今日は、昭和時代の小説家・開高健の忌日。
忌日の名称は「開高忌の他に「悠々忌」とも呼ばれています。
ちなみに・・・開高健について
1930年、昭和5年の12月30日、大阪府大阪市天王寺区に長男として生まれる。1953年(昭和28年)、大阪市立大学法文学部法学科(現:法学部)を卒業。
1957年(昭和32年)、短編小説『パニック』を発表し、デビューします。翌1958年(昭和33年)、短編小説『裸の王様』で第38回芥川賞を受賞。これらの作品では、戦後の工業社会における組織と個人という現代的なテーマを扱いました。
また、ベトナム戦争を取材するなど、行動派の作家として活躍されました。戦争での凄烈な体験をもとに多くの作品を発表。
1981年(昭和56年)、『ベトナム戦記』(1965年)などルポルタージュ文学確立の功績により第29回菊池寛賞を受賞。
1989年(平成元年)12月9日、死去されました。享年58歳。私と同じ年です。
死後、開高の業績を記念して、1992年(平成4年)から2001年(平成13年)までTBSブリタニカ(後:阪急コミュニケーションズ)が開高健賞を、2003年(平成15年)から集英社がノンフィクションを対象に開高健ノンフィクション賞を創設。
後半生の16年間を過ごした神奈川県茅ヶ崎市に開高健記念館が開設され、原稿や愛用の品々が展示されているそうです。
ルポルタージュ文学確立でした。