帰省しました!!!!
1週間くらい後に家族が来るので、
それまで祖父母との暮らし💕
そういえば
最近メンタルクリニックで、
「まだ若いのと、精神疾患としては軽度で状況が変われば治りそうなので、
薬は依存性があるので出さないでおきますね。
正直、家族という近い人間であっても合わない人も居ます。
しかし高校生だと家族から離れることは難しい。
今の貴方は、家族からなるべく離れてストレスを受けないことが一番の薬です」
と言われました。
ふに落ちます。
東京から帰省すると、
やっぱり静かで暑い!笑
私は
高1の夏休みも高2の夏も
勉強か部活三昧でした。
今思えば
充実しててすごく楽しかったけど、
こっちに引っ越す前の貴重な夏だから、
東京でしか出来ない事
(東京タワーとか)
もうちょい遊んでも良かったかもしれない。笑
高1とか、
本当にあそこまで勉強ばっかしなくてよかったな。
数学とか、
どうせ選択しなかったし😅
まあ、いっか!
頑張ったことは経験、経験!
その結果体調崩したことも、経験!
ちょっとずつ、
ストレスや過去の痛みから切り替えが早くなってきました。
だって、考えてもしょうがないもん。
よく、
「9割の心配事は実際には起こらない!」
っていうじゃないですか?
最近ですが、
過去に一回あれを信じてみたんですね。
「学校休んじゃったけどこの欠課でアウトになって卒業できなかったら…!!」
とか、
「もしぜんぶの大学に落ちて専門にさえ入試間に合わなくて落ちたら…!!ー」
とか。
本当に色々。
その時、
「9割は起こらない!!」
って唱えて、
本当に起こらないかな?
って意識しないで試したんです。
そしたら、
普通に
起こらなかったです。笑
しかも、
今のとこ、
9割起こらないどころが、
0,5割以下ですね。
ですが、
そう分かっていても、
心配とか不安って、
現れた時に対処するのはなかなかですよ!!
特に今メンタル落ちている人は難しいですよねー。
無理してそうしようとするのも、微妙。
私は、もうそういう時は寝ます。
YouTubeとか聴きながら寝ちゃいます。
機嫌悪いままでも寝ちゃって、
次の日から心だけでも
切り替える。
無駄に悩んで、
ネガティブなのが心の口癖みたいになるより、
マシじゃない? と。
長いと言われれば長い夏休みですね。
私はまず
今はこのストレスフリーで心を沈めます。
こっちでは、
祖父母の家事や畑を手伝って、
オリンピックとか観たいかな。
結構こういうのって教養になるし。
そして
色んな学校見学に行きたいです。
私はもう将来やりたい事や進路は決まっているのですが、
例えば、
製菓の専門学校とか、
調理や美容の専門学校の見学。 笑
「こういう道の人もいるんだなー」って知りたいし、
色々体験して、
「やっぱりこれがやりたいんだな」
って決めた進路の方が、後々後悔なく頑張れますもんね。
全ては教養ですよ?笑
あと読書をして、
後半になる頃にはまた勉強に戻れる感じになったらいいなと思います。
私に対して「自分の考えを延々と語る人」と思われるも嫌なので、日本人の物の考え方の傾向の分類についてでも記そう。
日本で哲学書がベストセラーになる事は、滅多にない。
ベストセラーは、私が決めてるのではないので、私の恣意的な意見ではない。
大学の哲学の教授でも、ベストセラーという客観指標で三冊といえば、この三冊になるはず。
明治に入ってベストセラーになったのが、福沢諭吉先生の「学問のススメ」です。
当時の人口の一割の発行部数を誇る超ベストセラーです。
「合理的」「論理的」な考え方を礼賛するのは、この本の影響です。
「『理』の為ならアフリカの黒人奴隷にも恐れいる」
という文章に象徴されるように、理があれば奴隷の意見も聞くので身分は関係ない、という事です。
これは、逆にいえば、現在の文部省が子供に教育(洗脳)してる思想とは違うという事が分かるでしょう。今の子は、「弱者」や「馬鹿」の意見も尊重されると思ってますよね? だから、ネットは馬鹿だらけだし、私のコメントも、一つの意見に過ぎない、と切り捨てられる。「いろいろな意見があるのが普通」という妄想に洗脳されてる人が多い。「理(正解)」は一つだから、学校のテストが成立する、という不文律と矛盾して、馬鹿が自分の意見を正しいと思うように教育するのは、文部省の異常な教育の結果です。(慶應義塾は医師、研究者、経営者の分野が強く、早稲田は教育、マスコミ、政治分野が強い。慶應が強い分野で理に基づかないと被害者が大勢出るでしょ。だから、教育分野は子供が被害者になってしまうから本当に可哀相)
