50代、子なし主婦のKakurega

心のままに…日常のこと、思った事を気まぐれに好き勝手書いてみたくなりました。「ネガティブだっていいじゃない」

文明堂・3時のおやつあんぱん

2023年12月25日 11時43分00秒 | 食🍽️🍙🍇
たまたまネットを見ていたら
3時のおやつあんぱんの紹介を見て、
3時のおやつあんぱんって何?
とサイトを見ると文明堂のホームページ。
 
すぐに
🎵カステラ1番
 電話は2番
3時のおやつは文明堂〜♪
 
という歌とCMを思い出し
懐かしさで思わず購入してしまいました笑
 

3時のおやつあんぱん|【カステラの文明堂】WEBサイト&オンラインショップ

大人気♪テレビCMでお馴染みのカンカンベアの焼印を押した、かわいらしい手のひらサイズのあんぱんです。各週、数量限定でのご用意となります。<...

 

 
3時のおやつあんぱんは限定販売で
最初から、決まった日にちのお届け分として
購入する感じです。 

受け取り時間の指定はできました。
 
予約期間は配達予定日の2週間前くらいから受け付けつけていたので、
注文したあとすっかり忘れていて
文明堂の箱が届き思い出しました。

中には6つのおやつあんぱん。

お裾分け用?に使う紙袋もありました。



手のひらサイズの可愛いあんぱん。

賞味期限は1週間くらいでしょうか?


いい香りがするのか、猫ちゃんがクンクン。


3時のおやつではなく、
レンジで20秒チンして
夕食後に夫と半分ずついただきました。
 
 
 
パンというより、カステラ?
 
…というよりは、伊達巻??

いや、伊達巻ほどしっとりしてない。
 
卵の濃いホットケーキ???
 
 ピッタリの説明はできないけれど(笑)
何となくイメージは伝わるでしょうか?笑
 

そんな感じの生地に
少し甘めのあんこが入っているというものでした。
 
レンジをしたのであんこが熱々、
周りはふわふわしていて美味しかったです。

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メリークリスマス🎄

2023年12月24日 23時51分00秒 | 日々のコト✏️〰️
クリスマスイヴの日曜日ですが、
24日は義母の月命日です。

義母が亡くなって11年、
毎月 お墓参りにいっているのですが
お義母さんも、嫁より息子が行く方が
嬉しいのはわかってはいますが、
夫は平日は行けないので
普段は私で我慢していただき、 
24日が日曜日に当たる時は
夫と一緒にお墓参りに出かけます。



お寺にはやはりクリスマスなんてものは
全く関係なくて(笑)

でも、街のキラキラも素敵ですが、
お寺や神社⛩️の雰囲気はいつだって
静かで落ちつけるので大好きです。


お花をいけてお掃除をして、、、 
夫も年に何度かの事なので
黙ってせっせと動きながら
心の中で久しぶりのお義母さんに
何か話しかけたりしているのでしょうね。




お墓参りのついでなので、 
お寺の帰りに夫の実家にもご機嫌伺い。

旦那さんの実家に寄ってしまうと
長居をするつもりはなくても
やっぱりすぐには帰れず、、、


なんだかんだであっという間に日も暮れて、
寒いし何となく疲れたし… 


外食して帰るのも面倒になってしまい
結局ウチに帰っていつもと変わらぬ夕飯を食べ、
いつもと変わらない夜を過ごしました(笑)

ニャンコちゃん達もいつもと変わらず 
ソファでまったりしてました(笑)


食事が終わり片付けをしながら
地味なクリスマスイヴだな、、、
なんて少し思ったりもしましたが、
でも、いつもと変わらないことを 
いつも通りにできたってことが、
実はとても有難いし幸せなことなのでしょうね。



   メリークリスマス🎄
    みなさんが、
笑顔のクリスマスを過ごせますように!

