父なる母なる神~本物の神と出会える場所~

神世界へと行ける光の道を、神の姿を書き現して、神宿る文章をお届けしています。

神は「最短ルート」を選択している

2020年02月05日 | メイン【4周目】
人間は、神が作った自動的に進行する教育プログラムの中で生きている。
神が設定変更を行えば、あなたが常識だと思っていたことは一瞬でくつがえされることになり、この世とは全く異なる設定になっている上の世界へ行けば、今いる世界の常識は非常識となり、今いる世界の非常識が常識となる。
もちろん、「人間的な意思」が関与している法則だけに限った話だけど、その法則ならば、神は、どのようにでも変更可能なのだ。
土を耕して植物の種を植えて、肥料と水を与え続けて成長させて、何ヶ月も辛抱強く待って、やっと、美味しい果実が手に入る。
あなたはこれを常識だと思っているけど、これも1つの設定であり、完成品である果実がポンと手に入る世界にすることだって、神には可能なことなのだ。
大事に育てることの大切さを学ばせるために、色々な知識を学ばせるために、植物の成長過程をわざと複雑にしてある。
学び終わったら、すぐに果実が手に入る世界へと移行することになるのだ。
神が、「動」の絵である「植物の絵」を思い描いて生み出したのであって、植物が自力で進化した訳ではない。
植物の立場になって考えてみれば分かると思うけど、動物たちが競って奪い取りに来る美味しい料理である果実を実らせて、その中に動物の消化器官では消化されない種を仕込んでフンと一緒に遠方の土地へと運ばせて、芸術家に勝るとも劣らない美しい花を咲き誇らせている存在なのに、そんな賢い生き物が「ただ太陽の光に向かって伸びていって、あとはボンヤリと突っ立っているだけ」という退屈でつまらない生き方を選択する訳がない。
自然環境を整えるために、動物たちにエサを与えるために、人間たちに感動を与えるために植物は存在しているのであって、今現在は、果実を得るために面倒くさい取得手順になっているけど、本来は、どう考えても「すぐに手に入る」のが当たり前の手順であるはずなのだ。
もちろん、神世界に住む神は、全てにおいて「最短ルート」を選択して生活している。
あなたが住んでいる世界が「欲しいものがすぐに手に入れられない世界」となっているのは、神が、あえて、「遠回りルート」を選択させて生活させているからに他ならない。
本来、リンゴを食べるために、わざわざ、種を植えて植物として育てて実がなってから収穫する「遠回りルート」を選択するメリットは、全くない。
リンゴを手に入れるために根本的に必要なのは、種と土と水ではなく、種と土と水ですらも神という芸術家がデザインした作品なのだから、「種の絵」と「土の絵」と「水の絵」を生み出している「原子発生装置」が大元であり必要不可欠なのであって、その「絵を生み出す装置」を操作しさえすれば、直接「リンゴの絵」を生み出すことだって可能なのだ。
そう、神世界では、リンゴを食べたい時には、「リンゴ作成装置」からリンゴがどんどんと出てきて、食べ続けることが出来るようになっている。
もちろん、設定変更を行えば、「リンゴ作成装置」は「イチゴ作成装置」にもなるし、「ブドウ作成装置」にもなるし、それどころか、今、地球上に存在しているものなら何でも作成できてしまう超未来型のビックリ仰天装置なのだ。
夢のような信じられないような装置だけど、今、あなたの目の前で「リンゴの絵」や「イチゴの絵」や「ブドウの絵」を実現して見せてくれているのだから、これは、100%実現可能なことなのだ。
そして、もちろん、神が食べている「リンゴの絵」は、腐ったり汚れたりしないし、良好な味を保ったままで、いつまでもキレイで清潔なままだ。
人間が食べている「リンゴの絵」が腐ったり汚れたりするのは、神世界よりも下の世界であることを知らしめるために、わざと劣化版にしてあるだけの話なのだ。
でも、だからといって、神が、人間を、ないがしろにしている訳じゃなく、神は、ちゃんと、教育者の視点で、温かく見守り続けてくれている。
食べ飽きないように多種多様な果実が用意されていて、見飽きないように多種多様な美しい花が咲き乱れているのは、間違いなく、審美眼を持っている「人間のために」作っておいたからなのだ。
人間が、家の柱として木材を使用したり、空気を清浄にするために観葉植物を部屋の隅に置いたり、花見の季節のために桜の花道を作ったりすることは、植物を用意した時点で、神には全て想定済みのこと。
歴史上に人類が登場する前に、人類のための植物が存在している。
よく「卵が先か、ニワトリが先か」という議論が行われているけど、これは「神の思考が先」という答えが正解で、神が無から創造したものを誰にも気付かれない所にこっそりと置いておいたり、突然変異で誕生させたりして、偶然を装った形で新たな生物は生み出されていくものなのだ。
そして、神が100%の能力を発揮して作られた作品は神世界にあり、この世に存在している作品は、かなり能力をセーブして、品質をわざと落として作られている。
この世のものは、腐ったりサビたり風化したりして、わざと永遠に存続しないように設定されていて、当然あるべきはずのものが与えられていない。
人間がメンテナンスを怠ると壊れていってしまうものばかりで、桜の花見は春先の数週間しか楽しめず、楽しみは、なぜか最小限に抑えられていて、賞味期限や年齢制限など、本来、必要ないはずの制限も加えられているし、そんな、制限だらけの不自由な世界にあなたは住んでいる。
美味しい料理を食べ終わると、また手間ひまかけて作らなければいけないし、ずっと至福な状態を保ち続けたくても「お腹いっぱいになるまで」という制限すらも付いているのだ。
自分で、自分の意思で、自分の体を作ったならば、絶対に、こんな、おかしなリミッターは付けないはずだ。
自分で選んだなら、「食べ過ぎたら不健康になる体」ではなく「いくら食べても不健康にならない体」の方を、絶対に、選択するはずなのだ。
もちろん、自分で自分の体を選択できている「神の体」は、「いくら食べても不健康にならない体」となっている。
わざわざ、生き辛い方を、選びは、しないのだ。
そう、この世は、神の「人間的な意思」が実現している世界だから、地球上にいる全生物をはるか上から見ている神が全体的なバランスを考えて、「1個体に際限なく食べさせると食糧が枯渇して困ってしまう事態になるから“お腹いっぱいになるまで”というリミッターを付けて、さらに、“食べ過ぎたら不健康になる”というペナルティーも追加しよう」という神の裁量によって「動物たちの食事量」ですらも決められている世界なのだ。


Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)

預言者は「神の言葉」を預かる

2020年02月05日 | メイン【4周目】
本物の預言者は「神の言葉を預かる」。
未熟や語彙力不足などで招いた人間的なミスは除いて、大まかな流れにおいて、預言者たちの言葉をつなぎ合わせていくと、芸術的で壮大な神の言葉が浮かび上がってくる。
これは、人間が作り上げたものではない。
人智を、はるかに超えている。
正真正銘「神の言葉」なのだ。
聖典の中でずっと語り続けて、有史以来、人類の誕生以来、いや、はるか昔にあなたの魂が誕生して以来、ずっと正しき方向へと導き続けてくれていて、時に優しく、時に厳しく、時に情熱的である神の姿は、あなたが魂の教育者の立場になった時、その真意を理解できるようになることでしょう。
人間の思考を分け隔てて「見えない壁」で区切ってあるのも、教育のため。
思ったことが相手に伝わらずにウソでごまかせたり、壁でさえぎって誰も見ていない状況を作れたりして、この世は「わざと」隠れて悪いことが出来るように設定してある。
この部分こそが、テストで最も重要な所だからだ。
頭の中で思っていることが相手に伝わらなくて、言葉として発してから相手に伝わる仕組みにして、思考と言葉のどちらも閲覧可能である神が、両方を照らし合わせた正否をチェックしてテスト結果として残しておく。
それを見れば、どんな魂に育っているのかが、一目瞭然なのだ。
もちろん、当たり前の話だけど、上の世界である天国、神世界へと行きたいなら、自分の心を天使にしておく必要がある。
よく「人間は天使と悪魔の両面を持っている存在で、それが自然体だから、それでいいんだ」と説く人がいるけど、それは、違う。
「人間は天使と悪魔の両面を持っている存在だ」という表現よりも「天使と悪魔の両面を持っている中途半端な魂が軽めの地獄である人間世界に人間として生まれ出てくる」という表現の方が正しくて、天使だけになった者は上の世界へと旅立っているから、その事実に気付けなかっただけの話なのだ。
心がほとんど天使となった者は人間世界よりも上の世界へと旅立っていって、心がほとんど悪魔となった者は人間世界よりも下の世界へと堕ちていって、人間世界から居なくなる。
上の世界へ、下の世界へ行かなかった者が、また、人間として生まれてくるのだ。
だから、善人であってもどこか善人になりきれてない部分がある善人で、悪人であってもどこか悪人になりきれてない部分がある悪人で、そんな、中途半端な魂たちが集まって住んでいるのが、「人間世界」という場所の正体なのだ。
人間世界は、かなり軽めの地獄だから、それなりに楽しめる世界だけど、さらに上の世界を目指すなら、なんとか努力して、自分の中から悪魔を排除していかなければいけない。
「ちょっとした悪ふざけ」だとか、「寝坊して遅刻」だとか、笑って済まされる程度の悪事なら、神もそんなに責めずに許してくれるだろうけど、誰がどう考えてもダメな悪事は、絶対にしないように、自分の心を育てていかなければいけない。
ちゃんと更生できたら、神が、上の世界へと連れて行ってくれる。
神世界と人間世界の中間の存在である「天国」、神と人間の中間の存在である「天使」を書き現すのがとても難しいのだけど、神が「動」の絵である「天国の絵」と「天使の絵」を思い描いて生み出したのであれば必ず存在しているし、もちろん、神が思い描いて生み出していないのであれば、存在していない。
