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フライフィッシャーの独り言

今から87年前の1936年に 陸軍青年将校が起こしたクーデター事件があった 所謂二・二六事件である 日本史で教わった歴史ぢゃ

「尊王討奸(そんのうとうかん)」「昭和維新」のスローガンのもと、「君側の奸(くんそくのかん=天皇の側で悪政を行う者)の排除が

計画された

二・二六事件が起きた昭和初期の時代 世界恐慌により日本は深刻な不景気に見舞われてた 都市部では失業者があふれ 農村部では

農作物の価格が下落したことにより 農民の生活は苦しめられていた そのような状況のなかで満州事変以降 資源獲得を目的に大陸の

開拓を進めていた陸軍に 期待が寄せられるようになった

また二・二六事件の反乱の鎮圧にあたった人物の中に 以前ブログで書いた満州事変の首謀者の石原莞爾(いしわら・かんじ)だった

今の様なITが無い時代 日本の二・二六事件に対し 世界の新聞社が報道した内容は

ニューヨークタイムズ(1931年3月1日)では二・二六事件の要因 貧しい農家出身の青年将校が、財界と癒着を行なっている政治家を

打倒しようとした結果と報じておる

ロンドンタイムズ(1931年3月2日)では 軍部の趣旨に沿った政府の樹立を目的として行われた事件との分析が行われていた

1936年2月26日のワシントンポスト 事件当時に行われた言論統制に対しては「徹底的な検閲によって 日本からの確信ある情報が

得られない」と日本の情報統制が批判的に伝えられている

「二・二六事件がもし成功していたら?」という疑問に対する考察は今でも行われている

たとえば当時困窮していた一部農民からは「二・二六事件が成功していたら生活が楽になっていたはず」などの意見もある

また 「終戦後のある日 GHQの占領政策を聞かされて驚きました 財閥解体・農地解放 二・二六事件で青年将校が目指していたことと

同じじゃないかと! 私は貧しい農家の生まれですから 二・二六をいまでも支持しています あれが成功して農村の生活が楽になって

いたら 満州事変だけでそれ以降の戦争はしなくてすんだと思うんです

いかにもああいう人たちが 戦争の導火線になったように言われていますが 全然違うと思います それで彼らがやろうとしていたことを

アメリカがやってくれて これは一体どうなってるんだと思いました 俺たちはなんのために戦争してたんだろうと思って 心底がっかり

しましたよ」

 

そして武装解除され 憲兵に拘束された将校たちは 29日午後6時頃陸軍東京衛戍刑務所に送られた 国民を憂い決起したが しかし

その思いとは裏腹に 待っていたのは厳しい裁判 青年将校たちは 東京陸軍軍法会議と称される弁護人なし・非公開・上告なし(一審制)

という制度で裁判を受けることになる これは急いで厳罰を下そうとする 陸軍の思惑が反映されたものだった

こうした裁判のあり方には 青年将校たちも憤懣やるかたなかったという 第1回公判は4月28日に行なわれ 判決は7月5日に

出される 将校と襲撃に加わった民間人計17名が死刑となった

 

 

http://www.genesis-ot.jp/


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