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解決は出来なくても時が経てば色んな意味で笑えることもある

2023年12月24日 04時00分00秒 | 想う🤔
子供の頃、三条に行くと八幡宮で猿や孔雀をみたり
姉妹で遊んだ楽しい記憶はあっても、
お祭りだからと遊びに行ったはずなのに
お祭りなんて見たこともない(笑)

同時期東京の会社に就職した父の妹が里帰りしてた時に
一度だけ一緒にデパートに連れて行ってもらったことがあり、
子供心に楽しみについては行ったけど
デパートの宝石売り場に直行し、
おばあさんが叔母にネックレスを買ってあげ、その後寄り道なく帰ってきたり、
挙句
夜寝ている時、おばあさんに手を踏まれて、
骨にヒビが入ってしまったことがあって、
痛くて泣いていた私におばあさんが
「そんなとこに手を置いて寝てるのが悪い」
と言われる始末(笑)
 
三条に行く時は両親が送ってくれ
数日して迎えにきてくれる感じで
家族5人で泊まったこともない。
 
迎えにきてくれた日から、
新潟の海近くの民宿や佐渡に行ったり
2日くらい家族旅行をして帰る感じで、
正直その2日間の方が楽しい。
 
三条での楽しい記憶なんてほとんどなくて、
指の怪我をした翌年から私が嫌だと言い出し、
姉も妹も行きたくないということで
それ以来行くことはなくなりました。
 
先日三条の八幡宮に父の同級生が会いに来てくれ、
父が同級生とお喋りをしているとき、
私たちは私たちでまったりとお喋りしながら、
「そう言えばさ、、、」
懐かしい景色を見ながら
不思議に思ってた事を聞いてみました。
 
 
母は
夏休みにお友達はおじいちゃん、おばあちゃんの
ところに遊びに行くから、
子供たちにもそういう体験をさせてあげたかった。

って。

お祭に連れて行ってあげてください。
子供たちに何か買ってあげてくださいって
お願いしたんだよ
と。
 
姉と私はお祭りなんて行ったことないし、
何も買ってもらったことないよね。

と言っていたら   

そうなんだよね、三条の帰りにそう言ってたよね…

と母。

更に
預かってやるから日当と小遣いよこせ!
と言われて、いつもお金包んでお願いしてたんだけどね。 

って(笑)

それを聞いてデパートでの事とかが妙に納得できてしまい、

「えー!そうなんだー
じゃあ、お母さんも私たちの話を聞いて
悔しい思いしてたんだね。
そういうことなら別に行きたくなかったのにぃ〜 」

と私たち。
 
母が、孫くらい可愛がってくれると思ったんだけどね、、、
 
と。

私は
 
「可愛くなかったんだよ、きっと(笑)」
「それにしても、すごいな…」
 
といったら、
聞いていた私の旦那さんが
怒っているというより呆れた感じで、
「なんだそれ…、ふざけてる」と。

確かにそうなのだけど、
既に亡くなってる人だし
月日も経ち過ぎているからか…、なんだろう?

怒りとかの感情より、なんだか妙に可笑しくて話していたら笑いが出てしまい、
それに釣られて母も笑い出して
何がおかしいのか正直わからないけど、
母と姉と私で
「すごいよね」といいながら大笑いしてしまいました。

日当だせとか…
そんなとこに手を置いてるのが悪いとか、
今思い出しても なんだか笑っちゃいますが、

その祖父母が年老いて生活が大変だといい
三条から出てきて、
両親が私たちのウチの近くのマンションを用意し
お米がないと電話が来ては届けたり、
生活費全ての面倒をみていたにも関わらず
長男だから当たり前だと言われ、
何があれば長男なんだから長男なんだから…。

祖父が亡くなり、葬儀のあと兄弟で遺品分けをし、
父が貰った遺品まで取り上げて何も渡さなかった
おばあさんの徹底ぶりが意味がわからなすぎて。

でも、それが大きなきっかけとなり
祖父の葬儀後これ以上は無理だから
と、神奈川に住む弟に引き取ってもらいました。
 
父と弟妹との関係は決して悪くはなかったので、
おばあさんが神奈川へ行った後も、
弟とは連絡をしあったりもしていて、
まもなく神奈川に家を新築し
新築祝いに行ったときに
話の流れから弟が
「お母さんが1000万出してくれた」
と言ったのが決定的になり弟との関係も悪くなってしまいました。
 
