秀吉が、織田信長の肖像画を、修正させた
京都・大徳寺所蔵の肖像画「織田信長像」(16世紀)が完成当初の絵から描き直されていたことが2011年6月6日、京都国立博物館(京都市東山区)の調査で分かった。
信長の三回忌法要のために、秀吉が発注した、織田信長の肖像画を
できあがったものを、三回忌法要直前に、織田信長の豪快さを、なくし、秀吉が、織田信長よりも、豪快であると、思わせるため
元々の織田信長の優雅な豪快な肖像画を、修正させた
元の肖像画は
2008年9月~09年10月に解体修理し、山本室長が調査。裏面に緑と茶の2色の小袖をまとい、大ぶりな桐(きり)の紋や2本の脇差しなど、華麗な雰囲気の信長を描いた跡が残っていた。
元の肖像画は、右腕はもえぎ色、左腕は薄茶色と派手な色使いだった。
右手に持つ扇子が長く幅も広かったほか、左脇に差した刀も裏面の方が1本多かった。
信長の 髭は、先が、上を向いて跳ね上がっていた
同博物館は、絵の完成後に描き直されたとみている。
裏面(左右を反転)には華麗な信長像が残っていた=京都国立博物館提供 安土桃山時代の絵師狩野永徳作とされ、大徳寺(京都市)が所蔵する織田信長の肖像画が、完成後に服装の色や模様を地味にし、刀の本数も少なくするなど描き直されていたことが、京都国立博物館(同市)の調査で分かった。
今でも、教科書などでは、信長の、弱弱しい肖像画が、信長として出ているが、
本来、描かれていた、豪傑で優雅な信長の肖像画を、見てみたいものだ
左 描き直された現在の織田信長の肖像画
右 本来の織田信長の肖像画
いまも様々に論じられています。
司馬遼太郎も次のように評価しています。
「中世の呼称で総合される諸慣習は、この人物によって打ち壊された。だけでなく、新しい社会をつくろうとした。」