父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

神世界へと行ける光の道を、神の姿を書き現して、神宿る文章をお届けしています。

「新たな世界」「新たな旅」の始まり(引用:新約聖書「山上の垂訓」)

2018年05月14日 | メイン
どうも、こんにちは、神描人(かみえがきびと)です。

NO.1の「神を描く人」を目指して頑張っていきますので、応援よろしくお願いします。
では、今回の「神宿る文章」をお届けします。

神が定めた「設定」は、宇宙全体を駆け巡り、そして、宇宙内の、誰も、その設定に逆らうことは出来ない。
どんな設定になっているかの1部分は、遺伝子を読み解いて知ることが出来る。
人間の目には見えないけど、神の目には見えている「管理網」というが、張り巡らされているのだ。
その事に関して、今の人間の知識レベルでも分かるような「例え話」をするなら、「テレビゲーム」が最適かもしれない。
自分が、テレビゲームをやっている時の姿を、思い浮かべてみて下さい。
ゲーム機にカセットを挿入するとゲームが始まり、テレビ画面内は、そのカセットの支配下となる。
カセットに記載されている「設定」は、テレビ画面内に管理網を張り巡らし、コントローラーの十字キーで操作する人型キャラは、その設定に逆らうことは出来ないし、その設定以上のことは出来なくなる。
そして、カセットを抜いて、別のゲームのカセットを挿入すると、「新たな設定」によるテレビ画面内の支配が始まる。
これが、いわゆる、「ノアの箱舟」などで紹介されている「終末」というものなのだ。
「終末」前と「終末」後で、テレビ画面内(宇宙画面内)のキャラ(生き物)の「見た目」や「使える能力」は劇的に変わり、目の前に広がる世界は、あなたが人間だった頃とは比べ物にならないくらい「楽しみ」と「喜び」で満ち溢れている輝かしい世界へと生まれ変わる。
新たな世界が始まり、新たな旅が、そこから始まるのだ。

~~~以下、引用(新約聖書「山上の垂訓」)~~~

■ マタイによる福音書 第5章

イエスは群集を見て、山に登り、おすわりになると、弟子たちが近くに寄って来た。
そこで、イエスは口を開き、彼らに教えられた。

心の貧しい人々は幸いである。天国は彼らのものである。
悲しむ人々は幸いである。彼らはなぐさめられる。
柔和な人々は幸いである。彼らは地を受け継ぐ。
義に飢えかわいている人々は幸いである。彼らは満たされる。
あわれみ深い人々は幸いである。彼らはあわれみを受ける。
心の清い人々は幸いである。彼らは神を見る。
平和をつくり出す人々は幸いである。彼らは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は幸いである。天国は彼らのものである。
わたしのためにののしられたり、迫害されたり、身に覚えのないことで悪口雑言を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの受ける報いは大きい。
あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

あなたがたは地の塩である。もし塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう。もはや、何の役にも立たず、外に向かって投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のもの全てを照らすのである。
そのように、あなたがたの光を人々の前で輝やかせ、そして、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
わたしが来たのは律法や預言者を廃するためだ、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するために来たのである。
はっきり言っておく。天地が消えうせるまで、律法の一点一画もすたることはなく、全てが成就する。
だから、これらの最も小さい戒めを一つでも破り、そうするようにと人々に教える者は、天国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを行い、そうするようにと教える者は、天国で大いなる者と呼ばれる。
はっきり言っておく。あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天国に入ることができない。

昔の人々に「殺すな。人を殺した者は裁きを受けなければならない」と言われたのを、あなたがたは聞いている。
しかし、わたしは言っておく。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けなければならない。兄弟に向かって「能なし」と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、「ばか者」と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。
だから、祭壇に供え物をささげようとしている時、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰ってきて、供え物をささげなさい。
あなたを訴える者と一緒に道を行く場合、その途中で早く仲直りしなさい。そうしないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、そして、あなたは牢に投げ込まれるに違いない。はっきり言っておく。あなたは最後の1コドラントを支払うまでは、そこから出ることはできない。

「姦淫するな」とあなたがたは聞いている。しかし、わたしは言っておく。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれるよりはましである。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。
また「妻を出す者は離縁状を渡せ」と言われている。しかしわたしは言っておく。だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。

また昔の人々に「いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果たせ」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかしわたしは言っておく。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座である。また地をさして誓うな。そこは神の足台である。またエルサレムをさして誓うな。それは「大王の都」である。また自分の頭をさして誓うな。あなたは一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからである。
だから、あなたがたは「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」とだけ言いなさい。それ以上に出ることは、悪から来るのである。

あなたがたも聞いているとおり「目には目を、歯には歯を」と言われている。
しかしわたしは言っておく。悪い者に手向かってはならない。もし、誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。あなたをしいて1マイル行かせようとするなら、その人と共に2マイル行きなさい。
求めようとする者に与え、借りようとする者を断ってはならない。
あなたがたも聞いているとおり「隣人を愛し、敵を憎め」と言われている。
しかし、わたしは言っておく。
敵を愛し、迫害する者のために祈れ。天におられるあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らしてくださるからである。自分を愛してくれる者を愛したところで、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。兄弟だけにあいさつしたからところで、どんな優れたことをしたことになろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

■ マタイによる福音書 第6章

自分の義を見てもらおうとして、人前で行わないように注意しなさい。さもないと、天におられるあなたがたの父から報いを受けられないであろう。だから、施しをする時には、偽善者たちが人からほめられようと会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならしてはならない。はっきり言っておく。彼らはその報いを受けてしまっている。あなたが施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせてはならない。あなたのする施しが隠れている。すると、隠れたことを見ておられるあなたがたの父は、報いてくださるであろう。
祈るときにも、偽善者たちのようであってはならない。彼らは人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らはすでに報いを受けてしまっている。だから、あなたが祈るときは、自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたがたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたがたの父は、報いてくださるであろう。また、祈るとき、異邦人のように、くどくど祈ってはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思っている。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父なる神は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
だから、こう祈りなさい。

「天におられるわたしたちの父よ、御名があがめられますように、御国が来ますように、御心が天におけるように地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの負い目をお許しください。わたしたちも自分に負い目のある人を許しましたように。わたしたちを試みに会わせず、悪からお救いください」

もし、人の過ちを許すなら、あなたがたの天の父も、あなたがたを許してくださるであろう。しかし、人を許さないなら、あなたがたの父も、あなたがたの過ちを許してくださらないであろう。
また、断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らはすでに報いを受けてしまっている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。断食していることが人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が、報いてくださるだろう。

あなたがたは、自分のために地上に宝をたくわえてはならない。そこでは虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が押し入って盗み出したりする。宝は天にたくわえなさい。そこでは虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が押し入って盗み出すこともない。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるのだ。
目は体のともし火である。目が澄んでいれば全身が明るい。にごっていれば全身が暗い。だから、あなたの内なる光が暗ければ、その暗さはどれほどであろう。

だれも2人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。
だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物より大切であり、体は着物よりも大切ではないか。空の鳥を見なさい。種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。それなのに、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも優れたものではないか。あなたがたのうち、だれが思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、着物のことで思い悩むのか。野の花がどうして育つのか、考えてみなさい。働きもせず、つむぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装ってくださるのだから、あなたがたには、それ以上に良くしてくださるはずだ。
信仰の薄い者たちよ。
だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようか、と言って思い悩むな。これらはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものがみな、あなたがたに必要なことをご存知である。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添え与えられるであろう。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは、明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。

■ マタイによる福音書 第7章

人を裁くな。自分が裁かれないためである。あなたがたが裁くその裁きで、自分も裁かれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量りを与えられるであろう。あなたは兄弟の目にあるおがくずは見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって「あなたの目のおがくずを取らせてください」と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおがくずを取り除くことができる。聖なるものを犬に与えてはならず、また真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。

求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つかり、門をたたく者は開かれる。あなたがたのだれが、パンをほしがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚をほしがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださるに違いない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法であり預言者である。

狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は大きく、その道は広くて、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと小さく、その道はせまいことか。それを見いだす者は少ない。

にせ預言者を警戒しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたの所に来るが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、実によって彼らを見分けることができる。いばらからぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実をならせることはなく、また、悪い木が良い実をならせることもできない。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火の中に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実によって彼らを見分ける。

わたしに向かって「主よ、主よ」という者が、みな天国に入るのではなく、天におられるわたしの父の御心を行う者だけが入るのである。その日には、大勢の者がわたしに向かって「主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇跡をたくさん行ったではありませんか」と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、「わたしはあなたがたを全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ」。

だから、わたしのこれらの言葉を聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができる。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者はみな、砂の上に家を建てたおろかな人に比べることができる。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れて、その倒れ方がひどかった。

イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。

