1970年代後半から80年代に 一時ハンドメイドルアーの人気が高まった時がある
その一つに流石’さすが)ルアーがある せっぱりの特徴あるミノーである ハンドメイドであったが当時のオリムピックが
量産するようなった
ビルダーは菅平高原でホテルのオーナーを務める流石康一氏 今でも作り続けられちょるとのこと
写真のミノーは量産型のミノーである
他者の真似など一切せず オリジナルに秀でた逸品と言えるぢゃろぅ まぁ一応時代の流れで購入したが 実釣で使ったことがほとんどない
まぁ所謂持っちょるだけに等しい ファンの方に使いこなせてないミノーに対しうんちくを述べるつもりはない
当時の拙者のホームグランドは芦ノ湖 やはりメインはラパラF13であり キクチミノーやナベミノーやウッドベイトの遠藤さんであった
ましてや菊池さんやナベミノーの渡辺さんとは仲間みたいな関係 となりゃぁ流石さんのミノーは使用しづらい 残念ぢゃが
流石さんとは残念ぢゃけど一度も面識が無い 趣旨としては当時このような ミノーの歴史があったと解釈されたい