福沢先生の思想では、理のある意見のみ聞くのですが、実際の所、黒人奴隷が理のある意見は言えないから、学問が大事なのです。
合理主義や学歴主義が進んだおかげで日本は明治末期には先進国になってましたが、すると、貧富の差が出る。
そこでベストセラーになったのが、西田幾太郎の「善の研究」です。「善」は「性善説」とかで使われる善です。
ロシアで共産主義革命が起きた時期でもあります。
能力の劣る人間は奴隷になるのが合理的だとしても、奴隷を良い事だとは思わないでしょう? 「人間の感情に則った選択が正しい行動である」という思想です。
この考え方の日本人も凄く多いですよね。ある意味、感情論は、自己中の思想なので、それを補完するのが「主客合一」です。
「エウ゛ァンゲリオン」のオチとか、アーサーCクラークの「地球幼年記の終わり」のオチとか、手塚治虫の「火の鳥」のオチとか、この思想です。ぐちゃぐちゃに自分と他人が混ざれば、相手=自分なので、その感情も、自己中=他人中心の思いやりになる、という思想です。私に言わせれば、妄想ですが、学校が目指してるのは、これなんですよね。
学校が体育の着替えを男女一緒にさせたがるのも、同じ身体だと思えば欲情しないという事ですし、「世界」と「自分」を分けない為に、自分の一部と思えるように自分の外側の世界を勉強するという思想です。
理の為に勉強する学問のススメと全然違う。理系と文系の思想の違いとも言えるかもしれない。
で、昭和に入ると、これら思想は良くない方向に利用される。
要するに、全体主義です。アメリカ人が敵だと教育されれば、善の感情に従っても、「敵は殺すべき」と本心から思うようになる。
また、米国と戦争するのが合理的=正解となれば、正解は一つだから異論はなく全体主義が進む。福沢先生は「征韓論」も書いてますし。
この事について、戦後に、「国が間違っていて、国民を洗脳したから自分の善がネジ曲がった」と思う事にして、「自分は間違ってなかった」と多くの日本人が考えていた。
そこで、ベストセラーになったのが吉本隆明「共同幻想論」です。
「国家」が共同幻想に過ぎない、という事を明らかにした本です。
日本人に与えた影響は大きく、要するに、国が間違った選択を国民にさせたのではなく、「空気」が間違った選択をさせた、という事を認識させた。
これ以降は、空気を読み、でも、極端な結論は出さずに、何となくの選択を、良しとする考え方が広まった。
これが、いわゆる「日本的」という奴の正体です。
じゃあ、どうすれば良いの?
とここまで読んで、憂鬱になるかもしれない。
漠然とした、あなたの憂鬱の原因は、この、どうすれば良いのか分からない憂鬱なのかもしれない。
人によって考え方が全然違うのは、個性ではなく、思想的に洗脳されてしまってるからなので、どうする事もできない、という無力感。
自分は、どの洗脳も受けてない。もしくは、中途半端に洗脳を受けてる事によって、何を信じれば良いのか、信じ切れない事による不安感。
時限爆弾で、赤い線と黒い線、どちらを切れば良い?
という時に、福沢派は傾向と対策で論理的に決定し、西田派は自分の直感で決定し、吉本派はみんなで話し合って結局決まらない。
こういう分かりあえない感覚を見事に突いたのが、平成に入ってからベストセラーになった養老先生の「バカの壁」です。
最近のネットを見れば分かるけど、自分の意見をただ言いたいだけの言いっぱなしという状況を予言していたとも言える。通じないのは仕方ない。諦めるしかない。
ここまでが、日本人の思想の歴史的な流れです。
良いとか悪いではなく、こういう感じで来ている。
で、ここからが、私の意見です。
人間の判断に価値があるはずがない、と断言できる。自分が正しいなんて、思い上がりですよ。偶然の奇跡を「神」として擬人化してしまう人間という動物は、「人間に価値がある」というバイアスをかけすぎると認識すべき。
だから、単純に、ルーレットを回して赤い線か黒い線かを決める、という考え方が一番幸福なのではないかと思います。
現実の選択では、間違った線を切っても死ぬ訳ではない。
「赤だ!」と意見を言ったなら、それが間違っても傷つくし、合っていても尊大になる。偶然、決まるのが一番平和では? 考え方の違いで揉めないし。
自分の予想が当たらないと、快楽を得られないの?