~~~以上、引用終了~~~

新約聖書において、上記の「山上の垂訓」と呼ばれている有名な箇所は、弟子である2人が書いた「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」の両方に登場するから、イエス・キリスト自身が語った言葉であるのは、間違いない。
何よりも、この発言は、神から特別な啓示を受け取った者にしか出来ない発言なのだ。
西暦は、イエス・キリストの誕生日を起点として始まっている。
2000年以上も前に生まれたイエス・キリストが、このような発言を残して死んでいった事実が、驚異的なのだ。
「神の言葉を預かる」のが「預言者」。
「神の存在」へと辿り着いた預言者は、皆、同じことを言い始める。
神は、宇宙が誕生してから今まで、ずっと、生き続けている御方だから、皆、同じ結論へと辿り着くのだ。
イエス・キリストが生きていた時代に「いた」神と、今「いる」神は、同じ神だ。
神は、ずっと、宇宙の頂点に君臨し続けている御方。
「永遠の命」を当たり前のように所持していて、これからも、ずっと、生き続ける御方なのだ。
「神の教え」には「永遠の視点」が欠かせない。
神がどのような存在であるのかが分かった時、イエス・キリストが、なぜ、このような発言をしたのかを、理解できるようになる。
将来、あなたが「神」となるためには、「愛(アガペー)」が不可欠なのだ。
人の不幸を、喜ぶ存在になってはいけない。
今のあなたが他の「人」に対して抱く感情は、そのまま、あなたが神となった時に、他の「神」に対して抱く感情となる。
そう考えれば、いけないことだと、はっきりと認識できるようになるはずだ。
将来の自分のために、心の中における天使と悪魔の戦いで、天使を勝利させておくことが非常に重要なこと。
偽善がなんでダメかというと、偽善をやったことによって自分の魂にどんなクセが付くのかを考えてみればいい。
最初は偽善でボランティアを始めたとしても、このことに気付いたのならば、途中から心のこもった「本物の善」へと切り替えていかなければいけない。
神は、あなたの心を見ている。
「心の中でどう思っているか」が重要で、「思い」があなたの周りの人々や環境に多大な影響を及ぼすのは、あなたの思考を受け取った神が誘導して、周りにいる人々が発する言葉や行動や環境を巧みに変更しているからなのだ。
悪事を好んでやってしまう人間に対しては「心から後悔させてあげる」必要がある。
「悪い者に手向かってはいけない」という言葉を「悪い者を野放しにしておけばいい」という意味に捉えてはいけない。
間違ったことをした時には「叱ってあげる」のが愛なのだ。


