2023年5月8日午前10時35分
最愛の愛猫・マグノリアが14才で永眠致しました。
何年も獣医さんにお世話になっていて、健康診断も続けていたにもかかわらず、亡くなってしまいました。
悪化する前に、嫌な呼吸状態な気がして、その日も無理して院長先生にみてもらったのですが、心配ないって。
けど物凄く気になるので、もしかして肺水腫ではないですか??って聞いたんです。
呼吸が荒い気がしてすごく凄く嫌な予感がして。
心配なら念のためレントゲンとりましょう!といって、とってくれたら、案の定肺水腫と判明。
先生の見立てでは2-3日で落ち着くから、3日後に予約入れますねって。
けど、ここから悪夢が始まりました。
帰宅後も状態はよくなく、嫌な予感しかしない。
院長先生はああいったけど、2-3日なんてまっていられない!!!
その日の夜に、再度受診。
以前腎不全が悪化した時に細やかに見てくださった同院の獣医師にお願いして診てもらいました。
そしてそのまま酸素室に入院する事に…涙が止まらず、だけど酸素室は倍の酸素量があるから呼吸も楽になりますって。
静脈からの点滴もできるので、肺水腫と腎不全という真逆な治療法を要する病気にも細かく様子を見て適切に対応していくって。
けど、いま思えばもうこの地点で、自宅で酸素室をレンタルして連れ帰るべきでした。
今だからそうおもうけど、あの時は、まだ治療法があるし生きる可能性をマグちゃんは与えてくれる!諦めるのはおしいって二人の先生に言われ、そう思ってしまったんです。
この事を後に死ぬほど後悔するはめになりますが、それは結果論ですからね。
難しいですね、生きるために取った最善の策が、愛猫を苦しめたのかもしれないと思ってしまうのは。
けど、やらなかったらやらないで、なぜあの時全ての治療をためさなかったんだ??って絶対に後悔します。
結局、どう転んでも、後悔しない結果なんてないんですよ…
どんな治療を何日かけて行ったのかを詳細に綴るとものすごく長くなってしまうので割愛します。
最後は押し切る形で泣きながら、もう連れて帰らせてくださいって訴えました。
酸素室も前日から稼働していつでもお迎えできるようにしていたんですって。
それでも医師は、退院に条件をつけました。
明日必ず連れてくる事。
これもいま思えばおかしな話で、酸素室が必要なマグちゃんが、酸素室から出て車で通うのも、命懸けだったなって。
けどあの時はそうしないと!って、それが最適解だと思ってたんですよ。
その後も半日入院したり色々あったのですが、最後はもう私が決めました。
もう、連れて行かないって。
自宅の酸素室で水も飲めず、目も閉じることもできず、吐き気に苦しみ涎を垂れ、それでも必死に生きているマグノリアの姿を目に焼き付けて、もう始まっている死のカウントダウンを数えながら、数時間でも長くこの世に存在してくれることに感謝して、反面一刻も早く天に召されて楽にさせてあげたいと願いながら、二律背反する気持ちの板挟みの中で、看病を続けました。
点滴のルートも自分で抜きました。
これを抜くともう再度血管に入れることはできない命綱といわれていましたが、いまのマグにとっては邪魔なだけの小道具に見えました。
可哀想で可哀想で外してあげたくて…
覚悟を決めてはずしたあと、腕を枕に寝る姿が見られた事、本当に嬉しかった。
亡くなったのはその翌日でした。
グゥと声をあげた後、大きく2度痙攣して天に登っていきました。
酸素室に入っていたため抱きしめることはかないませんでしたが、手を握って【お母さんここにいるよ!!マグちゃんありがとう!ありがとう!!お母さんおるで!ありがとう!!ありがとう!ありがとう!】
それしか言えなかったけど、手を握って最後まで寄り添えたことはありがたかったです。
書きながら涙が止まりませんが、亡くして1年で、ブログを書いてみようかなとふと思えたことも、また、ペットロスから立ち直る一つのプロセスなのかな?と思ったり…
亡くなった直後の数ヶ月は、医師への怒り、自分への怒り、後悔、なぜあの時…の自問自答と他責の繰り返し。
それしか記憶にない。
遺骨も見れなくて、部屋に飾ることも苦しかった…
けど、亡くなるあの姿、あの亡くなる十数日のあの頑張りを思うと、マグちゃんこんな私を見たら悲しむかも?
