものだろう。


3.或る著名の武士〔林子平〕
 ・これを定義して決断力となした。
 曰く
 『・義は、勇の相手にて裁断の心なり。
  ・道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。
  ・死するべき場合に死し、討つべき場合に討つことなり。』


4.また、或る者〔真木和泉〕
 曰く
 『・節義は、例えていわば人の体にある骨がるごとし。
  ・骨なければ首も正しく上にあることを得ず。
  ・手も動くを得ず。
  ・されば人は才能ありとても、学問ありとても節義なければ世に立つことを得ず。
  ・節義あれば、不骨不調法にても士たるだけのこと欠かぬなり』


次回は、「義理」について記したい。

新渡戸 稲造『武士道』 ②の1儒学「五常」

2013年08月18日 00時07分41秒 | 歴史を紡ぐ
新渡戸 稲造『武士道』②の1儒学「五常」


今回は、武士道の骨格 儒学の『五常』について、今の私なりに調べまとめた。
此処に記したい。


人が常に守るべき五つの道徳(五常)
仁・義・礼・智・信


・仁とは、人間が守るべき理想の姿である。
・自分の生きている役割を理解し、自分を愛すること、そして身近な人間を愛し、ひいては広く人を愛することである。
・単純に情け深いのではなく、(単なる同情ではなく)自分には厳しく周囲には寛容に、かつ正義に基づいた慈悲を持って
 接することが大切である。


・義とは、人の歩んでいく正しい道のこと。
・義をおろそかにすることは、道を踏み外すことになる。
・仁を実践する基本として、義を貫くことが必要である。
・本当に人を愛し思いやる生き方は、勇気を持って正義を貫いてこそ成り立つ。


・人の世に秩序を与える礼儀礼節は、仁を実践する上で大切なことである
・礼は、親や目上の人に礼儀を尽くすこと、自分を謙遜し、相手に敬意をもって接すること。
・節は、場合に応じて自分を律し、節度を持って行動すること。


・智とは、人や物事の善悪を正しく判断する知恵である。
・さまざまな経験を積むうちに培った知識は、やがて変容を遂げる。そして、智となって正しい判断を支える。
・より智を高める為には、偏りのない考え方や、物事との接し方に基づいた知識を蓄えることが必要である。
・儒教では、「中庸」といって、よいバランスを保って生きることが大切とされている。


・信とは、心と言葉・行いが一致し、嘘がないことで得られる信頼である。
・嘘のために一度損なわれた信頼を、取り戻すことは難しいことである。
・たとえ、仁なる生き方を実践していても、人に信頼されないことには社会で生きてはいけない。
・信頼は、全ての徳を支えるほどに大切である。

以上。


次回、新渡戸 稲造『武士道』③にて、武士道を「義」・「勇」・「仁」・「礼」・「誠」・「名誉」・「忠義」
などの語から明らかにしようとした思想的背景とは、どのようなものだったのか。
調べまとめ、記したいと思う。

暮らしの文化 ① 日本の伝統色に『桔梗色』がある。

2013年06月22日 16時24分39秒 | 歴史を紡ぐ
暮らしの文化 ①


相変わらず、私は折り紙を折っている。
遊ぶ折り紙(紙ひこうき・はばたく鳥・羽が動く鳥)だけでは飽き足らず、
飾る折り紙などの折り方が書かれている本やネットで探し、実際に折っている。

例えば、飾る折り紙は「端午の節句」こどもの日に飾る『兜・菖蒲』だ。

先人たちは自然の様々な現象に調和を見出し、自然と調和して生きるように
心がけてきた。
そのため、四季折々の生活の知恵・楽しみ方がある事を再確認する。


ある日、買い物に出かけた時にある花屋に目が留まる。
6月のこの時期に『桔梗』が売られていたのだ!!

『桔梗』といえば、秋の七草のひとつ。秋の花のイメージだ!!
それに、9月第3月曜日の「敬老の日」にリンドウや『桔梗』を贈っていたような気がする・・・。

なんだか、気になって調べてみた。
諸説いろいろあるが、その中でも気になる説をまとめてみた。

『桔梗』
キキョウ科
原産国:日本・中国
 花期 :6月~9月
花言葉:誠実・清楚・気品・変わらぬ愛
 花色 :青紫・白

・馴染み深い野草。
・秋の七草のひとつ、秋の花のイメージだが開花時期は夏。
・万葉集で詠まれている朝顔は、桔梗の事だという。

名前の由来
・キキョウ(桔梗)の音読み「きちこう」
・由来は、根が「結実(ひきしまっている)」かつ「梗直(まっすぐ)」であるといわれている。

漢方では
・太い根を干し、せきや喉などの漢方治療に使う。
・また、この薬用成分のサポニンというのは、昆虫にとって有毒であり、昆虫からの食害に自らを守っている。

武士に好まれる
・家紋に取り入れられる。
・江戸城には「ききょうの間」や「桔梗門」の名前がある。
 「ききょうの間」は、江戸城内表座敷の一つ。
 御番医師の詰め所で、奥に桔梗が描かれていた。