Author:神描人(かみえがきびと)

注意!⇒コメントは非公開で、全部読ませていただきますが、「神宿る文章」の執筆の方に全力を注ぎたいので、基本、返事はいたしません。
ご理解よろしくお願いいたします。

「ノアの箱舟」は「例え話」

2018年05月13日 | メイン
どうも、こんにちは、神描人(かみえがきびと)です。

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では、今回の「神宿る文章」をお届けします。

聖書に書かれている「神が地球を作った」「神は自分の姿に似せて人間を作った」という話は、実話だ。
「そんなことが出来るのか?」と考える必要は、ない。
実際、目の前に「出来た」結果が存在しているのだから、「出来る」のだ。
「どうやったら出来るのか」は、あなたが神となったら、明確に分かるようになる。
聖書は、昔の預言者たちが作った文章であるため、少し、事実とズレが生じている部分もあるけど、これは、しょうがない。
まだまだ未熟だった預言者の言葉までも載せているから信憑性が薄れてしまっている部分もあるし、昔は、「科学」が進歩していなかったため、当時の人々が所有している知識で理解できる話にしないといけなかったため、あえて、ズレた表現をせざるをえなかった、という理由もある。
「ノアの箱舟」で説明されているみたいに、大洪水で世界が滅びる訳ではない。
これは「例え話」なのだ。
当時は、科学が進歩していなかったため、当時の預言者は、そう、説明するしか、方法がなかった。
科学が進歩した今なら、もっと詳しく説明できる。
同じことを言っているのだけど、人間の知識レベルが上がったから、より分かりやすく解説できるようになった、というだけの話なのだ。
言葉を、そのまま受け取っては、いけない。
例えば、日月神示に記載されている「天地ひっくり返る」という表現は、私の文章を「読む前」と「読んだ後」で価値観が激変する様相をかっこよく表現しているだけなのだ。
他の聖典に記述されている天変地異に関しても、同じことが言える。
それらは「比喩」なのだ。


Author:神描人(かみえがきびと)

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あなたの心に、いつか、きっと、神は現れる

2018年05月12日 | メイン
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では、今回の「神宿る文章」をお届けします。

神が用意してくれた舞台をどう活用するか、どう生きるかは、あなた次第。
頑張った分だけ、死後に、神は報いてくれる。
過去の預言者たちによって、これらは、伝えられている。
これだけ文明が発達して宇宙の詳細が分かってきた今、もはや、信じる信じないのレベルの話ではないのだ。
遺伝子の詳細から太陽系の詳細、さらには過去をさかのぼり宇宙誕生であるビッグバンに到るまで、もう、神の存在へと辿り着けるだけの知識を、今の人間は、所有している。
あとは、ヒントを繋ぎ合わせて教えてあげれば、誰でも、神の存在を信じて生きられる時代に、もう、なっているのだ。
科学が進歩していなかった昔とは違う。
理論的に解説していくだけで、誰でも、神へと辿り着ける。
私の文章を読み続ければ、いつか、きっと、あなたの心にも神が現れることになるでしょう。
誰もが、神と、つながっている。
ただ、そのことに、気付いていないだけなのだ。
この世で傷ついた体や心は、神の教えに従って生きていけば、いずれ、必ず、癒される時が、やって来る。
「永遠の視点」で物事を見れるようになった時、難解だった神の愛に気付けるようになるはずだ。
神は、宇宙全体を「体」として管理し続けている。
あなたは、その縮小版の「人間の体」を与えられて、管理し続けている。
人間、みんな、神の子なのだから、あなたも、魂が順調に成長していけば、いずれ、神となって、宇宙を「体」として管理する立場となる。
「人間の体」は、その時のための「練習用の体」なのだ。
生きているだけで、管理技術が身に付くように、人間の体は設計されている。
ちゃんと、神は、「どの様にしたら、あなたの魂を成長させることが出来るだろう」と考えた上で、あなたに最適な体を与えてくれているのだ。
一生を共にする無二の体だからこそ、乳歯から永久歯へと一度しか生え変わらない歯だからこそ、人間は、毎日毎日、お肌のお手入れや歯みがきをして大切に扱おうとする。
「脳の老化を防ぐために色々なことにチャレンジしてみよう」「心臓の健康のために運動をしよう」「大腸の健康のために乳酸菌を摂取しよう」「肝臓の健康のために酒を控えよう」「肺の健康のためにタバコを控えよう」などなど、生きているだけでも、かなりの管理技術を学べるようになっているのだ。


Author:神描人(かみえがきびと)

