昨日から実際の施設に出向いて実習が始まった。と言っても3日だが、これが結構大変。
いつも涼しいところで座って授業を受けていた者たちが1日立ちっぱなしなのだ。
そして、周りは知らない人ばかり。
一発目に受けた指示は「利用者さんとコミユニケーションをとれ」だった。なかなか難しい。
20数人を2,3人で世話しておられる方からは(全員では無いが)「やるかやらんか分からん研修生の世話までやっとられるか!」というテレパシーが発せられてくる。
初日終了時は久々に、グッタリとした疲れ果てた状態になった。「気」を使いすぎたらしい。
実習が始まる前に見学で行かせてもらった施設のリーダーは「そこの職員が笑顔で仕事しているか、見てほしい。」とおっしゃっていた。
昨日と今日と笑顔で頑張っておられる方もいたが、そうでなく、むしろ、怒ってるような人もいた。車椅子を動かすスピードも速く、荒っぽく感じられた。正直、利用者の息子の立場で目の前で母親をそんなふうにされたたらブチ切れるであろう。
なにをそんなにカリカリしているのだろう?
自分も働く側にまわったら分かるのかもしれない。しかし、カリカリイライラして生きていくのはゴメンだ。そうならないように頑張ろう。
今日、来るはずだった1番真面目職業訓練生(60歳)が体調不良で休んでいた。
実習後にスシローでも行こうと思っていたのに。。。
本を読みながらする勉強は終わり、外に出て施設に行っての、見学や実習の段階に入った。それを数回したら、卒業試験をしたら終わりだ。
昨日見学したところの責任者の方が、「テキパキと仕事をこなすより、利用者さんがなにかするのをどんだけ待てるか。」ということを仰った。
自分の母親が通った施設と今回接した施設と、まだ少しの人達しか知らないが、人へのアタリが柔らかいグループとしゃきしゃきグループとあるような気がしてきた。
それは身体介護優先か、利用者にとって何が大切か優先かの違いだと思う。
世の中は常に変わっていく。
通学の途中に信号待ちしてるとカラス達が何かを奪いあっていた。よく見るとそれはセミだった。
毎日、むちゃくちゃに暑い。
最近は毎日のように講師の先生が入れかわる。
今日の先生は一所懸命教えてくれてはいると思うのだが、時間が長く感じられ、途中で寝てしまう。
中身や技術が素晴らしかっても、人への接し方や、伝え方、伝える前の土台造り、コミユニケーション能力は大切だ。その先生も『なんぼ素晴らしい技術を持った介護士も利用者に嫌われて拒否されたら終わりだ。』とおっしゃっていた。
今回、職業訓練を受けるにあたって、また、就職するにあたって、今まであまり思わなかったことを思った。
人と接する際の『硬さ』のようなものだ。
今回関わった方々は柔らかい感じだった。
角がない、丸い低反発マットのような感じだ。放たれる言葉も柔らかく、ゆっくりとこっちに届いてくる。そうされるとこちらも安心して、リラックスできるのだ。
私は硬い。石コロだろう。スピードも速めで、失言も多い。自分を守ろうとして、硬く、強くあろうとしているようだ。
石コロが飛んできて、びっくりしたり、心を閉ざしてしまった人や遠ざかっていった人達もいただろう。石コロとしても硬いものにぶつかるとタダでは済まないこともある。
「低反発マット」とか「わた」みたいな方々は凄いというかなんというか偉いでもないし、正しいという感じかな。
(画像とブログの内容は全く関係ありません。)
少し前から職業訓練をハローワークから任されている組織の紹介で就職の話が進んでいた。
この組織は大きく、介護の施設や老人ホーム、そして病院。資格をとった人間の就職先を紹介する部署まであって、ぬかりのないかんじだ。
正直なところ、その組織の都合のいいようにされるのではないか、と考えていた。
家の近くの病院を勧められ、今日、面接を受けてきた。驚いたことに、事務方の人は少年の頃私のやっていた熱帯魚屋のお客さんだった。(私は思い出せなかったが)
看護部長さんがメインで、面接が行われて行ったが最後は泣きそうになった。
優しいのだ。あとから聞けば75歳であられるとのこと。
「仕事を楽しんでやってほしい。」の言葉が印象的だった。
採用になるのかどうか、なったところで務まるのかどうか、不安はある。
けれども、いいように利用されるのか、という不安は無くなった。
そういう人達、そういう環境ではないことが分かった。