先日、お寺に、布教師さんという人が来て、、、
わたしたちは、煩悩具足の凡夫である、と法話していかれた。
『ふんふん、なるほど、今のわたしにこそ大切なこと』と、話を聞いた。
わたしたちは、
何も知らないのではなくて、、
よくわかっているけれどそれができない、、、無明
そして、、
いつも、自分のものさしでしかものごとを見ることができない
この世には、、
善も悪もないのに、、
自分から見たことが、いつも、正しくて、、
そして、、、
それをかたにあてはめて、ものごとが、うまくいかなくなってしまう。
いつの世も、、
煩悩、、、、怒りや、苦しみや、ねたみ、、を
いっぱいもっている、、具足の、、、
普通の人々、、、凡夫、、なのであるということです。
そんなわたしたちにも、、
道を照らし、、誰をも、導いてくれるのが、
お上人様なのだとか、、、、
そして、その、お導きを知ることができるのは、、、
南無阿弥陀仏、、南阿弥陀仏、、
のお念儒で、、あるとか、、、。
たぶん、、、きっと、、、
そんな感じの話しやったと思う、、、、。
20年前、、
宗教が、最終的に
しんどいことを救ってくれたり、頼りたくなるのは、
宗教だと、思っていました。
いまその時かも、、、、、。
そして、、、
煩悩具足の凡夫の、理解を間違えて理解していたら、、、
親鸞聖人さん、、、、すみません<m(__)m>