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「数学的な法則」以外は神が定めた法則

2018年05月11日 | メイン
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この世は、子を想う親の視点で作られている。
神の愛は「人生一度きりで終わり」という考え方では理解できず、「体を変更して何度も命に限りある一生を繰り返す」という永遠の視点で考えると理解できるようになる。
今現在、高度な体である「人間の体」を使いこなせているあなたは、前世までに何度も何度も違う体に生まれ変わって練習したからこそ、生まれてすぐ、抵抗なく複雑な構造である人間の体を難なく扱える存在になりえているのだ。
そして、ちゃんと魂に神の教えを浸透させることが出来ているかどうかをテストするために、前世までの記憶を神に預けて記憶喪失の状態で生まれてくる。
前世までで身に付けた能力は、神が封印を施さない限り、そのまま継続して現世にも持ち込まれる。
音楽の才能ある者は、生まれた時に、すでに、才能がある。
現世で1から学び始めた人間とは、スタートラインからして、違っているのだ。
「前世までの記憶は神に預けて忘れてしまっているのだけど体で覚えている」ということ。
特別なケースでは、現世で運命的な難しい課題をクリアするための手助けとして特殊な能力が神から与えられることもあるけど、だいたいは、前世までに自分が努力して身に付けた能力。
自分の魂に付いている良いクセも悪いクセも、現世だけじゃなく前世までも含めて「自分で」付けたクセなのだ。
「人間を中心にして」考えるから真実が見えなくなるのであって、「神を中心にして」考えれば、全ての真実が見えてくる。
細かなミスは除いて、大まかな流れにおいて、私が導き出した結論に間違いはない。
真実は1つであり、世界中の科学者達が束になってかかってきても覆せない「未来永劫に変わらない絶対不変の真理」なのだ。
科学を追及していくと「こういう法則になっていることが分かったけど、なぜ、こういう法則になっているのかは分からない」という結論に達する。
これは当たり前の話で「数学的な法則」は除いて「人間的な法則」というのは、神の「美しいから」「こんなものが存在したら面白いな」「どうしたら子供の魂を成長させてあげられるだろう」という発想から生まれたものなのであって、時が来たら変更される法則なのだから、ある程度までの知識は必要だけど、それ以上に深追いしても、あまり意味がないことなのだ。
「遺伝的に父親似か母親似の顔になりやすい」とか「マグロは海にしか住めない」とか「春に桜が花開く」とかは、あなたが神の立場となったら自由に変更できる「作り手に依存している」法則なのだ。


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この世は魂をランクアップさせるための壮大な舞台

2018年05月10日 | メイン
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支配下である宇宙において、神は、絶対的な存在だ。
もちろん、全生物の過去の記憶も自由に閲覧可能で、現存する様々な素材の完成形をも考え尽くしている存在だから、知識において、有限の存在である人間が、無限の存在である神に対して意見できることは、何1つとして、ない。
今の人間がやっていることは、神からしたら、とうの昔に習得済みのことばかりで、全てにおいて人間は教わる立場なのだ。
そして、「借り物の体だから人間は自分の体を自由に変更できない」ということになる。
卵子1つから自分の体を作ったのだから、病気やケガをして損失した部分は、自分で作り直せるのが当たり前。
死ぬ直前に走馬灯を見て自分の過去を鮮明に思い出せるのだから、暗記テストの時に走馬灯を見て、みんなが100点を取れるのが当たり前。
苦しみは「ない」のが自然で、「ある」ことの方が不自然なのであって、記憶力や命というのは「無限」であるのが正常で、「有限」であることの方が異常なのだ。
そもそもからして、自分の体なのに「自分で作り直せない」「自分で調整できない」「自分で選択できない」のは、どう考えてもおかしい。
視力が落ちたならば、目という映像装置を自分で調整して正常に戻せばいいだけの話で、脂肪を蓄えすぎて太って活動に支障が出てきたならば、原因が分かっているのだから蓄える量を自分で減らせばいいだけの話だ。
運動しなければ不健康になり、食事の量を制限しなければ体形を維持できなくて、頭を使い続けなければ思考力が衰えていってしまう。
これら人間に与えられている「苦しみ」というのは、魂の成長に必要だから、神が「ペナルティー」として課しているものなのだ。
病院に行って医者からレントゲンを見せられて「へぇ~、自分の体ってこんな風になってたんだ~」と矛盾する冗談みたいなセリフを真顔で吐き、「先生、一体、自分の体のどこが悪いんでしょう?」とまるで他人の体みたいに言っている時点で、あなたはあなたの体の作り手ではないのだ。
自分で自分の体を作ったのならば、「鳥になりたい」と思ったら、次の日、鳥となって空を飛べているのが、ごく普通の自然な流れなのであって、「サナギからかえって醜い姿のイモムシから美しい姿の成虫になる」チョウチョには出来ていることなのだから、人間だって、整形手術なんかしなくても自分が望む姿へと生まれ変われるのが、ごくごく当たり前のことなのだ。
これが出来ないことの方が、おかしい。
歯みがきをしないと虫歯になったり、栄養バランスが良い食事をしないと病気になったり、規則正しい生活をしないと体内時計が狂って体調が悪くなったりするのは「体を管理することの難しさ」を学んでいるのであって、掃除もせずに自分の部屋を放ったらかしにしているとホコリだらけになるのは「自分の身の回りぐらいキチンとしなさい」ということなのであって、勉強やテレビゲームばかりしていると目が疲れたり近視になったりするのは「同じ所ばかり見ていないで、たまには外に出て運動をしたり自然を観察したりして、もっと広い視野で世界を見なさい」ということなのだ。
そして、今のルールでは「努力した分だけ報いる」という設定になっていて、勉強すればするだけ賢くなれるし、運動すればするだけ筋肉が付いてたくましくなれる。
植物に肥料を与えてあげたり、添え木をしてあげたり、音楽を聞かせてあげたりすると発育が良くなるのは「愛と努力と工夫が大切なんだよ」と神が教えてくれているのだ。
そして、人間以外の動物は「みんな同じような顔」をしているのに、人間だけが「違う顔」をしているのは「個性を大切にしなさい」ということなのだ。
これらは、周りにいる人々みんなが自由に変更できない体だったからこそ、努力した分だけ報われる設定になっていたからこそ、身をもって体験できた貴重な経験なのであって、苦労して手に入れたものであるからこそ、自分にとって価値がある宝物となりえるのだ。
自分で自分に足りないものを見つけ出して自分で補い、自分でやるべきことを取捨選択し、自力で解決できるだけの能力を育て上げ、自分の手で自分を成長させていく。
この世は、そのための舞台なのだ。


