うさことママのお気楽日記

うさこです。老女の母とのなんて事のない日常を思い出にしようと書き続けています。

f母への 感謝の 手紙

2016年06月28日 17時34分49秒 | うさこ7ママ
_s.

何なに どうしたの うさちゃん
お母ちゃん 入院していたとき ベッドで 髪の毛 溶かしてあげて お顔に乳液 塗って 眉墨で まゆ書いてあげて 鏡 見ていたときの 笑顔が 忘れられないの

だって 眉毛が 酸いのが 嫌なのよ
沢山の思い出が あるから いろんなことが 浮かんでくるの ありがとう
一番の思い出は ベッドの脇で 寝てしまったとき・・・気が付くと お母ちゃんは うさこの頭をなでで 笑顔で見守っていたよね。
うさちゃんが 可愛いのよって あの時 言ったでしょう。


これは本当の話です。母に頭なででくれてありがとうと 言ったら 大事な大事な娘だものと いってくれました。 
うさこは 母が苦しんでいたとき 手をつないで いることしか 出来なかったの
ごめんね。
親はね 子供が 一緒にいるだけで 何も 望まないのよ
そういう言葉も うさこに くれたね。 ありがとう 今はね 思い出゛が沢山あるから 大丈夫よ  
 嘘よね。 強がらなくて 良いのよ
そうだよ 嘘だよ 淋しいよ。 淋しいよ。一人ぼっちになって 淋しいよ。
足が痛くて 強がり 言わなくて良いのよ、足をさすっててあげたい。

母は うさこが足が痛いときに脇に座って 泪しながら リウマチに産んでしまってごめんねと いつまでも 擦ってくれていました。そんな 優しいははでした。お返しも出来ないうちに亡くなってしまいました。ごめんね。
でも うさこ 頑張って 前向きに生きるからね。 お母ちゃんが 天国から 安心できるようにね。それしか ないもん。

さようなら うさこママ 産んでくれて ありがとう

2016年06月24日 18時18分49秒 | うさこ7ママ
 何年も ブログを 更新していなかったから ブログの やり方も 忘れてしまった今は思い出しながら かいています。
久しぶりに 母との会話を妄想してかいてみます。

うさちゃんを一人置いて自分が 黄泉の国へ行くのはつらかっのよ。
お母ちゃんが亡くなってから お母ちゃんの友達が言っていた この子だけを残してて死ねないって・・・暮らしていて幸せだったって
うさこの方が 幸せだったよ 親であり姉であり 親友であり うさこの全てでした。本当に大好きが止まらない 魅力的な 可愛い 素晴らしいははでした。 うさこは この母の娘で産まれたことが幸せでした。ありがとうございました。
もっともっと 長生きして欲しかった。寝たきりで良いから まだまだ面倒見ていたかった

さようなら うさこママ そして今・・・・

2016年06月22日 18時11分09秒 | Weblog
お久しぶりです うさこです 大好きな 大好きな うさこママが 2月10日に 敗血症で 亡くなりました。 悲しみすぎて母の葬儀がおわり すぐ 入院しました。 病名は 逆流性食道炎と 憩室炎と言う 腸の 病気です。本当に 悲しかったです。 パソコンも とょうど壊れていてブログも 更新出来ませんでした。母が亡くなり4か月経ち又 ゆっくりと 再開したいと思います・ 弘子ちゃん 高橋さん パソコンは 動いています。ありがとうございました。又
 うさこのすまーとふぉんが 壊れていろんな方の携帯の 電話番号と アドレスがこわれてしまいました。 お手数ですが うさこの友達の方kajigon7@jcom.home.ne.jpに ご一報いただけるとうれしいです。よろしくお願いいたします。
又リウマチで現在 歩くことが不便です。 担当医から 点滴か 皮下注射の 新薬を すすめられましたが 不安で まだ 返事はしていません。 この治療をしている方
効き目とか 痛みは どうなのでしょう 教えてください。もしかしたら 今のうさこには 精神的な辛さも あるのかも知れません。今は ブレドニンと ボルタレンで 痛みを 紛らわしています。このブログも ママと一緒に さようなら しようかと 考えています。

でも・・・脳梗塞になんて 負けないよ

2015年04月22日 11時23分39秒 | Weblog
退院してから考えてきたことだけど・・・負けてなんていられない


 現在は 母を預かっていただいた施設から 連れて来て 二人で暮らしています。

上手くは言えないけど


  母はうさこが倒れる前のうさこと  思っている

 そして うさこは 以前の母だと思ってる・


でも 母は 違って来ています。  すべて うさこが倒れたことが原因てす。

気力が無いのです。  何か月も施設にいれば仕方ないですよね。

だから うさこは イライラ{/angry/ でも もうすぐ95ですもの。 これだけ しっかりしているのは
幸せだよと 言われます。 時間がかかったって 杖いて 自分でトイレにも行くし。
洋服も自分で着るし これ以上 何を望むの ?