天国と天使が存在していない場合は、人間世界よりも上の世界は直で「神世界」となり、人間よりも上の存在は直で「神」となる。
全ては、神が決めることであり、全てが、神の「人間的な意思」によって実現していることなのであって、「神のみぞ知る」という言葉通り、神だけが全ての事実を知っている。
神が預言者に託した言葉から、少しだけ、その事実の1部分だけ推し測ることは出来る。
預言者たちは、絵空事を話していた訳じゃない。
上の世界は存在するし、そこに行くために何をするべきなのかを、ずっと人々に伝えてきた。
「人間」という生き物は、すぐに「悪魔の誘惑」に負けてしまう未熟な魂だから、本来、必要がないはずの苦しみをわざと追加されているのであって、思ったことがすぐに実現しない、欲しいものがすぐに手に入らない世界に閉じ込められている。
毎日毎日、やらなくていいはずの歯磨きとお肌のお手入れをやらされ続けて、する必要がないはずのオシッコやウンコをすることを義務付けられていて、ちょっと暑くなったり寒くなったり空気が薄くなったりしただけで苦しみ始めて、食べすぎて太ったり不規則な生活をしたり運動不足だったりするだけで不健康になり、紫外線でシミになる恐怖に脅えて、老いでシワになる恐怖に脅えて、体力の減退、視覚や聴覚や味覚の異常、記憶力の低下、ハゲ、加齢臭、病気、ケガ、様々な恐怖に脅えながら生きている。
まるで刑務所みたいになっていて、やらなくてもいいことをやらされ続けているのは「更生プログラム」だからなのだ。
更生プログラムなのだから、ちゃんと更生できさえすれば、これら全ての苦しみから解放され、上の世界へと行けるようになる。
だから、預言者たちは、「悔い改めよ、それが第1なのだぞ」と言い続けていたのだ。
人間が切望している「永遠の命」は、神とならねば、意味をなさない。
「日光に当たりすぎたらシミになる」という魔法をかけているのは神であり、「適度な運動をしないと不健康になる」という魔法をかけているのも神であり、「人間の体は老いていく」という魔法をかけているのも神であり、神が魔法を解いてあなたを神世界へと連れて行ってくれたなら、あなたの体は、日光に当たりすぎてもシミにならない体となり、運動をしなくてもずっと健康なままの体となり、老いることなくずっと若いままの体となる。
「人間世界」で「人間の体」のままで永遠の命を与えられても、それじゃ、「地獄」で「地獄用の拘束着(体)」を着たままでずっと過ごすことになってしまい、ご褒美じゃなく罰的な意味合いになってしまう。
神科学で自由に自分が住む世界を作り直せる「神世界」へと行き、自由に何度でも自分の体を作り直せる「神の体」を得て、それから「永遠の命」を手に入れることで、はじめて、それは、価値があるものとなるのだ。


Author:神描人(かみえがきびと)

読んでいただいてありがとうございます^^
私自身、まだまだ未熟な人間であるため「自分も一緒に更生させちゃおう」という勢いで書いてます。
「こういう人間になれたらいいな」という理想形を描いているので、ご理解よろしくお願いしますm(__)m

著者のホームページ:http://www002.upp.so-net.ne.jp/kami/

2018年4月からブログ記事を書き始める前の、2009年5月からホームページに書き始めた記事が載っているので、もし、よろしかったら、読んでみてください。
たいした人間じゃないのにビッグマウスで書いてる理由とかも書いてあるので、口調が凄く気になって平常心で読めない人は、是非、一読してみてください(^^;)