Author:神描人(かみえがきびと)

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神経は「神と人間をつなぐ伝達経路」

2018年05月09日 | メイン
どうも、こんにちは、神描人(かみえがきびと)です。

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あなたは、夢の中で、クイズをやったことは、ありませんか?
あなたが考える側で、クイズを出す側の相手がいる。
私は、ある。
相手は「自分が知らない答え」を知っていて、夢で見ている映像の中には今まで自分が一度も見たことがない風景が含まれていて、そして、自分の画力では、とてもじゃないけど描き出せないレベルの絵が交じっている。
すなわち、これは、「夢は自分が作り出した世界ではない」ということを意味するのだ。
じゃあ、誰が作ったのかというと、神、もしくは、あなたの教育係を担当する者が、あなたに何かを気付かせるために映像化した夢なのだ。
「この世」「あの世」「夢の中」、教育方針を切り替えているだけで、いずれも、神の支配下にある世界。
感じられるもの全てが「神を経由してから」実現しているのだ。
視神経がなくなれば見えなくなり、聴神経がなくなれば聞こえなくなり、神経という「神との伝達経路」がなくなると世界から遮断されることになる。
この世には「物質がある」というよりも「映像と音声と(その他複数の)感覚の組み合わせがある」のであって、あなたは、神が作り出した映像を見て、神が作り出した音声を聞いて、そして、神から貸し与えられている体を操縦しているだけの存在で、自分の体なのに「教科書を読まないと構造が分からない」というおかしな生き物なのだ。
自分の脳は自分の過去を鮮明に覚えているのに、なかなか自分に記憶を引き渡してくれない。
自分の脳は自分の体内の構造を知り尽くしているのに、自分に教えてくれない。
医者に聞くよりも、自分の脳に聞く方が、よっぽど早く問題を解決できるはずなのに、なぜか、教えてくれない。
今の人間は「主人である自分の言うことをすんなりと聞き入れてくれない使い勝手の悪い脳を仕方なく使って」生きている状態なのだ。
それに対して「制限が加えられていない存在」である神の場合は、もちろん、自分の脳に簡単にアクセスできて、自分の体内の構造をはっきりと認識できるし、自分の記憶を完璧に引き出すことも可能で、人間とは全く違う、爽快で快適な動作環境を満喫できている。
この世は、あなたの思考を受け取った神が代行して実現している世界なのであって、存在しているものの全ては神の一部分、模倣であり、人間に出来ることは神にも出来るし、コンピューターに出来ることも神には可能なことであり、そのスペックは、なんと、「無限」なのだ。


Author:神描人(かみえがきびと)