日本の伝統色に『桔梗色』がある。

色彩
・「紫」という色は、日本では古代より特別な意味を持っていた。
・聖徳太子の活躍した時代に冠位にあわせて色が定められた時も、最上位を象徴したのが「紫」
・平安時代になると、さらに賛美されるようになる。
・高い位の象徴というだけでなく、気品や風格・艶やかさといった様々な美しさを備えた色として尊ばれた。

冠位十二階
・「徳・仁・礼・信・義・智」の儒教の徳目で分けられたもの。
・ 紫・青・赤・黄・白・黒の冠の色に、それぞれ濃淡をつけて大小とつけて区別した。
・「紫」以外の色は、中国の五行説に基づいている。
 人間も社会も自然も、五つの元素である。
    木・火・土・金・水の一定の循環法則にしたがって変わっていく」
・一番位の高い「紫」は、道教の「尊いものを大切に扱う」色。


最後に「敬老の日」という行事。
・1965年「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し長寿を祝う日」と、法律で定められた。
・それとともに高齢者の福祉について関心を深め、高齢者の生活向上に努めようと若い世代に促すという気持ちが込められている。

以上。


これを踏まえて、今私が思う事。
『桔梗』は、良くも悪くも様々な意味を持っている。

しかし、『桔梗』の姿・かたち・色・備わっている能力に先人たちは好み、衣・食・住に取り入れ現代まで伝わっている。

結果、「敬老の日」に、『桔梗』を贈るのは
今、私たちが生きて生活が出来るのは、先人たちの経験と知恵のおかげである。

よって、道教の「尊いものを大切に扱う色」の青「紫」色をした『桔梗』を贈り、敬愛し・長寿を願い・感謝の気持ちを伝えるのだと思う。


この写真は、折り紙で作った『桔梗』





いろいろあって、写真のような色になっちゃった!!

婚活 ⑥ 只今、婚活連戦連敗中!! 演技したって素はにじみ出る!!!

2013年06月13日 09時28分47秒 | 大和撫子魂
婚活⑥

うわははははーぁ、自身でも思わず笑っちゃう!!

今回は、「演技したって、素はにじみ出る!!!」事について記したい。

以前、石川先生のアドバイスを受け
『“私は、おしとやかな女性”』
『“貴方に、尽くして差し上げますわぁ” という気持ち』を心がけながら、
今はお見合いをしている。

外見も、化粧をして女性らしい服装・振る舞いを自分なりにしている。

その甲斐があって、お見合い中に“ムッ”とする事はなくなったのだ!!


しかし、「次に繋がらない・・・!!」

どういう事なのだろう??



もしかしたら、ニュル ニュルと私の『素』がにじみ出たのかもしれない?!

私は、石川先生から『楽心館の爆弾女』など言われるぐらいだし・・・。
気が付かないうちに、相手へ“おどろ おどろしい”感じを与えて、不信感を
与えたのかも・・・!!

