朝刊の一面は緊急事態が全面解除
50年の絆で繋がった映画「キネマの神様」
感染予防のいろんな手だてしながら撮影も動き出すのかしら
17年前の舞台共演も大きな理由だったかしら
パンフレットのページに
17年前の久世光彦さんの「笑い」についての思い
2003年「沢田・志村のさあ、殺せ!」パンフレットより
もうずっと前の話になるが《薔薇の名前》という、
ほんとうはとても難しい本が、日本で何故か
ベストセラーになったことがあった。
キリスト教の神学の混乱の歴史に、
十分な理解がなければわからない上に、
アリストテレスの《詩学》には、
現存する《悲劇論》と対になる《喜劇論》が実はあったという、
大胆な大嘘フィクションの上に成り立っているのだから
私などはとても歯が立たなかったが、
とにかく〈悲劇〉と〈喜劇〉がバランスよく相対していないと、
世の中は案配よく治まらないということだ。
エーコーの《薔薇の名前》では、
中世の禁欲的な神学が人間の〈笑い〉を禁じ、
抑圧しようと意図したことから、
古い僧院の図書室で殺人事件が起きる。
ずいぶん小難しいイントロで始まってしまったが、
私はかねてから〈笑い〉がないと生きていけない性質の人間である。
それもかなり過激で、爆発的で、
リアリティなんか糞食えというほどの
いわゆる〈スラップ・スティック〉コメディが大好きだ。
わが国ではこの〈スラップ・スティック〉のことを
〈ドタバタ〉とか〈アチャラカ〉とか訳して屈辱する向きがあるが、
私はそう呼ばれたところで、お客が笑い転げてくれるなら、
ちっとも恥ずかしくも何ともない。むしろ名誉なことだと思う。
―人間、笑わずに半年暮らしたら、気が変になる。
その2につづく