私が記憶している最初の物語は小川未明の童話「赤い蝋燭と人魚」です。私はまだひらがなも読めませんでしたから4歳か5歳のころだったでしょう。高校生の兄が読んでくれました。まったく挿絵のない文字だけの文庫本でした。なぜ絵のない文字だけの本から美しい人魚や海辺の風景そして赤い蝋燭が目の前に飛び出してくるのか不思議でたまりませんでした。私はこの物語がずっと好きでした。でもよく考えてみると最初に読んでもらった時にはこの童話の内容はわかってなかったのだと思います。人魚や海辺、赤い蝋燭を想像していただけだったかもしれません。心優しい老夫婦が言葉たくみな香具師にそそのかされて人魚を売ってします悲しい話は、その後自分で本が読めるようになってから学校の図書館か町の図書館で借りて読んだのだと思います。
「老害の人」と「90歳なにがめでたい」どちらも話題になって前者はテレビドラマになり、後者は映画になりました。テレビも映画も評判がいいようです。この作品の人気から「老人テーマの時代が来たか?」と言った友人がいます。でも私は少し違うと思っています。内館牧子さんの「老害の人」は高齢者が老害をまき散らすところから始まり、高齢者が誇りをもって高齢者のための居場所を作るという痛快なラストで終わります。でもテーマは若者世代・子育て世代・中堅世代・孫と親の介護にかかわる世代それぞれの言い分や生きがいや生きづらさが描かれています。小説ですが客観性があり説得力があり、データ収集の上になりたっていることが分かります。そして、どの世代もいずれは「消えていく」だから「今をどう生きるか」がテーマのように思います。読み終わってちょっと切なさが残ります。
佐藤愛子さんの「90歳なにがめだたい」は高齢者の年齢に逆らうことのできない「老い」を書いていますが、それで終わらないのが愛子さんのすごいところ「マイナンバー」から現代日本の心を後回しにしている文明批判」「子供の声がうるさい」という風潮への考察。どうしてそうなったのか掘り下げています。「老害の人」読後感が「切ない」に対してこの作品は「爽快さ」です。この年齢になっても情熱と冷静さを兼ね備えた愛子さんの元気な声が聞こえてきます。
まだひらがなが読めなかった幼いころ高校生だった兄が童話をよんでくれました。絵のない文字だけなのに、どうしてこんなに楽しいのかな?とても不思議でした。それから故郷のまちにあった図書館の子どもの本コーナーで絵のたくさんある本からひらがなを拾い読みして本が好きになりました。今でも、本が好きです。今、よんでいるのは佐藤愛子さんの「90歳なにがめでたい」私の姉も元気印の90歳なので姉とダブらせて楽しんでいます。