結婚してからずっとお金の無心をされ
20年以上送り続けていたお金だったのです。
 
ウチは商売をしていて
うまくいっていたとはいえ、
父が家を建てた時は、まだお金の余裕もない時。
上棟式に母の兄妹も集まる手前、
出席して欲しいとお願いをしたら
日当だせといわれ、
お金を払ってきてもらったそうで、
その時父は母の前で初めて情けないと言って
泣いたそうなのです。

それなのに、弟のために出した、
しかも父達が働いて送っていたお金とわかり
それは悔しかったことでしょう。
 
いくら親だからといえ、
今でいう毒親と何故そこまでして
付き合いを続けなければならなかったのか…

と思ってしまうわけですが、
向こうから連絡をしてくるのも一つの理由は
あるものの、
親なく育った母が
どんな親でも親がいるだけいいじゃない
と言って、出来ることをやってあげようと
父より母が陰で頑張って付き合いをしていたのですが、
結局思い出の遺品まで取り上げられ悔しい思いを
することになった父を見て
母も見切りがついたわけです。

そんな神奈川のウチに行った祖母も亡くなり
父の弟妹をはじめ、
その子供たち(私のいとこ)たちも葬儀の際
泣いていたのですが、
父を含め私も家族は誰も泣かなかったんです。

私の家族それぞれの気持ちはわかりませんが
私個人の気持ちとすれば、
色んなことに頭に来ていたということもなく、
決して悲しくないわけでもなく…、
ただ、身内というより、ご近所というか
少し距離のある知り合いの葬儀に参列
しているような感じというのか…?

涙が出てしまうことはなかったのです。

でも、葬儀が終わって会食時に
喪主である父の弟に
お前たちは冷たいな。
あんなに可愛がってもらったのに
悲しくないのか?

と言われて。

冷たいと言われた言葉が妙にショックで、
その時は、涙が出なかった自分を責めるような
感情でいっぱいになってしまい、
自分だけでなくうちの家族は冷たいのかも…
なんて思いながら、
冷たいという言葉を引きずっていました。

でも
時が過ぎ思う事は、

「あんなに可愛がってもらった」
の 「あんなに」の意味が全くわからないし
弟妹の子供達は、私たち姉妹とは少し違った
接し方をしてもらっていたって事ではないか
と思ってたりしてます。


長くなりましたが
ここまで読んで下さりありがとうございました。

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両親の育った環境

2023年12月23日 02時43分00秒 | 家族👪

【①父の想いと旦那さんの思いやりで新潟へ】

【②三条市(新潟県) 八幡宮~プチ同窓会?~寺泊 】

③ 諏訪田制作所の爪切り 】

と書いてきたついでに
両親の育った環境について少し書いてみたくなりました。

 

】のブログで触れたように父は16歳まで
弟妹の3人兄妹の長男として三条で過ごしていました。

子供の頃から朝早く叩き起こされて
家の手伝いをさせられたり、
学校に行ってても店の配達を手伝う為
学校に
電話があって早退させられたり…。

下の弟妹とは違って、
鉛筆1本買うのにも
文句を言われながら、
何故自分だけ冷たくされるのか、
厳しくされているのかを疑問に思いながらも、
長男なんだから仕方がないんだと思い込んでいたそうです。

 

店の手伝いをするように言われ
中学を卒業し進学をしなかった(出来なかった)ようですが、
16歳の頃、親戚の法事で
酔っ払った親戚の叔父さんに
祖父の連れ子だということ、
本当の母親は新潟市にいると言われ、
はじめて自分だけが何故厳しくされていたのかどこか納得できたようです。

 

母親と思っていた人の子は下の弟と妹で、
父は腹違いの子だったということになります。

 

