わたしは、無宗教だ。
特に、何か、神様仏様に、お祈りすることもなかった。
でも、実家は、山の上なので、
神様が、近いところにあった気はする。
結婚してから、神様や、仏様に、より近づいた。
米を炊くとき
外にある、小さな龍神様に、洗い米と塩と水を
供える。
その時、小鳥の声や、虫の鳴くのが聞こえると、
いい一日になりそうだと思うし、
神様に、迎えられてる気がする。
その時は、手を合わせ、
精神統一し
『いつもお守りいただいてありがとうございます
今日も、1日よろしくお願いします』
みたいなことを、心の中でいう。
そして、1日が始まる。
夕方に供えることもあるけれど、
わたしなりに、神様とお付き合いをさせていただいてます。
人は、最後は、『祈り』なのかもしれないと
精神科医の名越先生が言っていた。
わたしも、若いころからそれは、ずっと思ってきた。
あたりまえのことがあたりまえじゃなくなった時
わたしたちは、きっと 『祈る』のだろう、、。
特に、何か、神様仏様に、お祈りすることもなかった。
でも、実家は、山の上なので、
神様が、近いところにあった気はする。
結婚してから、神様や、仏様に、より近づいた。
米を炊くとき
外にある、小さな龍神様に、洗い米と塩と水を
供える。
その時、小鳥の声や、虫の鳴くのが聞こえると、
いい一日になりそうだと思うし、
神様に、迎えられてる気がする。
その時は、手を合わせ、
精神統一し
『いつもお守りいただいてありがとうございます
今日も、1日よろしくお願いします』
みたいなことを、心の中でいう。
そして、1日が始まる。
夕方に供えることもあるけれど、
わたしなりに、神様とお付き合いをさせていただいてます。
人は、最後は、『祈り』なのかもしれないと
精神科医の名越先生が言っていた。
わたしも、若いころからそれは、ずっと思ってきた。
あたりまえのことがあたりまえじゃなくなった時
わたしたちは、きっと 『祈る』のだろう、、。