今日は何んの日\(^o^)/ありました\(^o^)/
天正10年8月26日、井伊直虎が亡くなった日なんだそうです。大河ドラマ「おんな城主直虎」!柴咲コウさんが演じました。
この直虎は遠江国井伊谷の国人・井伊直盛の娘として生まれました。生年は不明なんだそうです。直盛には男子がいなかったため、直虎は次郎法師と名づけられ、いずれ直盛の従兄弟にあたる井伊直親を婿養子にする予定でした。当時の井伊氏は駿遠参の太守・今川義元に従っています。ところが天文13年、井伊家の家臣・小野道高の讒言により、直親の父・井伊直満は謀叛の疑いをかけられ、今川義元に切腹を命じられます。息子の直親は信濃に逃亡し、これにより次郎法師の婚約者は他国に去ってしまいました。それから11年後の弘治元年(1555)、讒言した小野道高がすでに他界したこともあり、信濃にいた直親は今川家に帰参します。独身を守っていた次郎法師は喜んだかもしれませんが、直親は信濃で奥山氏の娘とすでに結婚していたのです_(._.)_これで直親を次郎法師の婿養子にすることはできなくなりました。
しかしながら・・・運命の変転はまだ続きます。永禄3年(1560)、桶狭間の合戦で次郎法師の父・直盛が討死したため、井伊家は直親が継ぐことになりました。ところがその直親が、今度は小野道高の子・道好(政次とも)の讒言によって、今川氏真に殺されてしまうのです。小野父子は二代で、井伊直満・直親父子を陥れたことになります。これによって井伊家は次郎法師と、その曽祖父の井伊直平が支えていくことになります。
2016年12月15日・・・・「井伊直虎の新史料見つかる」「直虎は男だった?」という見出しのニュースが報じられました。これは井伊美術館館長・井伊達夫氏の発表をうけたものです。この史料は彦根藩筆頭家老をつとめた木俣守安が、寛永年間に聞き書きした内容を、その子孫が享保20年に改めてまとめたものです。木俣守安は直虎の父・直盛の義兄にあたる新野左馬助(当時は今川方)の孫にあたる人物です。文書には、今川氏真が家臣の関口氏経の子を「井伊次郎」として、井伊谷の領地を与えたと記されています。「井伊次郎」は新野左馬助の甥にあたるとも書かれているそうです。そこで「井伊次郎」は直盛の娘・次郎法師とは別人で、彼こそが「直虎」として井伊谷を治めていたのではないか???と発表されました。直虎の存在を直接に示す史料は、永禄11年(1568)、関口氏経と連名で井伊谷に徳政令を出したときの判物のみで、文書には「次郎直虎」と記されているそうです。
はたして直虎は女か???男か???いまだに謎が多い人物だけに、今後の研究の行方を待ちつつ、諸説ありますが!!!