親戚に言われてからそのことが頭から離れず
祖母(母親)にキツくあたられると
本当の母親に会いたくて、
幼い時の記憶に、女の子と遊んでいたことや、
学校帰りに何度か声をかけられ
お菓子をくれた着物の女の人のことが蘇り
もしかしてその人が本当のお母さんかも知れない
と思うようになり、
おじさんのところに行き
母親のいる場所を教えてもらい会いに行ったそうです。

 

産みの母親のいる新潟市まで
父にとっては初めて乗ることになった電車。
大した距離ではなかったはずなのに
新潟までが
物凄く遠く遠く感じたようで
新潟につき、歩いて家を探しながら
教えてもらった母親の家に辿り着いたものの、
拒否されたらどうしようと
なかなか玄関を開ける事が出来きず

やっと玄関を開け
出てきたのは同じくらいの年代の女の人で
父が自分の名前を言ったら、
その女の人がわーっと泣き出し抱きついてきて

「お母さん、お母さんー」

「⚪︎⚪︎⚪︎だよ!」

と叫び、奥にいる母親が出てきて
最初は何のリアクションもなくただ父を見て立っていただけで


父が 「⚪︎⚪︎⚪︎です」と言った途端
廊下から裸足で玄関を降り

「 ごめんね、ごめんね…」

と名前を呼んで抱きしめてくれたようです。

 

最初に出てきた女の人が父の4つ上の姉で、
記憶の片隅にあった女の子。

お菓子をくれた着物の女性は産みの親で間違いなかったようです。

姉も三条で一緒に暮らしていましたが、
おばあさん(育ての親)の仕打ちに耐えられず
7歳の時に家を飛び出し
警察に保護をされた時に実の母親の名前を言い、
その後話し合いで、
姉は産みの母親の元に
帰ることができたようです。

 

その時に弟を連れ出す事が出来なかった事を
ずっと悔やんでいて、

父と再会し泣きながら謝ってくれたそうです。

元々芸者をしていた母親とその客だった父親が結婚し

父も姉も新潟市のその家で生まれたらしく、

芸者をしていることのヤキモチから喧嘩も多かったようです。


そして祖父に別の女性が出来て、
姉と一緒に
三条に連れていかれたようですが、
幼かった父はその事は全く覚えてなく、
お姉さんの方は知らない家に連れられ

そこには知らない女の人がいて

お母さんと呼ぶように言われたたものの

お母さんと呼べず、

怒られていたということのようでした。


その日父が人に抱きしめられたのは初めてのことで、

恥ずかしいのと嬉しいのと悔しいのと
辛かった様々な思いが一気に込み上げてきて
も大泣きをしてしまったそうです。

 

そしてその日に初めて食べた母親の料理が今までで1番美味しかった

と祖母が亡くなり葬儀の日にも父は話していました。

 

再会後、実の母親との家を行ったり来たり出来る

関係が築ければ良かったのでしょうが、
理想と現実はうまくいかず、
母親に会いに行ったことが親戚の叔父さんから伝わったその日に
祖父に殴られ、1万円を投げ渡され
16歳で家を追い出され三条を離れる事になってしまったようです。

三条を出た父は18まで群馬県前橋市の親戚の家の
仕事を手伝いながらお世話になって、

その後自衛隊に入隊し習志野に数年いたあと
東京で仕事をしながら生活をしていたようです。


産みの母親とは自衛隊に入隊する前に連絡を
して、
それから定期的に連絡だけは
していたそうです。

16で家を出てから、疎遠となっていた

三条の親とは結婚をするのをきっかけに

再び連絡をとるようになったみたいです。


私たちの親の世代なら珍しい

ことではないのかもしれませんが、

母の方は4人兄妹で母親は3番目として生まれました。

母が4歳の時に父親は第二次世界大戦で海軍として出陣。

そして戦死。
後に死因は餓死であったという報告がきたとのことです。

母親も父親が戦争に行っているときに病死をしている為、
幼かった母の記憶には布団に横になっている母親の姿を
薄っすらと
思いだせるだけで、
両親の記憶が殆どないらしいです。

