幸慶美智子Blog♪

あんちゃんの気まぐれ日記

20歳の初ヒーリング体験

2011-06-14 04:05:23 | 日記

興味の在る方が多いと思います。

先日の正木先生のヒーリング。

 

20才の時の体験談を少し、ここに書かせて頂きます。

人は死ぬまで生ききるしかないから、

どうか、真っすぐにロス無く生きる助力になりますように。

間違っても,苦労自慢ではありませんし、

人生の諸先輩方の苦労を思えば、まだ、半生を語れる程の

大変な思い出も無いと思って居ます。

 

 

日本に産まれた事は人生の中でのラッキーの一つです。

この環境で文句を言うのなら、地球上に生まれる事が出来る国は皆無。

礼節を文化とした我が国に心から敬意を表して・・・

(と言っても、思想は右でも左でもありません。)

 

 

 

 

 

正木先生に行き着くまでを少しだけ・・・

 

20才当時、進路に迷い、トラウマに悩み、、、

ずーっと人生に閉塞感を感じて生きていたんですね。

 

幼少期の母の鬱病(S50年頃は鬱は世間に認知されていませんでした。)や

父のオイルショックの個人事業の破綻、

保証人で多額の借金、離婚、父子家庭。。。

他にもここにはかけない事やそれに付随する環境で起こる得る事は

ほぼあったと解釈下さい。

 

今では、そう珍しく無いのですが、一人っ子で偏見の目で見られて

あの時に、大人が全て正しいとは限らないと嫌と言う程、胸に刻み、

私だけは、自分の目で確かめもせずに、心ない根拠が無い噂で

人を傷つける人にはならないと誓いました。

 

また、血のつながりが無くても、多くの大人が色んな形で

愛情を注いでくれました。

 

心から、相手を尊厳を持って叱ってくれるのは,本当の愛情。

自分のうさを晴らす為の激怒は、自己愛。

 

そんなことも,染み込んでいます。

 

 

まぁ、幼少期からの話はもう、過ぎ去った事でスルーして、

そこからの探求の時期が思えば、”自己改革”というステージでは

一番この頃に自分を変えるというチャレンジに

労力が必要だったかもしれません。

今の方が、飛び込める。

年齢を重ねる程、トライしやすくなって来た様な気がします。

 

 

10~20代は常に恋ばかりしていて、占いなどに行きまくっていた私です。

割とブームでジェム占いの館など、沢山在りましたしね。

で、当時、cancanと言う雑誌を買って、付録がついていたんですね。

 

当時の人気の清麿さん(占い師)とか、似顔絵を書くシロ蛇占い??

とか、当時旬の占い師さんが掲載されていて

 

 

 

 

ま、それでも、周囲に恵まれて、さらっと明るく育った中で、

この、マイクを持つ仕事と言うのを学び始めた頃。。。

 

アルカイックスマイル ってご存じですか?

 

それが、アナウンスアカデミーの友人には出来るのに

私はやろうと思えば思う程、ますます、顔がこわばる訳です。

 

 

悔しい!

 

どうして、私はあのテレビのアナウンサーやタレントさんの様に

輝く様なスマイルが出来ないんだろう?!!

どうしてマイクを持つと緊張するんだろう・・・

悔しい、司会者になりたい!

絶対に出来る様になってやる!!!

 

 

そこから、私のヒーリングの旅は始まったんです。

付録を見たら、関西のお笑いの”亀ちゃん”って女芸人さんが

様々な先生を体験リポートしていて

その中に江原先生が乗っていて、付録に目が釘付けになったんですよね。

 

 

あ、あれ?何かこの方、ホントに本当に見えていらっしゃる様な気がする・・・

文脈だけでそう感じて、当時ネットはありませんし、

掲載番号にすぐに電話しました。

 

当時で半年待ち!

 

秘書さんらしき方が、ご紹介で切る方がいらっしゃいますがと

ご紹介を受けたのが、現在の正木りさ先生です。

 

 

初めての時は、東京に行きました。

お宅の一室を事務所にされていて、

優しそうな感じでした。

 

最初に名前と生年月日を書くだけです。

質問は一切無し、先に守護霊様のあなたに伝えたい事から申し上げます。

とのことで、暫く待って居て、、、、

 

出て来る言葉が全部、ピンポインと攻撃なばかりか

私が注意に当時言っていた言葉が、

知ろう筈も無い初対面の正木先生の口から出て来た時には、

丁度、心臓の真ん中の所から、熱い光がざーっと差し込む様な

初めてのもの凄い感覚と同時に、涙が止まらなくなって

人前で本当に初めてぐらいだだ泣きしました。

 

内容は、個人的な事なので、伏せておくことにしますが、

そこを20才の起点に出来たか出来なかったか?!と言うのは

今振り返れば,人生の大きなターニングポイントだったと思います。

 