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人間の体は教育用の拘束着

2018年05月08日 | メイン
どうも、こんにちは、神描人(かみえがきびと)です。

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では、今回の「神宿る文章」をお届けします。

服を着ると、寒さや風から身を守ることが出来る。
これは、すなわち、「服に遮られて外側の気温や風を体感できなくなった」とも言える。
実は、神から体を着せられている時は、かなり感じ取れる感覚を制限されていて、あなたは、体を通して適度に少なくなった感覚を受け取って生きている状態なのだ。
地球上の生き物たちは、生き抜くための服(体)をちゃんと神から与えられて生まれてくるから、与えられた体のまま裸で過ごしている。
なのに、人間だけ、なぜか、違う。
サルから見ると人間は「服(体)の上に服を着ている」という珍しい生き物なのだ。
人間の体は、体毛が少なくなって寒さや紫外線などに弱くなっていき、服や靴なしでは健康を保てない弱々しい皮膚になっていき、「環境に適応する」どころか、むしろ、「環境に適応できない」体へと進化していっている。
これは、目的が「環境に適応する」以外にあるからなのだ。
チョウチョは、サナギからかえると、その時点で、空を飛ぶのに最適な体形になっている。
もちろん、人間にとって最適な体形も、神は、知っている。
でも、努力なしでは、それを、与えない。
食べすぎや運動不足で体形が崩れたりするのは、神が定めた「体の管理を怠ったことによるペナルティー」なのだ。
本来、「太りすぎて活動に支障が出る」なんてのは、ありえない話。
ラクダみたいに「自分に害を及ぼさない程度に脂肪を蓄える」というのが正解であるはずなのだ。
まあ、でも、あれだ、本当は「目の前にあるもの全てを食べられる」という設定にさえすれば「脂肪を蓄える」必要性はないのだから、これも、神の遊び心による産物で、より高度な課題を与えられている人間だからこそ、より体を複雑なシステムにしてある。
体は、教育用の拘束着。
そして、「服(体)は死ぬまで脱げない」ということなのだ。
死んだら、体を切り替える。
餓死、水死、出血多量、これら「死ぬ条件」ですらも神が定めたものなのだ。
冬眠中のクマは、何ヶ月も飲まず食わずで生きている。
チョウチョなんかは、サナギの時に、それまでの自分の体を溶かして原形がない状態にまでなっているのに、それでも、生きているのだぞ。
そんなグシャグシャの状態でも生きているのに、人間に踏まれてグシャグシャになると、いとも簡単に死んでしまう。
何だか、おかしいと思いませんか?
実は、生物は「空気と水と食料で生きている」訳ではなく、もっと根本的な生命エネルギーを元にして生きているのだ。
胃腸で食べ物を消化吸収して得られるエネルギー、実は、これ、「食べて消化された分だけ生命エネルギーを与える」という1つの設定になっているだけの話で、設定した側である神から見れば「こうこうこういう条件を満たせば、これだけの生命エネルギーを与える」という設定にしてあるだけの話なのだ。
条件を満たしているから、冬眠中のクマとサナギ状態のチョウチョは生命エネルギーを与え続けられて生きている。
そして、生きる条件を満たせなくなった時、すなわち、「こうこうこういう状態になったら死ぬ」という条件にひっかかってしまった生物、人間に踏まれてグシャグシャになってしまったチョウチョの幼虫は、死んでしまうのだ。
「大きな体を維持するには多くのエサを食べる必要がある」というのも1つの設定。
くどいようだけど、冬眠中の「人間よりも体が大きい」クマであっても、何ヶ月も飲まず食わずで生きているのだぞ。
エサがなくても生命エネルギーは得られるのだ。
ただ、普通の状態の時には「エサを食べないと生命エネルギーを得られない」「食べ続けないと餓死する」という設定になっているだけ。
カルシウムやビタミンなどが不足すると病気になることがあるけど、これは、基本的な生命エネルギーとは別の話で、「健康管理」という名目のために神が設けた決め事なのだ。
本来は、服的な役割を果たしている体がなくても、生きられる。
よ~く、考えてみて下さい。
寝ている時に見る夢の中では、目と耳と口がなくても、見たり聞いたりしゃべったり出来ている。
これも、ヒント。
遺伝子だとか、走馬灯だとか、夢だとか、サナギだとか、冬眠だとか、みんな、ヒントなのだ。
粋な作者である神のはからいで、この世は、ヒントをつなぎ合わせると衝撃的な事実へと辿り着けるように作ってある。
さて、夢から目を覚まして起きると、制限装置である目と耳と口を通してコミュニケーションする通常の形へと戻る。
「夢」というヒントから「目と耳と口がなくてもコミュニケーションできる」ということが分かった。
実は、自分という人間は、自分の思考を神へと渡し、神が自分の口を動かして音声を発信して、それを、神が他人の耳を経由して整えてから他人の脳へと渡している、ということになる。
もちろん、神々の世界では、人間みたいに面倒くさいシステムにはなっておらず「思ったことがすぐ相手に伝わる」という会話手段が使われているのだ。
今の人間は「自転車に補助輪(体)を付けられた状態で過ごしている」ということ。
補助輪が外されれば、もっと速く快適に過ごすことが出来るようになるのだ。


Author:神描人(かみえがきびと)