でも私の
実家にはこの人があなた達のおじいちゃんだよと

確かに私たちからは祖父にあたる人なのでしょうけど、

おじいちゃんと呼ぶには申し訳ないくらい

とても若い出陣まえに撮ったとされる

軍服姿の母のお父さんの写真が飾ってあります。

 


残された幼い母の兄妹は、別々になることはなく父方の伯父さんが育ててくれましたが、

時代の背景もあり、
兄妹も小さい頃から農作業の手伝いをしながら、
高校には行けず、辛いことや悔しいことなどたくさんあったようす。

農作業を手伝いながらも農家が好きではなかった母は
いつか美容師になりたいという事を夢みて
農作業を手伝いながらアルバイトを掛け持ち
少しずつ貯めたお金を持って
20代後半でようやく美容学校に行くために家を出て東京の学校へ入り、
学校を卒業したあと、東京の美容院で住み込みで働いてる時に父と出会ったそうです。


私たちが中学生になった頃から、
夕食の時など、そんな両親の生い立ちをよく聞くようになっていましたが、
その頃は既に私たちも三条へ行くことはなかったのですが、
正直 父がそんな想いをして過ごした三条に
私も幼い頃何度か行ったという事が
不思議ではありました。


でも、当時は何となく聞いてはいけないような
気もして
両親の話をただ聞きいていただけのように思います。 

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③ 諏訪田制作所の爪切り

2023年12月21日 20時56分00秒 | お出かけ🚗♨️

三条らしいマンホール蓋のデザインですね。


せっかく三条に来たのだから、
諏訪田製作所に行ってみたくて
寺泊に行く前に寄り道。


素敵な建物。
 

レストランもありました。

中に入るとツリー🎄とトナカイのお出迎え

そして、デーンと
キャデラックが展示されていました。


私たち世代なら知っていると思いますが
プロレスラーだったのジャイアント馬場さん。



三条市出身で三条市名誉市民らしく
このキャデラックは
ジャイアント馬場さんが
ハワイで乗っていた愛車だそうです。
 

馬場さんの写真↑で巻いているベルトも展示してありましたよ。


そして目当ての爪切りを探しに
商品が並ぶ店内にお邪魔したら
たくさんの爪切りやニッパーが展示してあり、
自由に試せるようになっていました。


乾燥肌だからか?歳だから?
よくわかりませんが、
最近は爪も乾燥気味のようで、
爪切りを使うとその後割れたり裂けたり
二枚爪のようにもなってしまうので、
最近は爪切りは使わず、
せっせと爪研ぎをして整えています。

でも、噂の諏訪田ニッパーを使ってみたら

何これ?

爪切りってこんなに違うの?!

爪切りの音を表現するなら、
パチン じゃなく、サクって感じ?

このニッパーを使ったのですが、
もう、感動する切れ味。

爪切りで平らに切ろうと思うと、
サイドが割れてしまい結局ヤスリで
整えながら短くなってしまうのですが、
このニッパーは平らにサクッと切れるだけでなく
切ったあと、やすりを必要とは感じない滑らかさ。



爪切りに8000円以上出すなんて考えられません
でしたが、
この切れ味を体験してしまうと
買わずに帰ると後悔すると思い購入。


ウチに帰って猫ちゃんの爪切りにも
使ってみましたが、
やはりサクッと切れるので
ストレスも減るようで
いつもより嫌がられることなく楽でした!

とにかく気に入ってしまい、
今月お義父さんの誕生日があるので
お誕生日プレゼント🎁に
したいと思いお取り寄せしました。


一つ一つ手作りなので
人気のタイプは品切れも多いのですが、
入荷メールを登録しておいたら、
数日で入荷メールが届き、
無事お誕生日に間に合いました。
かっこよく包装もされていて、
プレゼントするのが楽しみです。


SUWADA – 諏訪田製作所

当社は1926年創業以来90余年、「刃と刃を合わせて切る」ニッパー型刃物の製造に特化し、これまでつめ切りなど「美」を高める製品を生み出しています。

SUWADA – 諏訪田製作所

 




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