実は人災だった広島の土石流、東日本大震災
開発優先で捨て去られた先人たちの知恵
2014.09.03(水) 伊東 乾
テレビやネットワーク上で広く取り上げられた1つに、広島市安佐南区の地名変更がありました。
水害などのリスクを反映した古い地名が廃止され、ニュートラルな名前で宅地が造成されていた、そうしたエリアの住宅が甚大な害を被った。そうした側面が確かにあるようです。
地名を巡る問題には様々にデリケートな側面もあることから、あまり乱暴なことは言えませんが、都市部から比較的近く、交通の便の良い、しかし従来は山間のような場所が新たに切り開かれ、宅地化されるようなとき、「希望ヶ丘」とか「美しが丘」とか、魅力的なネーミングが優先し、地誌的なリスクを一切感じさせない、少なくとも何百年という 長い年月の間、幾度も同様の災害が襲ってきたケーススタディの英知が、住民に全く伝えられなければ・・・地震や豪雨のように不意に襲ってくる自然災害が、2次的に拡大してしまう懸念が払拭できないでしょう。
地滑りの報道に接して、東日本大震災のおり、津波被害に遭った多くの沿岸地域が、ほんの数十年前までは絶対に人が住まない地域だったこと、それが1970年代以降急速に宅地化され、居住者自身を含め、自分の住んでいる地域が海辺のゼロメートル地帯という意識をほとんど持たなかったエリアに被害が集中した経緯を、思い出しました。
つまり、もともと太古の昔には遠浅の湾、入り江だったエリアが、有史以来、河川の堆積物でまず三角州となり、やがて江戸期「海辺の田んぼ」などとして開発されたような沿岸エリアがここ30~40年ほどの間に急速に宅地化していったわけです。
ちなみに東京で考えれば「日比谷」はそのものずばり「日比谷入江」ですが、現在の有楽町・日比谷界隈を歩いて「ああ、ここは入り江だ」と実感するような要素は何も残っていないでしょう。
「港区」は間違いなく「港」区だったはずですが、埋め立てによって海岸線は遠のき、およそベイエリアの実感はありません。
ちなみに私が所属する日本聖公会聖アンデレ教会は東京タワーのすぐ横にありますが、住所としては「港区芝公園」になります。東京タワーが海辺に立っているという印象はほとんどありませんが、タワーも六本木も間違いなく「港区」の所在です。
亡くなった立川談志が得意とした落語の人情噺に「芝浜」というものがありますが、その名の通り「芝」は浜辺で、落語では芝の浜辺の魚市場に買い出しに出てきた魚屋が、きれいな海辺に落ちていた財布を拾うことになっています。
実際、江戸の古地図を見てみれば、芝の増上寺はほとんど海辺で、現在も残る地名「金杉橋」を通り越せばその先は海、「浜松町」という地名はまさに浜辺に松が生えていたエリアだったのだろう、などと察せられます。
が、このあたりが海辺のゼロメートル地帯で、少し水位が上昇すれば水を被りかねない場所がある、なんて具合に、現在の港区住民は考えないでしょう。
実のところ、かつて、時として襲ってくる大津波などの被害が言い伝えられ、何百年という間、「この先決して人住むべからず」などと村の掟になっていた。そんな「経験に即した英知」が、あるいは伝承の消滅によって、あるいは科学&技術という新しい信仰が与えるお墨付きによって書き換えられてしまった。
現状の海岸線から見れば何キロも内陸に見え、周りにはビルが林立し、とてもここが海辺のほとんど海抜ゼロメートルの地帯(沖積低地)であると認識されない都市開発。東京大学理学部芽根研究室(沿岸海洋学)は、東京都港区のみならず、陸前高田市や宮古市などを、そうした発展の典型的なケースとして挙げており、日本全国の随所に同様の状況があると強く警鐘を鳴らしています。
国や自治体が率先して、歴史的にはハイリスクゾーンとして宅地化が禁じられてきたエリアを含めた開発を推進、それにテクノロジーがお墨付きを与えるという構図は、被害を拡大したという意味で、明らかに「天災」ではなく「人災」の面が強いと言わねばならないでしょう。
さらに再発防止を念頭に置くならここを出発点として、もう一歩先に踏み込んでみる必要があると思います。
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JBpressより引用 全文は
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41636