何かを(他人とかを)自分の思い通りにしたい欲望があるの?
私には、ない。私は、ルーレットが当たればそれで良い。予想が当たらなくても良いし、思い通りにしたいとも思わない。単純に、二回ルーレットを回せば一回当たるじゃない? それ以上の必勝法は、妄想ですよ。意見を言うだけ時間の無駄。話し合うのも時間の無駄。
考え込んで、ルーレットを回せなくなる人だけが、負ける。二回回せば、当たるのだから、プラマイゼロでも「楽しかったー
」って、なる。
これが究極的な正解でしょう。でも、間違った自分の信念に情熱を傾ける人がいるおかげで社会が発展するので、この正解が思想として教育される事はない。
すでに、違う思想を教育(洗脳)されてる人向けに、もっとリアルなヒントを言ってみる。
戦後の復興期の一万円札は聖徳太子なんですよね。「和をもって尊しとなす」という、みんなで仲良く、という思想を説いた人。
その後の高度経済成長から受験戦争に入ってバブル、そして、今までが福沢諭吉先生です。つまり、財務相は福沢思想を良しとしてるのに、文部省は途中からゆとり教育に転換した。それで、日本がダメになった説。どちらが良いかではなく、矛盾してる。文部省は「天は人の上に人を作らず」を平等思想と勘違いする馬鹿を量産した。(実際は逆で、江戸時代のように身分は天が決めるのではなく、学問を修めた人が身分は上になる、という意味。慶應大学出身は江戸時代の武士身分と同じだから、平民は土下座しろ、と解釈できなくもないから、慶應出身の人って、エリート感あるでしょ。でも、それこそ、ルーレットで身分を決めれば、上の人も尊大には振る舞わない。慶應の幼稚舎上がりの人は、尊大ではない。)
でも、だいたいの場合、一万円札が欲しい庶民が、福沢先生の思想を全く知らずに、勉強もせずに、平等を叫ぶ馬鹿なんですよね。日々、使ってるお札に描かれてる人の思想を知らないって。
そして、もうすぐ、渋沢栄一に変わります。
株式市場を作った人です。
企業のトップだけが企業を所有して、社会を支配するのは、平等に反するから、一般庶民でも、企業を所有できるように、と株式市場を作ったのです。
福沢諭吉先生は大学を作って、一般庶民でも学ぶ機会を提供し、大学に行く人を勝ち組にした。
渋沢栄一翁は、株式市場を作ったのだから、これから、株を買う人を勝ち組にするんじゃないか? という説。
お父様、合ってるかもよ。
私は、大学では、経営学を学んだ企業大好き人間なので、興味があるなら、暇な時にでも、人生のマネジメントも企業の経営も同じ!という、どういうの企業の株を買うべきかの話しをコメントしますよ。
ちょこちょこブログを覗きに来てるんですが。
こっちは過ごしやすい気温になってますが、そっちはどうなのだろう。
私は気温差に弱いので、起きれません。
メンタリストのDaiGoさんが、極端な意見を言って炎上してます。知ってます?
