原因は、私の物言いが過ぎてしまうこと。
自分の考えを滅多に外に出さない大人しい夫に対して、私が言い過ぎてしまい、気づいたときはもう遅い。
気まずい時間を過ごすのはイヤだから、行き過ぎを謝ろうとしても、
「近づくな。そばに来るな」の一点張りで話ができない―。
そもそも、結婚1年前に一緒に暮らし始めたのだけど、
部屋探しの時に相手の年収を知って、そのあまりの少なさに驚き、
だからといって具体的に転職先を探すために努力しようという感じもなく、
自分の気持ちが暗くなり、態度がつっけんどんになってしまったことがある。
そのとき、うちに来ていた夫は、私の態度がおかしいのに気づいて
「帰る」と一言いって、自分のアパートに帰ってしまった。
それ以来、連絡がとれず、一度電話で話したが、相手が何を言っているのか
わからない。言ってることは聞こえているのだけど、
言ってる内容が理解できないという意味。
このまま一緒に暮らすことがいいのか、このまま別れてしまった方がいいのか、決めかねた挙句、このまま中途半端はよくない、自分が悪かったと夫のアパートに謝りに行き、そのときは収まった。
収まったのだけど、結局、3年半経ってもなにも解決もしていないし、
何も乗り越えちゃいないと、今回の4度目の危機であらためて思った。
根本的な価値観が、実は全く違うんじゃないか
私の夫への不満は、具体的になんの努力もしてないのに、
それを私に指摘されると途端に不機嫌になること。
夫は私に、「もし子どもがいたら、きっと頭ごなしに言って
やる気を亡くさせるに決まってる」という
でも、自分の子どもにそんなこと言うわけないでしょ。
自分に子どもがいたら、ほめてほめて励まして伸ばすわな。
「アナタは私の子どもですか?」と言いたい私。
「どこかいい転職先あった?仕事が忙しくない今のうちに動いておかないと、あっという間にまた一年経っちゃうよ」というと、
「これから何がどう変わるかわからないのに、どうしていつも決め付けるの?」という。
何がどう変わるかわからない←そりゃごもっとも。
でもそれは、何の手も打たずに座して待っていて訪れるものだろうか?
できることをし尽くして、あとはもう待つだけだ―という状況ならまだしも
休みの日は一日インターネットばかり。
何を見ているのかと思えば、神の声がどうとか、宇宙がどうのこうのとか、正直言ってそれがどーしたというものばかり。
一度夫に、「それって現実逃避じゃないの?そういうの見ていて現実に、何かが変わったの?」と言ったら、キレた―。
夜中まで家に帰ってこなかった。
でも、お金がないからどこにも行き場がないから、帰ってきたけど。
「こっちに来るな」といわれて、自分の仕事部屋でほとんど眠れずに夜を明かしたことを、如実に思い出した―。まだ1年経っていない去年のことだ。
この結婚は、実のところ、失敗だったんじゃないかと思う。
夫を面白いと思って好意を持った。それは事実。
でも、人として、尊敬できたり、この人についていこう―と思えるものが欠如している。
例えば、何かにひたむきになって取り組むこともなく、夢や希望をもって、それに近づくために何かをしているわけでもない。
じゃあ私は、なぜ結婚したのだろう?
いくつか理由を考えてみる。
・30前半で結婚を考えた人に実は妻子があることがわかり、それでも
一緒になろうと努力したが、結果的に破局。その後、30後半になってもピ
ンと来る人(自分から好きになれる人)に出会えなかったからだ。
・友達一人もいない、引きこもり気味の風変わりな夫を、面白い!と思ったからだ。
・夫と一緒にいると気が楽で、いつも自分らしくいられると思ったからだ。
・フリーランスの不安定な生活も、一応会社員の夫と暮らせば、
いくらかマシになると思ったからだ。
自分らしくいられることに胡坐をかいて、夫の機嫌を損なわせてしまったことは反省すべきだし、もっと学習しなければと思うけれど、夫に対する根本的な不満が解消されない限り、自分が下手に出て謝る事がそのうちできなくなってくるかもしれない、とも思う。
夫の年収は250万に満たない。ボーナスはなく、3万程度の寸志のみ。
夫は、自分から転職活動をしたことが一度もない。
私が夫に会いそうな求人を探して、こういうのあったよと教えてあげて応募。
これまで7,8社受けたが、一社も引っかかったことがない。
その繰り返し。
私は自分なりに新規仕事を得ようと努力しているつもりだ。
せっかく力量が認められて仕事をとったと言っても、夫は「ふーん」だけ。
喜びを分かち合いたいのに、そういう気持ちも半減してしまう。
「すごいね!頑張ったね!」と一緒に喜んでくれていいものを―。
たぶん、人とのコミュニケーションが極端に苦手で避けて通ってきた夫は、
そういうときにどうしたら相手が喜ぶか、わからないのだと思う。
そして、周囲にほとんど関心がないのだと思う。
私が相手を面白がるだけでは、いつかはダメになってしまう。
人間として、尊敬できる部分がなければ、いつかはダメになってしまう。
だって、夫は私の子どもじゃないのだ。
確かに私にも直さなければいけない悪い部分はたくさんある。
あるけれど、最近思うのだ。
いつまでも子ども相手におままごとをしていられないと。
私が夫に、「何がどう不愉快だったのか、どうしてほしいのか、自分ではこう思っているが、違うなら説明して欲しい」といっても、まともに説明できないのかしようとしないのか、「説明できない。あっちいって」としか言わない夫。
発端は思いっきりつまらないことなのに、ヘソ曲げて、突っ張りあって、
なんだか馬鹿みたいだ。
“妥協したツケ”が今、回ってきているのかもしれない―。
このまま続けていいものか、悩む、悩む。
もし別れたら、双方の両親に対して、とても申し訳なく、
回りに対してもとても恥ずかしいけれど―。
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