宮沢賢治の作品の多くは私にとっては難解で作者は何を読者に伝えようとしているのだろうと思うことが多いです。唯一「セロ弾きのゴーシュ」だけは理屈抜きで楽しめます。何回読んでも、何回DVDを見ても、楽しくて愉快で笑ってしまって、最後は温かい気持ちになります。夜になるとゴーシュの家にやってくる三毛猫・かっこう・こだぬき・野ネズミの母と子たちは個性豊かで、さながらゴーシュの音楽のセンスのなさを指導する音楽講師のような役割を果たしています。彼らの指導のかいあって、観客からはアンコールの拍手!楽長や仲間からは努力(三毛猫たちの訪問者のおかげ)が認められました。だんだんうまくなっていくゴーシュのセロの音が聞こえてくるようで、宮沢賢治の作品の中で一番好きです。
私にとって映画は楽しくて笑いがある方がいいです。その点「オケ老人」も「ディア・ドクター」も観客を笑わせて今の社会の矛盾をさりげなく描いていることでも共通しています。違うのは「オケ老人」荒木源さんの原作と映画と相違点はあるものの「映画と原作はこんなもんだろう」という範疇にあります。小説の方がスパイも出てきて内容にボリュームがあり、映画は小説では表せない演奏の部分を目と耳で楽しむことができます。「ディア・ドクター」は「昨日の神さま」に収められていますが、映画との共通点を探すことが難しいです。どちらの映画も一回だけでなく何回か見ました。原作も何度も読みました。「ディア・ドクター」はこの小説から西川美和さんが、どのようにして笑福亭鶴瓶をニセ医者として登場させたのか想像するのもいいかもしれません。
赤城というのは腕は、いいけれど職人気質で曲がったことの許せない電車整備工の名前です。タイトルに赤城とついていますが、彼が出てくる場面は全体からするとそう多くはありません。引きこもりの青年、世の中を拗ねて生きてきた青年、妻を亡くした男、息子を亡くした男、電車会社の下請けで重圧にたえている三代目社長などなどの登場人物がもがいている傍らでさりげなく影のように寄り添い一歩踏み出したのを見届けて消えるように去っていきます。最初から最後まで謎のままの主人公です。この小説を書いた山田深夜さん自身が京浜急行電鉄に20年勤めていた経験から、電車のメカニズムその整備にかかわる人たちの営みがリアルに描かれています。油のにおいがする小説ですが一方ではハーモニカやギターのかなでるブルースが聞こえてくる不思議な小説です。なぜ?と思ったら是非手にとってみてください。旧型の電車が新型にとってかわり、むかしかたぎの整備工がリストラの対象になっている現実の中で、次の世代を育てていこうとする大人たちの必死さに心を動かされます。私は山田さんにエッセーや短編小説ではなく、是非この続編も書いてほしいと願っています。
ストレスがたまると伊良部医院の神経科医師伊良部一郎先生にあいたくなる。薬を処方するわけでもなく率先して自分から反社会的なことをやってのけ、この人には普通という言葉も常識という概念もない。だから一緒にいると、自分の抱えている問題が世間でいう普通とか常識にいかにとらわれていたか気づかされる。だから名医なのか?それとも迷医なのか?ただしGOOGLで検索をかけてもこの医院の住所はでてこない。奥田英朗の小説「空中ブランコ」や「インザプール」の小説の中だけにしか存在しない。伊良部先生が登場する小説のなかでは「空中ブランコ」がお気に入りだ。他の作品も伊良部先生は期待通り常識破りの言動で迷える子羊をトンネルの出口にいざなってくれるのだが、作品の構想のたくみさはやはり「空中ブランコ」が私の中では一番だ。奥田英朗という名前にひかれて何冊も読んだが、そのたびに何となく期待を裏切られたような気分になる。伊良部医師のキャラがあまりに強烈すぎて他の作品を受け付けられない体質になってしまったようだ。
「木を植えた男」ジャン・ジオノ 原作/フレデリック・バック 絵/寺岡 襄 訳 「一人では何もできない」と言われるが、この本の主人公エルゼール・ブフィエは一生をかけて一人で種を蒔き苗を植え荒れ地を緑豊かな土地に変えていった。壮大な物語と壮大な絵画の融合。絵本というジャンルにくくれない。動画にもなりどこの映画館だったか記憶にないが、この本と同様に男が種を蒔き景色が世界が人々が変わっていく様子を物語の世界に入り込んで体感していた。オリンピック中も戦いをやまない愚かさを持ち合わせるのも人間なら、一人で荒れ地を豊かな地に変えたのも人間。