 今は母を怒らずに  おこる自分も 許せないです。自分も笑って暮らそうと努力しています。
  母のヘルパーさんや ケアマネさんにささえられてさこは 幸せです。
  多分 神様は 倒れる事で  母との 穏やかなじかんを与えてくれたのでしょう。
   今 母は とても 母にあった 今週からデイサービスに 週ニ回 出かけています。  振出一日中 一緒にいるより 幸せな症状をしています。  だから うさこも 幸せです。 今までは  自分がすべて してあげなくちゃと 半ば 強制的に 自分の心に 鞭打っていたのでしょう。だから毎日泣いてばかりいました、思い通りにならない 自分の身体母の介護で いっぱい いっぱいだったのです。

  ヘルパーさんに言われました、うさちゃんを ずっと 大事に育ててくれた おかあさんだよ。 泣きながら面倒見るのは お母さんが 不安になるよ。 ヘルパーさんに こういわれました。 人生は 泣いても 笑っても 時間は同じにに進むんだよ。 笑ってお母さんを 過ごさせようって。 二人とも 一歩ずつ 前に 進んでいるんだよって。

そうですよね。 後遺症になんて負けていられませんよね。

救急車から 病院へ

2015年04月18日 18時12分35秒 | Weblog
  ここからは はっきり言えば
 まだら記憶です。
 弟が仕事帰りに 様子を見来たら 完璧 おかしい状態だったそうです。川崎の兄は 実家に向っていると連絡し合っていました、弟は 色々病院に電話して 連れて行きたいと 相談していましたが・・・幻覚が見えたり 精神的な4病には対応出来ませんと 断られ 最後の手段として救急車を頼んだそうです
ところが新型救急車らしく 家の前までは入って来れませんとマァー途中の公園から連絡があったそうで だから近所の人は7うさこが運ばれたことさえ知りません。で・・・家に救急隊員の方が2名来てくれました。ても ストレッチャーではなく 足袋に入れられ一人用の担架でした。
今思えば 近くの救急車が入れる場所まで一人で運ばれたような気がします。そのあと 救急車の中の ベットに 寝かされと思います。

そして言われたことは はっきり7覚えています。
ここはどこだかわかりますか?
救急車の中です。

今 売れいれ可能の病院探しています。 私たちが誰だかわかりますか?

はい。ハンサムな 救急救命士さんです。(なんか・・・突っ込む元気が出たのは 救急車にいると言う 安心感でしょうか ?)
⇒ 少しずつ記憶と 周りの話からの 聞き取りですけど(笑)

救急車に運ばれるまで・・・・

2015年04月18日 06時31分07秒 | Weblog
突然おかしくなったのかケロ

ぐ具合が悪くて 熱が42度まであって  
具合が=悪い間 川崎から毎日兄嫁が看病してくれていました。
       兄は 仕事が終わって うさこの家に泊まり 朝4時半に仕事に出かけていました。 母はその頃施設で不安な毎日を過ごしていました。
 時々携帯で うさちゃん 不安なのよ 不安なのよ 寂しいのよと 訴えていました。 でも うさこには どうすることも出来ませんでした。

兄嫁と タクシーで いくつもの病院へ行き 点滴を打っていました。
点滴さえ打てば元気になれると思っていたのです。  そうすれば母を迎えに透けると信じていたのです。⇒⇒  続きたい
     

入院していました。

2015年04月12日 18時00分10秒 | Weblog



本当に本当にお久しぶりです。

うさこは 突然消えるからなぁー  今回はどうした。


うん。
 脳梗塞で・・・入院していた、
うん 助かって良かったなぁー

  実は11月に 母は 足の膝を骨折して 入院を年末までしていました。
仕事をむ毎日早退して 通いました。個室しか空いていなかったので 会話をしないと うつ病が悪化するとおもったのです1。 この骨折した日 うさこは 胸騒ぎをして早退して家に帰宅したのです。母にヘルパーさんが付き添ってしてくれました。

何件か病院を回り最終的に整形外科から電話をいれてもらい 国立病院へ行きました。
ここから約70日間の入院でした。手術をしてリハビリをしてお正月に退院しました。

リハビリ 頑張ったんだなぁ。

うん、これで悪夢は終わると思っていたんだけどねぇー。

今度は どうしたぴよ

お正月の9日間の休みが終わり 母の昼間一人の生活が続きました。
 母は食欲が無いからと ご飯も食べずに 脱水症状になり 地元の病院に 入院しました・
かなり重症でしたが・・・点滴で 少しずつ元気なりました。その間に 要介護3になりました。
  もう 会社に言いました。
母を失うことより 仕事を失う方を選びます。と
もっと早く結論していればよかったけど・・・本当に仕事大好きだっんです
これで母の最後の時間まで 笑って暮らせると 思っていたんです。

