「ネコの手も借りたい多忙苦戦格闘日記」オーダー専門店k.nyangoケイドットニャンゴの裏側

名古屋に拠点を持ち持続可能な想いの中で創り続ける”いのうえきょうこ”の
デザイン・イメージの現場

原爆ドーム

2007-08-12 23:43:27 | 背筋が伸びる想い

 

ドキュメンタリーを観た後だし、
終戦記念日も近いので、古い写真をデジカメで撮り直してみた。

ヒロシマの中心に、本通りと云う商店街が東西に走っていて
その、西側に元安川が流れていて、島病院がある。
(何年か前に高層のマンションが近くに建つとかの反対運動があったが、現在は?)
その上空600メートルでリトル・ボーイが炸裂した。
そのすぐ傍にあった、たしか、商工会議所が、この原爆ドームだ。
さぞ、美しい市民も誇れる建物だったのではないだろうか。
記憶では、ドームの吹き抜け部分が美しい廻り階段があったようだった。

現在の平和記念公園になっている場所は、栄えた密集した商店街だったと
何かのドキュメントでみたことがある。
その頃の地図を復元する活動であった。

路面電車が今も走る市内だが、
相生橋の上で被爆した車両の写真が記憶に残り、
読んでいた手記で何度も出てくる元安川が下に流れていて
初めて降り立った相生橋は、冬の朝だったのだが、
心なしか、橋もドームも揺らめいて見えた。

資料館の中で、ハッとした物が二つあった。

絣の柄が肌に焼きついた女性の写真
石の階段に焼きついた人間の影

同じく手記に記載された、井桁の柄が火傷になって肌にへばりつく
その描いたイメージそのままだったのだ。

もう一つは、ミステリーの中で、被爆と共に灰になった女性が
自分の影を取り返しに魂が浮遊する小説の題材に違いないと思ったからだ。

旅に出掛けて風景みたからといって、心にいつまでも残る何かを刻むわけでもない。
心に引っ掛かる何かと映像が出逢った時に
何かがストンと落ちるように蓄積するように思う。

ただ、資料上でも解かる原爆の被災だが、
6日の夜の元安川は、オルガンの音と共に灯籠で埋め尽す。
この静かな悲しみはその夜だけにしか、受け取れない。

朝8時15分の式典しか、画面から流れないのだが
御巣鷹山の麓の神流川での日航機遺族の流す灯籠の記事を見て
胸が熱くなった夜が思い出された。

”小田 実”が怒りは背骨をシャンとさせる。と云っていたことを思い出させる。

今日の帰省の最中、東名での事故。
ささやかな鎮魂の願いなど、届かぬとは想いつつ・・・合掌

 




 


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