どうして うさこは いつも ねこの写真を 入れていたんだけろ
それは うさこママが うさこを 猫かわいがりしていたからよ
ママは にゅういんしていても文句 一言わなかったもの 凄いよ
点滴は足の太ももや ひざ下に 針を刺して 痛かったのに・・泣き言一つ言わなかったね。
いつも看護士さんに ご苦労様って言っていた。
だって 看護士さんも仕事だし 痛いのに ごめんね。ごめんねって 可愛そうだよ。
ごはん食べる体力無くて 泣いて食べ゛ていたね。だから うさこは ご飯の時は 病室にいて なるべく うさこの手から食べさせてあげたかったのよ。
雨の日も雪の日も来てくれるの わかっていたからなるべく笑顔で笑顔で待っていたから。
家から電動車いすで 行くときは楽しかったけど 夜帰る時は辛かったのよ。
孫もお見舞い来た時に ばぁちゃん 帰るねって言ったら 今支度するからまってて
負ぶって 家に連れて行っての時は本当に辛かった。
亡くなる何日か前にてを上げて起きて お母ちゃんと叫んだね。泪が止まらなかったよいろんな人が 父や姉や兄が迎えに来ていたんだね 信じるよ。
今は痛みのない世界だから心配しないでうさちゃん さようなら うさちゃんの 最後の時は迎えに来るからね。
その日まで ママの優しさを忘れずに心の中で一緒に生きているからね。
本当にありがとう そしてさようなら
妹が亡くなった時は残念に思いましたがさびしいとかそういう想いはありません。
めいっぱい遊んでいるのでいろいろ考える暇がないのです。
うさこさんが暗く沈んでいるのを見て、リウマチは悪くなってしまうよ~ということが言いたかったのですが、、なかなか伝わらなくて残念に思いました。琴りんさんには少し伝わったような気がしました。あの方はどうしていらっしゃるのでしょうね~母の歳もとっくに越したのにこんなに清々しく溌剌と生きていられるのは強烈な楽観思考によるものなの~そうなれたのはリウマチに苦しんだあの頃があったからです。うさこさんが感じたように経済的に恵まれていたからかもしれませんが、経済的に恵まれていても嫉妬深くていつも愚痴をこぼしている人もいますからお金さえあればいいというわけではないですよね。人と競争しない、比べない、妬まないことが幸せになる必須条件だと思います。
うさこさんとはご近所ということもあってブログも時々みていました。もうずっと前のことですけれどね^
志木には今も用があって行きますけれど、朝霞はもう全然、、、変わりましたか?
セレブぶったことを話したつもりはなかったんですけれど、うささんにはそのようにうつってたみたいですね。ブログでうさこさんと話していた人達、、今はどうしているんでしょうか~
私の母は40代で亡くなり、年老いた姿は見てないのです。やっぱり優しかったですよ。