お母さんを後悔させるために僕頑張ったんじゃないよ!っていってるかも??!
これはだめだ!しっかりしなくちゃ!!!
そうだ!面白かったマグちゃんをたくさん思い出して、そのことを息子と沢山話して動画見かえして笑って泣いて泣いて泣いて…
めちゃくちゃそれを繰り返して、お仏壇も買ってお数珠も買って位牌もオーダーして、マグちゃんに毎日手をあわせて、お釈迦様のもとでマグちゃんが健やかに過ごせます様にってお祈りして、そばにいてねってお願いして、今日はこんな事するよって、こんな事頑張るから見ててね!ってお話して、7ヶ月たったころに物凄く気持ちがかるくなった。
それまでは急に号泣したり、すごく不安定だったけど、後悔よりも感謝が優った、そんな感じに変わった。
ありがとうって。それしかない。
いろんな姿みせてくれて、どんな時も一緒にいてくれて、本当にありがとうって。
だからペットロスでもし苦しんでる人がいたら、どうかとことん悲しんで下さい。
それでいいんです。
しのぶことも、後悔でさえも、自死したくなるほどの苦しい感情さえも、いつか、感謝の気持ちに消化されるから!!!
辛いです。物凄く辛くてあの子のいない世界でなぜ私が生きているのか?生きていけるのか?
けど思い出してください。
あの子の頑張りを。
今じゃなく、私たちが天寿を全うするときに、きっと、あの子が迎えにきてくれるから、その日まで私は生きることを頑張らないとって(^^)
だから毎日迎えにきてねってお願いするの、いつかくるその日のために…
最愛の愛猫・マグノリアが14才で永眠致しました。
何年も獣医さんにお世話になっていて、健康診断も続けていたにもかかわらず、亡くなってしまいました。
悪化する前に、嫌な呼吸状態な気がして、その日も無理して院長先生にみてもらったのですが、心配ないって。
けど物凄く気になるので、もしかして肺水腫ではないですか??って聞いたんです。
呼吸が荒い気がしてすごく凄く嫌な予感がして。
心配なら念のためレントゲンとりましょう!といって、とってくれたら、案の定肺水腫と判明。
先生の見立てでは2-3日で落ち着くから、3日後に予約入れますねって。
けど、ここから悪夢が始まりました。
帰宅後も状態はよくなく、嫌な予感しかしない。
院長先生はああいったけど、2-3日なんてまっていられない!!!
