9 気分転換に「転換」を考える。自分を掴む欲望を相手に「転換」できる?
仕事柄、家で書き仕事(パソコンだから、打ち仕事かな)
の締め切りに追われ、
パソコンの前でグッタリすることが、まま、ある。
集中は、そう長続きしないから。
だんだん、飽きてくる・・
当初のモチベーションも消えてしまい、
仕事そのものに(もう、やってられるか)と嫌気さえ湧くことも。
うまく気分転換できる時もあれば、
酒を呑みに出かけて、
後で余計しんどくなったりするのも、しょっちゅうだ。
結局、締め切りギリギリになる。
合気道の「転換」同様、
(気分転換にも技が要る)とつくづく。
相手に掴まれた場合、
「手解き」か・・
体の変更から「転換」するか・・
気分を転換する場合、
相手は・・他人じゃなく、自分なんだよね。
飽きちゃったり、怠け心であったり、
敵は自分なのだ。う~む。
そいつが、
(さぼっちゃえよ、大丈夫だからさ・・)
(まだ、締切りには時間があるしさ)
(テキトーにごまかせばいいじゃない)といろいろ囁く。
つまり、そいつに
手をがっちり掴まれた状態でなんですよね。
ことに、夜ともなれば
(酒が呑みたい)なんて・・欲望の力は強烈。
では・・
自分の頭に湧き上がってくる(欲望)や、
(怠け心)に掴まれた状況に、
手解きや転換の術理を応用できないものだろうか
なんて空想してみる。
(接点から意識を外す)
(そのままに置いて、体軸中心にして技へ移行)
・・ハテ。
これが自身に対してできれば、いいのだが。
ふと、このパターンに似たあることを思い出す。
小生、
大学院で臨床心理士を目指そうとした時期があった(叶わなかったけど)。
心の病の多くは、
自分で無意識に作り上げてしまった心の回路(思い込みや思い詰め)に、
自分自身ががっしり掴まれた結果、発現する。
“掴まれた状態”にジタバタ抵抗して病がひどくなっていく。
自分の中の、知識、感情、欲望・・いろんなものに掴まれる。
やがて、思いつめて、意識に固着してしまう。
心理療法はいろいろあるけれど、要諦はまず、
(意識の固着点を、自身で客観的に認識できるようにする)こと。
接点の<客観化>が、治療の道なのです。
どうです、「手解き」や「転換」と、術理的に似てるでしょう。
実際、
(問題点はべつに解決しなくても死にはしないから、
放っておいて、スポーツや掃除など体を動かす合宿プログラムに取り組みなさい)
・・なんて療法も昔からある。
体を動かし続けるうちに、心の病が、
憑き物が落ちるように癒えていくわけです。
接点はそのままに、別のことに意識を移していく結果、癒えるんですね。
転換には、<身体感覚>とのバランスを
取り戻すことが大きな役割を果たすんです。
皆さんも経験がおありでしょう、
背中がカユいのだけど、どうしても手が届かない場合、
孫の手で掻いたり、柱にクマのようにこすりつけたり、
直接掻くか、あるいは・・
(お尻でもどこでも、ギュッと痛いほどつねってみる)解消法がある。
痛さのあまり、痒みの感覚を忘れてしまう・・んですよね。
カユさの感覚に対して一種の・・「転換」なんです。
合気道の技や体さばき、には、
そんな、
<自分を相手にするとき>にも、応用できる術理がたくさん
秘められている気がするなあ・・
(自分の頭や欲望に、入り身したり、
体の変更から転換したり・・)して、
鎮めてやる。ふ~む。
ベランダに出て一服しながら、
自分相手の合気道ってあるんだなあ、思う。
気分の「転換」なんて、
すでに先輩諸氏は昔から実践されているかとも想像する。
(どれ、気分転換に剣の素振りでもしてこようか)
と思う傍らから・・
(寒いぜ。昼寝するほうが気分転換にならない?)
と、どこからか囁きがきこえる。
今年こそ、
意志薄弱な小生に、合気道がクスリになりますように。