 

 

 

その後も、有能な霊能者さんや、見えるどころか

全然霊に化かされてて、自分にそれに気がつかない

私欲で口走ってるダケの人や様々な経験を経て、

本物 と言えるのは20名ぐらいの中で

たった3人で・・・。

 

一人は、そう言った仕事を辞めてしまわれ

正木先生を含む、残りのお二人もジャンルが全然違います。

 

 

自分のフィーリングに逢った方にめぐり会うのが

一番いいかと思いますが。。。

正木先生は、慶応の心理学科だったか・・・

イギリスと慶応とでヒーリングに合わせて

心理学を学ばれるんです。

私が出会った少し後からです。

 

 

霊界の通訳としての個人としての技量は

メディアの露出では計れません。

 

 

先生ご自身の苦悩や、乗り越えられた様々な出来事

それが今や予約の取れないヒーラーへと先生を押し上げているわけです。

 

 

 

といって、人生の中で7~8回です。

そう、何度も要らないし、自分の足で生きてから

行こう!

そんな思いになります。

 

 

軽はずみに頑張っても無いのに、一度のカウンセリングを活かせないのに

何度も短期間で行くのが、申し訳ないぐらいの気持ちに自然となるんですね。

 

 

いつでも、期待と不安と両方入り交じります。

本当の所をびしっと指摘される言葉は、

先生のものではなくて、一生の大親友の

どんな自分でも見守り導いてくれる

守護霊様そのものしか分からない言葉だったりするから。。。

 

 

鼻くそほじくって、街にゴミを捨てていたら

あなたのその姿を見られている事を自覚しましょう(笑

 

 

まぁ、それは極端な例として(爆

 

 

 

 

 

人には持って産まれた課題があるということ

人の人生は、自分でしか変えられないと言うこと

まず、自分自身がしっかりと自力で立って

その上でしか、例え親であっても家族であっても

支え合う事は出来ないということ。

自分の力で立てない人は,人を支えようとすると

自分が倒れてしまうということ。

それは、愛に見えて実は・・・自分自身が助けて欲しいだけのこと。

 

 

・・・今でも覚えている数々の名言、私の今でも宝物です。

 

 

 

 

 

何よりも、人生を捉える観点がそこで大きく開いた広がった事は

言うまでも在りません。

そこから、恋を沢山して、プロの司会者になる道が在り、

そうした中の阪神大震災。。。

その後に起業して、更に色んな目に合い、思わぬ所で子供を出産し

現在に至る訳です。

 

 

 

20才でこの仕事を選んで行く中で、一つの決めては・・・

 

 

 

恋も仕事も美容も何もかも、人として自分が輝いて

その輝きを見て、人を癒すことが出来る。

どんな歩みも無駄にならない職業!って

20才の時はそう思って選択しました。

 

 

 

歳がバレますが、司会のキャリア23年、うぐいす嬢21年

選挙も担当件数をとうとう、200候補を超えました。

私が起業したのは阪神大震災の後、間もない頃です。

 

 

 

今、未来を思うのは。。。

せっかく、開拓して来た私の道へ続く

後進のスタッフ育成と

更なる開拓って所でしょうか?!

 

 

 

今時、50才が聖子ちゃんですから引退はやっぱり60才~65才にしても

これからが集大成なのでしょうね。。。。

 

 

 

おばあちゃんになりかけたころ、娘と世界遺産を巡る旅が出来る様に

頑張っておかなくてはいけません。

思春期に備えて、合気道でも習おうかな?

 

 

 

 

より良い、未来のヒントを沢山ゲットしたいと思います。

また気が向いたら書きますね~♪

 

 

 

20代から出来る事は沢山あるから、

夢を持って、実現しましょう!

一つ目駄目なら次の夢を持てばいいし、

何も夢や目標の無い人生は、長過ぎるかもしれません。

だから、自己憐憫に陥るのが世の常なのでしょうか????

 

 

 

人は隙だと決していい方向に思考が走らない様に思います。

積み重ねてチャンスに備えておく事、

それが 新しい扉を開く鍵なのかもしれません。

 

 

夏のヒーリングでは、今後の人生のベクトルをしっかりと

私の人生のターゲットに絞る為の整理と修正を

計りたいと思って居ます。

 

 

 

まぁ、ヒーリングは信じるも信じないも本人次第。

太陽が万人を照らしているのと同じで

信じたから頑張らずにご利益があると言う事は

全く問題外ですもんね。

 

 

 

私も、そろそろいつ死んでもおかしく無い世代に入って行きます。

これからも歩みを止めずに、充実を宝として持って行ける未来にしたいですね。

まぁ、歳相応に一生懸命、好きな事に向かって頑張んなきゃ!です。

 

 

 


cham