この事件は、11月17日13:50頃に、新聞配達員の小林薫(当時36)は女児を誘拐していたずらをしようと計画。奈良市内学園中の路上で下校途中の小学校一年生であった楓ちゃん(当時7)に、車で送ってあげるなどと言葉巧みに誘って知人から借りていた車の助手席に乗せて誘拐。誘拐現場から奈良市三郷町にある自宅のアパートに女児を連れ込み殺害。殺害後、楓ちゃんの携帯電話を使って楓ちゃんの遺体を撮影した画像を母親に送りつけるなど異常な行動をとった事件でした。楓ちゃんの遺体を車に乗せて、平群町の宅地造成地の道路側溝に遺棄。最悪の結果となりました。
この事件を教訓として色んな見守りの取り組みあ行われています。平日の昼下がり・・・楓ちゃんが通っていた奈良市立富雄北小の通学路を集団下校する子供たち。今では見慣れた風景ですが、児童が集団登下校するようになったきっかけは12年前のこの事件。当時、いち早く動いたのが地元の自治会だったそうです。
当時、校区の富雄地区自治連合会は事件の翌日の11月18日、各自治会長を緊急で集めたそうです。緊急の会議。子供の見守りを依頼するチラシ5000枚を作成して19日には全自治会に配布したそうです。すごい対応であったと思います。当時の自治連合会長さんは集団登下校が必要だと直感。児童を保護者が集合場所に連れて行き、住民ボランティアが付き添って学校に送る仕組みを考案しました。仕事を持つ保護者らにも配慮したつもりだったそうですが・・・しかしながら各自治会長を再び集めた会議は紛糾。登下校のサメ[ト体制を提案してボランティアを250人集めてほしいと頼んだそうですが・・・しかし、なぜ保護者がやらない??と反対意見が噴出。議論は2時間半に及んだそうです。会長さんの熱意に自治会長たちが折れて12月から集団登下校を開始。事件から1年となる05年11月には通学路4カ所に防犯カメラ8台が設置されたそうです。それから!富雄地区は防犯のモデル地区として広く知られるようになりました。集団登下校は現在、県内の小学校の4分の3が採用しているそうです。
私も長く自治会の役員や生駒市の防犯委員をしております・・・まさしく生駒で起きても・・・どこで起きても不思議ではない事件。学校単位では限界があると感じます。周りで子供たちを見守らないと・・・近所の方々が何気なくでも見守る形を作らないとと強く思います。
小林死刑囚は、この手の連中に神格化されていて(;一_一)現在でも子供たちが犠牲になる事件が相次いでいます。
いろんな自治会で子供たちの見守りも行われています。しかしながら・・・どこの自治会も高齢化で(苦笑)自治会での見守りも非常に大事ではありますが・・・ほんま周りの大人たちが自然に見ている状態を作れたら・・・昔のような近所に戻れれば・・・そんな事を思います。13年が過ぎました。楓ちゃんが普通ならば21歳になっています。こんな事が二度と起きませんように・・・・
#今日は何の日 #楓ちゃん事件 #生駒 #富雄
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