仕事を辞めて 風邪に似た症状が出ました⇒胃腸風邪と言われました。

その日からだんだん熱が上がってきました。
翌日 母のケアマネさんに連絡して母をショートスティ出来るところを探してもらいました、 それ2か月近く続くとは思いませんでした。
母はお迎えの車が来て乗るまで震えていたそうです。かわいそうですね うさこはここら辺から あまり記憶ヶありません。

母がショートスティの間に兄夫婦と弟は 毎日両方を行き来していました。
少しだけ良くなったかな? と思った夜中 救急病院に行きました。
その時
女性ドクターは いつも どんな薬飲んでいるの?゜
トラムセットと ボルタレン S いRです。
女性ドクターは この2つの組み合わせは 麻薬と同じ 中毒症状ですよ。
処置は危険で 出来なので・・点滴だけで おうちに 却ってください、

今は長時間 パソコンに向かうことも 普通の速さで打つことも困難です。
 いつか  続きが打てたら良いなと思います。

母の誕生日

2014年09月10日 23時55分56秒 | Weblog
9月10日は母の94歳の誕生日

無事迎えることが出来ました。

そして9月15日は敬老の日

今年は五木ひろしと冠じろうの歌謡ショーでした。

なぜ過去形?

誰かが市役所に敬老会をするなら、放火すると恐喝電話したらしいです。

楽しみにしていたのに酷い かわいそうです。

今日はそのために・・美容院行ってお祝いに母の大好きな焼き肉に行きました。

写真は焼き肉の高砂でスイーツプレゼントしてくれました。

このスイーツに花火がついて来ました。

娘としてはまだまだ元気でいて欲しい。

其れだけが願いです。

中々ブログが書けない。

リウマチも痛い・・でも相変わらず仕事している自分。

母と一緒にいたいけど仕事もしたい。

複雑な気持ちです。

お彼岸の来客終了

2014年03月22日 22時43分38秒 | Weblog
ただ泣きたくなるの・・・


昨日と今日と兄夫婦と弟夫婦でお彼岸のお参りに来てくれました。

お墓の中の父と兄 そして私の姉・・それは弟の母親も喜んでいるでしょう。

なぜだか疲れてしまっています。自分でもどうして良いか悩んでいます。

誰か私を預かってほしい。そしたらうさちゃん 少し楽になるんじゃないのと又泪

何があっても・・一人にしないから。大丈夫だよ。

こんな状態が続いているのででも一緒に暮らしていない人にはこの苦しみはわかって貰えないですね。

やっぱりお墓や家に来てもらったらごはんを出します。

あれー うさこ料理できたっけ?

と・・・言うわけで出したもの(笑)

昨日と今日と一緒です(笑)

お刺身は2回お魚屋さんに予約しておきました。そして塩辛も。

 + 

兄夫婦にはなめたの煮つけ⇒母が作ります。弟夫婦にはきんきの煮つけです。
なぜか海水の温度が高くこの頃は良く採れるそうです。でもね・・やっぱりお値段高いですね。

 + 

弟の家のR君には アクエリアスとロッテリアチキン ローストポークです。

  +  

R君の行っている中学校のあんなちゃん≪朝霞で行方不明の中学生≫お父さん宛に手紙が来たそうです。それには熊谷(埼玉県)の消印だそうです。元気だから心配しないでと来たそうです。

でも心配ですよね。当然です。早く帰って来て下さい。

魚以外は並べるだけだから・・・体裁は整えられます。

母はお料理とかはすべて一人で出来ます。大したものだと思いますが、冷蔵庫があきっぱなし・水道が出っ放しとかの程度です。93歳にしては普通なのかもしれません。頑張ります。

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母の言動が不安

2014年03月21日 23時59分37秒 | Weblog
旅人/ケツメイシ


この頃の母の言動が不安です。

良く泣くし・・同じこと何度も聞くし

その事 さっきも言ったよね。

そうだっけ

もういい加減にして欲しい

自分でもわからないのよ。どうしてなんだかわからないよ・・・
私・・このまま呆けてしまうのかも知れない

長生きしすぎたのかも知れない・・自分でもどうすれば良いの

本当にこんな感じで毎日を過ごしています。

今日はハグして泪を受け止めました。

もしかして・・・辛い

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