その日の夜に、再度受診。
以前腎不全が悪化した時に細やかに見てくださった同院の獣医師にお願いして診てもらいました。
そしてそのまま酸素室に入院する事に…涙が止まらず、だけど酸素室は倍の酸素量があるから呼吸も楽になりますって。
静脈からの点滴もできるので、肺水腫と腎不全という真逆な治療法を要する病気にも細かく様子を見て適切に対応していくって。
けど、いま思えばもうこの地点で、自宅で酸素室をレンタルして連れ帰るべきでした。
今だからそうおもうけど、あの時は、まだ治療法があるし生きる可能性をマグちゃんは与えてくれる!諦めるのはおしいって二人の先生に言われ、そう思ってしまったんです。
この事を後に死ぬほど後悔するはめになりますが、それは結果論ですからね。
難しいですね、生きるために取った最善の策が、愛猫を苦しめたのかもしれないと思ってしまうのは。
けど、やらなかったらやらないで、なぜあの時全ての治療をためさなかったんだ??って絶対に後悔します。
結局、どう転んでも、後悔しない結果なんてないんですよ…
どんな治療を何日かけて行ったのかを詳細に綴るとものすごく長くなってしまうので割愛します。
最後は押し切る形で泣きながら、もう連れて帰らせてくださいって訴えました。
酸素室も前日から稼働していつでもお迎えできるようにしていたんですって。
それでも医師は、退院に条件をつけました。
明日必ず連れてくる事。
これもいま思えばおかしな話で、酸素室が必要なマグちゃんが、酸素室から出て車で通うのも、命懸けだったなって。
けどあの時はそうしないと!って、それが最適解だと思ってたんですよ。
その後も半日入院したり色々あったのですが、最後はもう私が決めました。
もう、連れて行かないって。
自宅の酸素室で水も飲めず、目も閉じることもできず、吐き気に苦しみ涎を垂れ、それでも必死に生きているマグノリアの姿を目に焼き付けて、もう始まっている死のカウントダウンを数えながら、数時間でも長くこの世に存在してくれることに感謝して、反面一刻も早く天に召されて楽にさせてあげたいと願いながら、二律背反する気持ちの板挟みの中で、看病を続けました。
点滴のルートも自分で抜きました。
これを抜くともう再度血管に入れることはできない命綱といわれていましたが、いまのマグにとっては邪魔なだけの小道具に見えました。
可哀想で可哀想で外してあげたくて…
覚悟を決めてはずしたあと、腕を枕に寝る姿が見られた事、本当に嬉しかった。
亡くなったのはその翌日でした。
グゥと声をあげた後、大きく2度痙攣して天に登っていきました。
酸素室に入っていたため抱きしめることはかないませんでしたが、手を握って【お母さんここにいるよ!!マグちゃんありがとう!ありがとう!!お母さんおるで!ありがとう!!ありがとう!ありがとう!】
それしか言えなかったけど、手を握って最後まで寄り添えたことはありがたかったです。
書きながら涙が止まりませんが、亡くして1年で、ブログを書いてみようかなとふと思えたことも、また、ペットロスから立ち直る一つのプロセスなのかな?と思ったり…
亡くなった直後の数ヶ月は、医師への怒り、自分への怒り、後悔、なぜあの時…の自問自答と他責の繰り返し。
それしか記憶にない。
遺骨も見れなくて、部屋に飾ることも苦しかった…
けど、亡くなるあの姿、あの亡くなる十数日のあの頑張りを思うと、マグちゃんこんな私を見たら悲しむかも?
お母さんを後悔させるために僕頑張ったんじゃないよ!っていってるかも??!
これはだめだ!しっかりしなくちゃ!!!
そうだ!面白かったマグちゃんをたくさん思い出して、そのことを息子と沢山話して動画見かえして笑って泣いて泣いて泣いて…
めちゃくちゃそれを繰り返して、お仏壇も買ってお数珠も買って位牌もオーダーして、マグちゃんに毎日手をあわせて、お釈迦様のもとでマグちゃんが健やかに過ごせます様にってお祈りして、そばにいてねってお願いして、今日はこんな事するよって、こんな事頑張るから見ててね!ってお話して、7ヶ月たったころに物凄く気持ちがかるくなった。
それまでは急に号泣したり、すごく不安定だったけど、後悔よりも感謝が優った、そんな感じに変わった。
ありがとうって。それしかない。
いろんな姿みせてくれて、どんな時も一緒にいてくれて、本当にありがとうって。
だからペットロスでもし苦しんでる人がいたら、どうかとことん悲しんで下さい。
それでいいんです。
しのぶことも、後悔でさえも、自死したくなるほどの苦しい感情さえも、いつか、感謝の気持ちに消化されるから!!!
辛いです。物凄く辛くてあの子のいない世界でなぜ私が生きているのか?生きていけるのか?
けど思い出してください。
あの子の頑張りを。
今じゃなく、私たちが天寿を全うするときに、きっと、あの子が迎えにきてくれるから、その日まで私は生きることを頑張らないとって(^^)
だから毎日迎えにきてねってお願いするの、いつかくるその日のために…