複雑な思いで絆の駅に戻って
待っていてくれたのは 年輪重ねた男子
古地図と
それからだいぶ経った60数年前の地図と
それから 数十年経った昭和の初めの地図も
照らし合わせながら
私が生まれた日の 石巻日日新聞夕刊の写しもいただいて
新聞の広告に 当時の石巻の様子も想い描いたり
生れた場所と 住んでいた場所と 写真館の場所など 説明してくれて
自分の住まいは ここって
ずぅっと石巻に住んでいたら ご近所さんだった方でした
この時点で 新聞記者を経験した年輪重ねた方だということしか
わからなくて
58年ぶりに 初めて石巻に着いた数時間後
小雨まじりのどんよりなミルク色した空の下
アイトピア通りを てくてくして あの日の様子を聴いて
最初に目にした青いシール
津波到達点
平成23年 3月11日 東日本大震災の文字
自宅から遠い場所で Julieのお芝居を観劇中に
2011年
お芝居が途中で中止になって
初めて足を運んだ知らない地域で生れて初めての体験して
駅周辺で夜をあかし佐野市周辺の方にお世話になって
その翌日
ようやく動きだした列車までタクシーで行って
何回も列車を乗り継いで
7時間かけて 我が家にたどりついて
その後数日後から
私がテレビで見た光景を まじかで体験した方に
その瞬間の出来事を聴いて
そんな場所の近くに自分のルーツがあって
いろんな複雑な思いが あったけれど
足を運んだ貴重な体験として 写真におさめて
みやぎ生協ビルの津波到達地点
そして
通りの街灯も あの日に いろんな出来事を目撃して
街灯の高い位置にある横になった細い棒につかまって
あの日に イノチが助かったひとのこと
津波が この高さまできて ずぅっとおりれなくて
人と人の繋がりで助けだされたその時の様子を語ってくれて
傘で あそこって示してくれた会長さんは
地震が発生した瞬間
知り合いの方から 家が倒壊したと連絡を受け
急いで様子を見に行って
これは 大変だと 写真におさめたあと
すぐにそこの場所から逃げて
高い所をみつけて 駐車場の2階部分で 津波を経験して
階下の通りに
人が乗った車がどんどん流されていく光景を みつめることしかできなくて
津波は自宅まで到達し、1階全部が浸水したそう
後日
倒壊した場所を写した写真の時間を見て ぞっとしたそう
あのとき 急いで 逃げなかったら
こうして あの時の体験を話すことも できなかった。。。。
からと
細い路地をぬけて
石畳と アスファルトが入りまじって
あの日に 地震と津波で傷んだ通りを 複雑な思いで 踏みしめて
通りをぬけたら
ビルの壁面に
手書きの文字で津波到達点
236センチの文字
その場所から
ほどなくのところに
私が生まれる前の年に
両親がオシャレをしてふたりで記念写真を撮った
初めて見る中央寫眞館
3階建てのビル
1階部分入口に
地震で亀裂が入ったり
津波で
ウインドウケースのガラスが割れたり
シャッターも壊れていたり
階段部分の上のほうは あの日の津波の土砂がそのまま
あの日から2年3ヶ月と4日目の日
解体作業の真っ最中で
ビルのとなりは すでに解体されたようで 更地になって
現在は別の場所で
両親の写真を撮ってくれた方の2代目が
写真館を営んでいるそうで
案内してくれた会長さんも ここで写真を撮った思い出があるそう
この中央寫眞館で
生れたときの記念写真を撮ってもらった
ふたりのきょうだいにも 報告してあげようって
生れたときの写真が1枚もないひとは
いろんな切ない複雑な思いで
取り壊し中の写真館と一緒に 写真におさまって
三日前に
突然 石巻に行こう!ってひらめいたのも
神様が ひきよせてくれたのかなぁ