まさに、私が前回コメントした慶應義塾大学の思想、の通りの事例が起きた。
私のコメントは受け入れられる事は少なく、私のコメントを読んでも考えを変える人はいないので、DaiGoに対する印象も、それまでの自分の頭の中の印象を皆優先するのだろうけど、現実は、私のコメントの通りだと証明されたでしょう。リスクとして意識する方が正解だという事が分かる。
自分の印象よりも、「傾向」の方が圧倒的に正しい。
この「傾向」を当てるのが、メンタリストなので、それこそ、慶應義塾的な発想です。
でも、外す事も多い訳で。
例えば、高校中退して、ホームレスになった人が、どうする事もできなくて起業したサンアスタリスクという会社は、後に上場して、時価総額750億円だったりします。
メンタリストDaiGoは社会にとって、いてもいなくても良い存在だけど、時価総額750億円の会社は、ないと困る。
ホームレス全体の傾向が、社会の役に立ってないからと言って、そのホームレスの経験が全員にとって無価値という事はない。
「9割当たるくじの落とし穴」と、私は呼んでいる。
私の中学は学年400人で10クラス以上あったけど、中学二年の時に後ろの席の人に、期末試験の学年順位が2位だった、と言われて、私は4位だったので、凄い偶然だ、と話した。
その人とは同じ高校に行き、三年後の高校二年の時、私が放課後に教室で麻雀をしてたら、そいつがやって来て「それでいいのか?」と言われたんですよね。要するに、ダメ人間の私に忠告しに来た訳です。
私も、その時は、彼が勝ち組で、私は負け組と思っていた。
彼は、部活に打ち込み恋人もいる。(彼も後に慶應義塾大学に行く)
でも、今の私なら断言できる。
彼の方が心配で、かわいそうな負け組なんです。
彼は、9割当たるくじを引く人生を送ってる。
部活で得られる幸福
恋人から得られる幸福
お金を使って得られる幸福
子供から得られる幸福
これらは、そのくじを引けば、9割の確率で得られる幸福ですよね。ありふれた幸福。それを目指して努力して、そのくじを引いてる。
そこに落とし穴がある。本人も当たる気でいる事が、落とし穴なのです。
順調な人生を送って、30歳ぐらいで、こういうコロナになったり、私のような自律神経失調症になったり、そういう1割のハズレになった時に、復活できない。想定してないから。
先日も、中央大学中退から電車で通り魔になった人がいましたが、9割くじを引けると思って生きてたのでしょう。
GMOインターネットは時価総額3000億円の大企業ですが、創業者は高校中退です。
この差は、結局、つまづくなら、早い方が良い! という事だと言えます。
頑張れば思い通りになると思ってる人は、「9割当たるくじ」しか引けない。
うまくいかない事が前提の人は「1%しか当たらないくじ」を引ける。
断言するけど、「1%くじ」の方が絶対に面白いですよ!
私は、人生において、圧倒的に幸福を感じた瞬間、
「この為に生きて来たのか!」と分かった瞬間が、三回あったのですが、どれも、一万人に一人ぐらいしか経験できない、珍しい事が起きました。
全然、想定していない事が急に起きて、びっくりしました。
このブログを読んでると、あなたも、ちゃんとその瞬間に向かってると思うので、頑張って生きて欲しい。
どういう事かというと、9割くじを引く人は、人生で数回しかくじを引かなくて良いから、前の人について歩いて行けば良いんですよね。
一方、私は、1%くじなので、百回くじ引かないとダメなんです。
前の人の背中なんて見てる場合じゃない。落ちてる物があれば拾う。横道があれば様子を見に行く。扉があれば開く。ボタンがあれば押す。ただし、慎重に。
百倍の知識を得て、百倍考えて、百倍挑戦し、99回は逃げる。
そうやってると、自分の予期しない、良い事が起きる。
このブログを読んでても、1%くじを引く方向に進んでるから、問題はないと思ってます。本を読み、他の人が考えてない事を考えて、挑戦もしてる。
例えば、amebloとgooブログを同時に始めるとか。いかにも「1%くじ」を引く態度という感じです。その結果、予期しない、私からの長文コメントを受ける事になったでしょ。amebloだけだったらコメントしてないし、twitterなら反応しないから。
部活に打ち込むとかは単純な勝ちを求める態度ですが、世の中はもっと複雑なので、複雑な事をやった方が、いろいろな事が起きる。
私も、教室で麻雀もしてたけど、パソコン部でゲームのプログラムを作ったり、図書委員で片付けしつついろんなジャンルの本を読んだり、勉強しつつラジオ聞いてたのでネタを書いて投稿したり、イラストを描いて雑誌に投稿したりもした。当時の私は、全部、現実逃避の負け組の行動で、自分は努力ができないダメ人間で価値がないから死んだ方が良いと思ってた。本気でですよ。
未来に立ってる私には分かる。全部、意味はあった。部活に打ち込んだ人は、その経験は「自分が凄い」という思い込みにしかなってない。
今考えると、部活、恋愛、受験勉強こそが、複雑な現実社会と向き合う事を避けた逃避じゃないのか?
9割くじを引いて、逃げきれるほど、人生は短い訳ではなくなってる。
子供を作る人はもれなく、9割くじを引いてるつもりだから、子供に総理大臣になって欲しい、とかは思ってない。
普通に育って欲しい。子供も9割くじを引くタイプの人になれば、9割当たるので、当たりだと思ってる。
子供の立場からしたら、「ハズレでゴメンね」という気持ち。とても苦しかった。
いや、ハズレじゃないから!
9割くじを引く人から見たらハズレに見えても、社会全体から見たら、必要だから!
必ず当たるからね。