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神の脳が宇宙全体の処理を終えたら時間が1つ進む

2018年05月07日 | メイン
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世の中に危険なものが存在するのも意味があることで、これは、人間に「危機管理能力」を身に付けさせるためだ。
古くは「火」であり「天変地異」であり、高度な文明となった今では「放射能」というのも追加されている。
耐震強度があるビル、防風林や砂防ダム、防寒服や防水服や防火服など、「どう対処するか」を考えることで人間は成長してきた。
いつの世も、人は、神と共にある。
神は、無から物質を作り出したら、あとは放ったらかしという訳ではなく、ずっと運命を管理し続けてくれている。
だから、人間の体は細胞が密集した状態で、地球は物質を寄せ集めた美しい球状のままで、ずっと姿形を保ち続けることが出来ているのだ。
原子1つですらも、神の許可なしでは、この世に存在することが出来ず、神が「存在しない」と拒否すれば消え去るし、人間の魂や思考も例外ではなく、神は全ての「決定権」を持っている。
人工衛星からの映像を地上の人間が見ているように、人間の目に映った景色を神も見ていて、思考も例外ではなく、神は全人類の記憶を忘れずにちゃんと覚えてくれています。
何十兆個の細胞を同時に管理し続けている神なのだから、地球上にいる何十億という人間を同時に管理し続けることも可能なのだ。
神は「時間」を超越した存在で、おそらく、「神の脳が宇宙全体の処理を終えたら時間が1つ進む」という感じなのだと思います。
人間が死ぬ直前に走馬灯を見ている時は、神が1対1で当事者に対して多大な労力を費やしている状態で、この世に生まれてから死ぬまでの記憶をいっぺんに見せるのに手間ひまがかかるから、当事者以外の周りの人々の動きはスローモーションになっている。
この辺は、コンピューターを思い浮かべてもらえば、分かりやすい。
コンピューターが1つの作業に膨大な情報処理を要している時は、コンピューター全体の処理速度がスローになる。
同じく、神の脳が1人に対して膨大な作業をしている時は、宇宙全体の進行速度もスローになるのだ。
例外なく、みんなが、神とつながっている。
みんな、何かしらの役割を担って、この世に存在している。
もし、あなたが、あなたから見て害がある人を正当じゃない方法で排除したとしても、あなた自身の魂に原因があるのであれば、あなた自身が更生しない限り、また、新たに誰かがその役割を担当して元の状態に戻ることになる。
人じゃなく病気やケガや障害という形で、あなたに過ちを気付かせるケースもある。
あなたの魂に原因がない場合であっても、それは、それで、何かしらの意味があって与えられている苦難なのであって、神から期待されているからこそ高度な課題を与えられることもある。
言ってくる相手の主張の方が間違っているのなら「“間違っている”ということを相手にどうやって気付かせるか」が今回の人生で解決すべき課題となる。
一般的な課題をクリアした人が、さらに高度な課題へと進み、病気やケガや障害の体を与えられる、というケースもあるのだ。
この世は、あなたに楽させるために存在している世界ではない。
あなたの魂を成長させるための舞台なのだ。
魂的に見て問題がない者は、刑務所的な側面も持っているこの世に生まれ出てくる必要はない。
前世までに自分が犯した罪に対する罰かもしれないし、悪に対する対処法をまだ確立していない未熟な魂だからかもしれないし、いずれにせよ、この世に生まれてきたのであれば、どこかしらに問題がある魂なのだ。
あなたが親や教師などの教育者の立場にいるなら、その問題点を見つけ出して、改善できるように手助けしてあげればいい。
金や物や知識を与えてあげる、だけが愛ではない。
間違ったことをした時に叱ってあげる、のも愛。
そして、「悪の道に進んでしまったことを後悔させてあげる」というのが究極の愛なのだ。
人間が、犯罪者を更生させるために刑務所に入れておくように、神が、魂的に見て問題がある者を、この世に閉じ込めて監視している。
拘束されている間は最低限の衣食住だけ与えられている状態で、真に楽しめる世界は、刑務所の外にある。
人間が作った刑務所からは「更生したフリ」でも出てくることが出来るけど、神が作り上げし刑務所からは「更生したフリ」では出ることは出来ない。
ちゃんと心から更生するまで、拘束着(体)を脱ぐことは許されない。
そして、魂が神に近づけば近づくほど拘束を緩和された服(体)へと変更される、ということなのだ。
人の思いが変われば、地球も変わる。
この世は「神が作成したテスト用紙に人間が解答を書き込んで提出する」という関係だから、必ず答えは存在していて、人間が「正しい答え」を出していないから、いつまでたっても同じ所をグルグルと回ることになり「歴史はくり返す」ということになってしまう。
ちゃんとクリアしたら「新たなステージ」へと進めるはずなのだ。
アコヤ貝の真珠、ゴムの木の樹液、カイコのマユ、これらの完成形であるネックレスや輪ゴムや絹織物、さらには、声帯の振動と楽器による音楽、今ある様々なファッション、料理、建築、言語、芸能、これらの全てを「素材を用意した時点で」神は予見できていた。
そして、石油を使用したことによって排気ガスによる健康被害や大気汚染が起こり、人間達が環境問題に取り組むようになることも、石油を用意した時点で、神には分かっていたことなのだ。
人類の歴史は「神に追いつく」歴史。
原始時代から現代に到るまで、木と石でオノを作って狩猟をして、土をこねて容器を作って、大地を耕して稲作をして、鉄で剣や鎧を作り、石炭で蒸気機関車を動かし、石油で自動車を走らせて、今、やっと、飛行機に乗って空を飛べて、宇宙船に搭乗して宇宙に行けて、自宅でパーソナルコンピューターを扱える所まで技術が進歩したけど、神がやっていることと比べてみれば分かるように、まだまだ、人間は神の足元にも及ばないレベルなのだ。


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無神論者の大敗北

2018年05月06日 | メイン
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では、今回の「神宿る文章」をお届けします。

