非財務情報におけるナラティブの深い意味を解説したコラム的記事。前金融庁長官が書いています。
米SECのMD&Aの解釈ガイダンス(2003年)によると...
「制度的な期待としては、ナラティブが単に「記述」という意味だけではなく、言葉本来の「物語」という意味も有していることが、この解釈ガイダンスではっきりしたといえるのではないか。」
開示府令改正や2019年の「記述情報の開示に関する原則」により、日本でも記述情報の開示は充実してきていますが...
「今のところ、さすがに「物語」という言葉までは出てこない。おそらく「記述情報」という時の「記述」がナラティブの訳なのだろうが、エンロン後のガイダンスで示されているナラティブという言葉のニュアンスは、「記述情報」という言葉よりは少し広いのではないか。」
金融監督でも...
「内外の経済・市場の動向把握から始まって、それに基づくリスク管理に関する具体的な問いかけ、日頃のやり取りを踏まえた決算ヒアリング、そして銀行の現状と課題についての仮説構築、データによる検証、立入り検査に際しての銀行内外の人々からのヒアリング、仮説の修正と検査後の対話の継続、というプロセスを繰り返す、そういうアプローチをとるようになった。
仮説の基本は、話し言葉で人に伝えられるようなナラティブの形を取っている。情報とナラティブの間の往復運動を繰り返すことにより、金融庁が描く当該行の肖像画が、表面的な似顔絵から、骨格まで分かるものへと深まっていくことが理想だ。」
他方、「ナラティブは強力なものであるだけに、その危険についても踏まえて置く必要がある」とのことです。
「自分の経営について素晴らしい話をして、世間に深い感銘を与えた人が、世評の頂点で自社の経営に失敗して静かに退場する、といったことは、私たちが間々見聞きすることだ。もちろん時の運という面が一番大きいのだろうが、メッセージを明確にして分かりやすく伝える力は、新しい経営を推し進める力にもなれば、自分のメッセージと不整合な新しい兆しに気付く力を殺ぐことになるのかもしれない。」
「経営企画部のエリートさんにありがちなのは、いつでもその時の都合に合わせた新しいおはなしを自在に製造できる、ということだ。前の経営計画の実績未達から、最新の世界情勢や経営理論までを美しく包摂するが、それこそただの「おはなし」で、悪くすると壮大な無駄とノイズになってしまう。」
監査人は、聴く人のことであるといわれることがあります。会社から、物語を聴くことも必要でしょうが、ただの「おはなし」ではないか、懐疑心をもって聴かないといけないのでしょう。