私なりの「女性らしさ」という武装(ヨロイ)を身にまとっているが、安っぽい
から ちょっとした事で『素』がにじみ出てしまうなんてありえる事だ。


そこで、思い出した事がある。

誰かが

「人は、誰しもイヤな性質を持っている」
「自分の持っているイヤな部分のオーラが相手の同じ部分を刺激して、
相手のイヤな部分が引き出してしまう」

「それに、反応して自分がイライラ」

「自分のイヤな部分がさらに引き出されて、それをまた相手が浴びる」
というような悪循環が続いてしまう。

この悪循環を断ち切るには、
まず「自分の性格の悪さが、相手のよくない性質を引き出している」という
メカニズムを知ること。

よって、相手の行動にイライラしないための心構えが出来る。

そして
「今度、相手にイライラしてきたら流してみよう」など、いままでと何かを
かえてみる。

そうすると、だんだん
「相手に対してイヤな感情を持つのは不毛」と、自然に思えるようになる。

と、まとめていた。

簡単にいえば、
『他人の性格は変えられないが、心がけ次第で自分の性格は変えられる』と、
いう事だろう。

最後に、
「性格を変えるには、数年かかるのもザラ」
「でも、それで残りの人生を心穏やかに過ごせるなら儲けものではありますまいか」
そう記していた。


さて、以上の事をふまえて、まだ私自身『理解しているつもり』なのだと思う。

もし、この記事を見て私をよく思っていない方が何か言うとした場合、大体
たたみ掛けようとしつこい事が多い。

こういう方は、私もよく思っていないはずだけど最初は黙っている。
実際、記してはいるが出来ていないから受け入れる・・・。

しかし、黙っているには限度はある。

『はぁ? さっきから黙っていれば調子に乗りやがって!!』
『しつこいんだよッ!! いい加減にしろよ!!』
『なんで、アンタにそこまで言われなきゃいけないんだっっっ!!』
『何様!!』
『そんなに言うなら、同じ事をしてみせてから言え!!!!』
口を悪くし表情は険しく、相手に詰め寄るだろう。


只の妄想なのに、私の『素』の部分が“おどろ おどしい”事に思わず笑っちゃう!!

あ~ぁ、これじゃぁね。

私の家族は、どう思うだろう?
特に、父は悲しむだろうか・・・?

う゛~ん、どうしたものか・・・。

5級「片手取り 両手持ち」と「呼吸法」 石川先生の言葉の表現には『思いやり』が含まれているのだと思う。

2013年05月30日 09時56分28秒 | 審査
5級「片手取り 両手持ち」と「呼吸法」

最近、過去の記事を読み返す事が多い。
それは、
一、稽古にて、ご指導を頂いた内容を整理する為。
二、このブログを更新する為。

すると、
”この頃の自分は、こんな風に思ってたんだなぁ・・・。”って、しみじみ思う事や、
“ぷぷっ”って、思わず、笑っちゃう事もある!!


ただ、稽古を重ね審査を受けてきた結果、ほんの微少ではあるが“こういう事なのかなぁ・・・?”って、思うこともある。

『どのように身体を使うことで、合気を理解することに通じるのか』

例えば稽古中、石川先生の『言葉』だ。
私が入門してから今まで、決して何も変わらない。
「等速、直線、緩んで、落ちる」
「交点へ直線に等速運動」
「半身を結ぶ線の内側を入れ!!」
「三角を作って、詰めると抜くを緩んだ瞬間に!!」
たまに、違う言い方をして頂くが意味は一緒だと思う。

入門当初、フィットネスと表現が違う事も当然 想像していた事だが、
“何の呪文??”
“これも、日本独特の表現なの???”って、
正直、思う事が多々ある!!

しかし、「この表現も、何か意味があるのだろう」と思い、今まで稽古に参加してきた。

そして、今の私が思う石川先生の言葉の表現には『思いやり』が含まれているのだと思う。

説明1つ取っても、様々な受け取り方がある。
各稽古人一人一人、考え方や感じ方・受け取り方が違う。
だから、伝える「言葉」を一定にし、受け手側が理解しやすくしているのだと思う。

また、稽古人どうしが話す・議論するなどのコミュニケーションをとりやすくする為に「きっかけ」を作っている?・・・のかも??

そして、それぞれの習得状態に差があるが
『どのように身体を使うことで、合気を理解することに通じるのか』
という事への目標に、石川先生は指し示しているのではないだろうか?!

今の私は、そう思う。


さて、5級「片手取り 両手持ち」と「呼吸法」は、只今 練習中!!
技の型 手順は憶えたのだが、今 一歩・二歩・三歩・・・足りず。

今までのご指導を思い出し
一、自身の軸を立てる。
二、接点を維持し、相手の中心へ。もしくは半身へ。
三、そして、緩んだ瞬間に!!
と、意識するのだが・・・。

私は、相手の方が『受けて頂く』事を大前提に稽古を重ねている。
しかし黒帯の方は、相手の方が『止める。踏ん張る』事で稽古をしているようだ!!

やはり同じ事を意識するのだが、何か大きな差を感じる!!
何かが違うのだ!!

面白いなぁ~♪
不思議でしょうがないよ!!

6級「両手取り呼吸法」と「二教」 なにが一番難しいかと言うと、「繋がる感覚」だ。 

2013年05月17日 01時08分31秒 | 審査
6級「両手取り呼吸法」と「二教」


“う゛~ん、むずかしい・・・”
やはり、話しの通りだ!!

