フレッシュサポート

時間は夢を裏切らない。

片づけから学んだこと。

2012-01-15 02:44:50 | ボランティア
河口河川敷は、上流から流れ着くゴミの終着駅である。生活ゴミの

多くは、食品・飲料・洗剤などのポリ容器が殆どで、スチール缶は、表面の部位だけが

流れ着いていて、他は海に押し流されていく。使い捨ての靴の多さには、格安の履物の

氾濫が招く時代の象徴と言える。破格値段で求めてもトータルでは環境を含め

最終処分までの価格を弾くと、決して安いとは言えない。猫・犬・ペットの死骸もあり、

何でも河川に放り込み、心無い連中もいて、河川・海の汚染要因だ。

鞄・バッグも目に着いた。明らかに犯罪のニオイがするゴミだ。警察に届けた物もあり、

驚いたのは、季節ハガキ中に、破門と書かれたのが混じり束ねてあり、捨てたとは

思えなく、住所に届けようと思ったが、取りあえず警察に依頼した。犯罪に関係する

物も数あり、気味悪く、ゴミで世の中の暗部を覗き見た。

いずれにしても、残骸とした何時までも形が残るゴミは、環境破壊する何者でもなく

使い捨ての現状には困ったものである。良いものを大切に着て・履くのがベストと考えるが

安いから取りあえず求める発想は止めてほしいと思う。やがてゴミの増加で廃棄処分代

が待っているのだから。これからは個々に環境を十分考えてほしい。

ボランティアでゴミの片づけから学んだことである。




一段落ついた片付け。

2012-01-15 00:15:29 | ボランティア
この町内で鉄工加工事業を営んでいたご主人に熊手を作って頂いた。不心得の者に、

無断で持っていかれ不自由していたのでお願いして作って頂いた。

猪突猛進でないが取り掛かると終わるまでと只管頑張った。生きてきた人生で一番、肉体労働で働いたと思う。

対岸から片付く状況が分かり日に日に見物人が多くなり、観光客も河川敷に降りて戯れていた。

早く終えようとその思いが強かった。お得意様からどうしたのかと問い合わせが相次ぎ、大変迷惑をかけ、

申し訳なかった。巡回していた時は、評価は良くなかったが、お客さんよりのリピートで、

お得意様も商品の良さを確認されたと思う。一時連絡が取れなく、その状況が広がり、お叱りを

あちこちから・・・・。

おすすめした時は迷惑そうに後でと言われ、連絡待ちであった。考案・作るのに神経を注ぎ、

物がよければと自信があったのは確かで、高額の和衣装は手厚い収納が、求める側には必要不可欠で

あるのは密かに期待していた。炎天下での作業で真っ黒い顔でのその後の訪問は何をしていたのかと

質問攻めに会い、伺う箇所で説明をした。事情を病気とは言えず、正直に話しお詫びした。

昨年3月11日の津波災害には、多くの犠牲者を出し、今直、震災で苦しんでる方が多く見られ

ボランティアの方々も全国から応援されています。健康を害した現状では、ボランティアは

無理であるが、自身の主義を通した一度の経験は、今思えば貴重な体験だった。

当時のタフでバイタリティーの作業を振り返ると、力量・そのエネルギーは

何処から授かっただろうと不思議である。

疲労も限界!

2012-01-14 00:05:30 | ボランティア
浜松生まれの小生にとって、ここに40年住んでいるが”やらまいか”精神は変わらなかった。

何を言われても間違ったことをしている訳でないから堂々と続けた。手袋をつけず、真っ黒に

なって夢中に事を処理していた。砂の中に埋め込まれている材木を引き上げるには一苦労で

応援と思ったが、道具が何もなくても、要領を色々考えた。片づけをしてから、粗大ゴミ

ペットボトルを始め、各箇所に山と積み上げると、堤防から眺め、片付けられた状態が整理

されて見え、河川敷に降り様子を見る方が多くなった。6ヶ月程費やしたこの地点の作業

であっが、何か単独で成し遂げた誇りを感じた。交通省河川敷の責任者が積み上げられた

ゴミを見て労いの言葉が唯一ボランティアをした満足感があった。下請けの建設トラック

4ト車で4回程運ばれて行った。投げ出したく成ったことも正直在ったが、意地もあり、事故もなく

無事終わった。これは、人生の良い思いでのひとコマである。報酬を頂かないボランティアは

生活にゆとりがあることが前提でないと出来ないが、商品を開発・考案して作る道のりは、この奉仕が

良い意味で勉強したとむしろ感謝している。

大変さは言葉に出ない!

2012-01-13 17:26:46 | ボランティア
海岸と河川敷の管轄が異なり、河川敷のペットボトルをゴミ袋に10袋詰め市の担当に

連絡した。現場まで来て頂いたが、ここは管轄がチガウので、この10袋だけにしてほしい

と言われた。魚市場を起点に寿司・魚料理は全国ネットで食文化の注目箇所である。

隣接した箇所のゴミ汚染は、何を考えているのかと地域・行政を疑った。今までは、

市場を主に、取引の専門業者が主体でしたので、汚れ放題であった。ゴミは平気で捨て、

何十年と処理してない状態で、汚れ箇所は、ゴミ捨て場である。自分の庭では斯様な

事はしない思うが、犬の散歩に糞を処理する袋をも持たず、垂れ流しが殆どであった。

意地悪な質問で、糞の処理は、何人かに聴いて見たが、都合の悪い事で返答出来ず

前々からこの状態が続いていた。片づけを始まってから、余分な事をしてくれたと

間接的に耳した。一度町内の会長に、地元の皆さんのボランティアを募りたく話をしたが

市に要請を彼は考えていた。自分達でやって見ようではなかった。行政に依頼は後で知る。

あなたは個人であるから、私が直接話をするので大見得を切って言われたが。

管轄がチガイすんなり受け付けることは考えられないと思っていた。役員の力を期待して

いたが、その後、どうなってたか返答がなかった。


●写真は駿河湾を静岡方面に夕陽を望む


縦割り社会に戸惑ったボランティア

2012-01-13 00:20:57 | ボランティア
食文化の観光スポットで売り出しているときに、隣接している河川敷は

言葉で表し用のない程、汚らしさであった。堤防が河口まで改築され

他都市から食事をこれからしようとまた・済ました観光客が、堤防から海を眺める

事で必然と河川敷の汚れは目に飛び込んでくる。この町に住んでる

人間として、恥ずかしさは言うまでもなかった。当時、湘南海岸を歩き

相模湾の清清しい光景を見ていた。それに比べ何と酷い場所と行政も含め

感じないのか不思議であった。何とかしなければと自然と体が動き、

決定させたのは、これから食事をしようと横浜からの若者カップルが、

汚い処では止めようと会話を耳にした事であった。ハッポースチロールの魚箱

ポリ袋は地元の業者・ポリ容器は上流から流れ着いたものが多く、これら化学物質は、

海に溶け込めない汚染物質であった。