マグマ活動がもたらす火山の噴火、大陸プレートと海洋プレートの摩擦によって発生する地震や地殻変動、まるで生きているかのように脈動する地球は、人間における内臓に相当する神の体の一部分であるからこそ、ドクドクと脈打って動き続けている。
そして、人間の体だって、神の体の1部分なのだ。
人間の脳が人間の体を管理しているように見せかけて、実は、神の脳が人間の体を完全に支配して管理している。
生物に関する情報が詰め込まれている「遺伝子」、これは、神が残した「メモ書き」なのであって、人間と違って神は「忘れない」から、目的は「人間に観察させるため」ということになり、そして、人間の体を形成している何兆個の細胞すべてに遺伝子が組み込まれているのだから「全ての細胞が神の管理下にある」という結論に達する。
惑星の自転や公転が自動的に処理されているように、人間の成長期や老いによる年齢的な体形の変化も自動処理となっていて、神が設定した通りに、人間は成長して老いていくのだ。
体内(宇宙内)における生物に着せる服(体)の形状の変更、その生物にどのような一生を歩ませるかの運命(予定表)の変更、全ての設計者である神は「形状や性質や法則を自由に変更できる」という立場にいる。
生き抜くのに必要な分だけの能力と知識を与えられて、生物は、この世に誕生するのだ。
もちろん、人間だって例外ではない。
トンボが「空の飛び方」を熟知していなくても「神にお任せ」で軽々と飛べているように、人間も、ほとんどの作業を神にやってもらっていて、難しいことを考えずに、食べたり飲んだりしているだけで、体を子供から大人へと成長させることが出来る。
神は全生物の体の構造を知り尽くしている偉大なる御方で、神の存在ありきの話で、やっと、この世のシステムを分かりやすく解説できるようになる。
神の存在なしの解説では絶対に矛盾点が生じてくるし、無神論者は、この点を見落としているからグダグダな説明になってしまうのだ。
人間は、理解できないことが起こると「不思議だね」という一言で片づけてしまう。
神の視点が加わると、この不思議を解説できるようになる。
一例、紹介しよう。
果実の種は、動物が食べても消化されずにフンとなって排出されるから「植物は種を遠方に運んでもらうために動物を利用している」のだけど、「動物が食べておいしいと感じる果実」を実らせるためには、動物から「食べてみた感想」を聞かなければ作れない。
人間は「植物って賢いね」なんて言って済ましてきたけど、よ~く考えてみると、これは大問題で、私の文章を読んで「神がメンテナンスしている」と気付いた読者なら納得できる話なのだけど、それ以外の人は、矛盾点を無視して強引に納得していただけなのだ。
「種が消化されるかどうか」なんてのは、本来、何度も何度も実験を重ねた研究レポートがないと分からない事実だ。
生物が「自力で進化した」のならば「人間よりも植物の方が賢い」ということになり、おかしな話になってしまう。
神という「仲介者」なしでは、この世は成立しないのだ。
植物が賢いのではなく神が賢い、ということ。
そして、神の知性は人間をはるかに超えていて、ケタ外れに優れている才能であるから、宇宙全体を舞台として、魂が歩む壮大な教育プログラムを作り上げてしまった、ということなのだ。
セミの一生は「最後に花開く」という美学になっている。
頑張って生きていけば、その努力が報われて、空を飛んだり音楽を奏でられるようになって「ここまで生きてきて本当に良かった」という思いと共にセミは死んでいくのだ。
もちろん、人間の一生にも、重大な意味が付け加えられている。
人間に対しては、より高度なことも要求されていて、老いて自分の若かりし頃の過ちを反省することで、自分の魂を成長させる形にもなっているのだ。
いつの世も、神の教えを伝える先生的な人が存在していて、これは、決して途切れることはない。
いずれ、何度も何度も聞いている内に、神の教えの真意が分かってくるようになる。
少しずつでもいいから神の教えに従って頑張って自分の魂を成長させていけば、遅い早いの違いこそあれ、みんな、神の御心へと昇進できるようになっているのだ。


Author:神描人(かみえがきびと)

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地球は神の創作の中心地点

2018年05月05日 | メイン
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人間の5感以上の感覚を所有し、宇宙に存在するもの全てを見通せる神だからこそ、人間の頭では捕らえきれない事象をもはっきりと捕獲できるのであって、宇宙の頂点に君臨している御方だからこそ、宇宙内の法則をも変更できる決定権を持っている。
元々ある法則に自分が考えた法則を付加して独自の法則を作り上げている状態かもしれないけど、いずれにせよ、人間目線で地球を中心地点として成立している法則なのだから、人為的に作られた法則であるのは間違いない。
人間が「住みやすい」「住みにくい」という話ならまだしも、水の「沸点」や「凝固点」など、無生物に対しても地球が最適なポイントに配置されているのだから「生物が環境に適応した」という表現よりも「生物に最適な環境を先に作って用意しておいた」という表現の方が正しいのだ。
北極と南極から赤道に向かって、氷、雪、雨、と様相が変わっていき、海水が太陽光に熱せられて水蒸気となって雲を形成し、雨となりて陸地に降りそそぎ、川となって海へと戻っていく。
太陽光を反射して夜に適度に輝く月、その月の引力によって発生する潮の満ち引き、地球の自転や公転などが原因で発生して常時吹いている偏西風や貿易風、はるか遠方の魚やプランクトンなどを運んできてくれる黒潮や親潮などの海流、これら常に動いている存在によって働く自然浄化作用システム、北極と南極の氷による微妙な海面変動、全て、完璧に計算され尽くしているのだ。
そして、二酸化炭素などの温室効果ガスによる地球温暖化、このシステムを理解すれば、惑星自体の大きさを変更して重力や空気層や水分バランスなどの調整もして「地球の隣の惑星である金星と火星においても生物が快適に住める環境とすることも可能だった」ということが判明する。
そこまで大々的にデザイン変更しなくとも、もっと簡単に、金星と火星の公転軌道をちょっとだけ修正すれば地球と似たような環境にすることだって可能だったのだ。
しかし、あえて、神は、そうは、しなかった。
地球が、神の創作の中心地点であることは、もはや、疑いようのない事実なのだ。


Author:神描人(かみえがきびと)

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