なにが一番難しいかと言うと、「繋がる感覚」だ。

石川先生は、
『叩きくせを消して、詰めると抜くを緩んだ瞬間に!!』と、
仰せになるのだが・・・。

何がなんだか、解らない!!
石川先生の仰っている言葉通りなのだと思う。

が、しかし!!
『詰める』とは、どういう状態?
『抜く』は、どこのタイミングで!?
『緩む』という感覚は??

石川先生に、技を掛けて頂くしアドバイスを頂いたりするのだが、頭に『?』が無数に増えるのだ!!


そんな自分に、腹が立つ!!


でも、どうしようもないから・・・。

まず、出来ることからしていこうと思った。
一、自身の軸を立てる。
二、相手の中心へ意識する。

あとは、石川先生が技を掛けて頂いている時の
「足構え、体軸の使い方、重心の位置と変化」を、“見る” 事を心がける。

そうすると、“たぶん、こういう事なのかな・・・?”と思う事がしばしば。


この頃、丁度 調理師として就職が決まった時期。

節目に、審査を受けさせて頂いた。
結果、合格。


次は、5級 「片手取り 両手持ち」と「呼吸法」だ。

石川先生が仰る言葉の意味は、どういう事を指し示すのか。
確信が得られるようになりたいものだ!!

婚活 ⑤ 石川先生へ話すと『その時、合気になったのかもねぇ』と、微笑みながらやさしく仰せになる。

2013年05月04日 09時46分51秒 | 大和撫子魂
婚活 ⑤


今回は、婚活をしている際に不思議な感覚になった事を記したい。

以前、石川先生より
『お見合いなのに、朝稽古に参加していたよ。楽心館の爆弾女だけに心配・・・。』

『か弱い女性を演じるんだよ! 上手に化粧しても、ムカついて大魔神顔に変身したら、だめだよ!』
と、気に掛けて頂いている。

私にとっては、稽古もお見合いも目的達成の為に両方大事!!
“稽古に参加してお見合いが駄目になるなら、縁が無かったと諦める。”
そんな事、思っていた・・・。

石川先生は、それを察して私を不敏に思われたのでしょう。

ある日の朝稽古の時、石川先生より
『お相手の方とお会いしている時は、気持ちが大切だよ!!』
『“私は、おしとやかな女性”』
『“貴方に、尽くして差し上げますわぁ”』
『って、言う様な気持ちでお見合いをすると良いと思うよ。』ニコッ。

それを聞いて私は、
“そうだな、石川先生の言っている事は正しい!!”
“その事を自身に言い聞かせながら、この後、お会いしてみよう。”
って、素直に思った。


稽古が終わり、石川先生に言われた事を心掛けながらお会いする。

そしたら、なんと!!
お見合中に”ムッ”とする事が一度もなかったのだ!!

もちろん、相手の人柄や雰囲気なども関係している。
が、しかし、今までの方と同じパターンをその方が行っても”ムッ”としないのだ!!

不思議だ・・・。


不思議といえば、もう一つ。

今回の”ムッとしなかった方”とは、別の方とお会いした時の事。

ある喫茶店で向かい合わせに席についた時、
私の頭の奥から
『カチッ』
っという感覚がしたのだ!!
次の瞬間、
『やられるっ!!!』
と、思った!!

不思議な感覚だった・・・。

今思えば、”何に、やられるんだ!!”って笑っちゃうけど!


その事を、石川先生へ話すと
『その時、合気になったのかもねぇ。』
『心を奪われる感覚なのかもよぅ。』
と、微笑ながらやさしく仰せになる。

そうなのかなぁ・・・?

今の私には”不思議な感覚を体験した”としか思えないよぅ・・・。

4月14日(日)のつぶやき

2013年04月15日 04時18分00秒 | 女子力 女子会 twitter ツイッター

「子供合気道クラス? 笑いながら、弟君を力強く胸へ抱き寄せた。」“ドン”石川先生 『まだ、まだぁ』“ドン”石川先生 『... blog.goo.ne.jp/joshiryoku/e/6…


オセロ中島さんの件でデーブ・スペクターさんいいこといってた。3週ほど前のサンジャポで「テレビ業界には責任がある。すぐスピリチュアル番組をやる。占いとかに頼ることを肯定した番組づくりをする。霊能者だという人を持ち上げる。その反省なしにこの件だけ叩くのはおかしい」スルーされてたけど。

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