奴隷のくびきにつながれてはならない
(ガラテヤ5:1)
「自由を得させるために,
キリストはわたしたちを
解放して下さったのである。
だから,堅く立って,
二度と奴隷のくびきに
つながれてはならない。」
人間のわざでなく,
神への信仰による生活を
送るようにと言っていいます。
(ガラテヤ4:21-31)
「律法の下にとどまっていたいと
思う人たちよ。
わたしに答えなさい。
あなたがたは
律法の言うところを聞かないのか。
そのしるすところによると,
アブラハムにふたりの子があったが,
ひとりは女奴隷から,
ひとりは自由の女から生れた。
女奴隷の子は肉によって生れたのであり,
自由の女の子は
約束によって生れたのであった。
さて,この物語は比喩としてみられる。
すなわち,
この女たちは二つの契約をさす。
そのひとりはシナイ山から出て,
奴隷となる者を産む。
ハガルがそれである。
ハガルといえば,
アラビヤではシナイ山のことで,
今のエルサレムに当る。
なぜなら,それは子たちと共に,
奴隷となっているからである。
しかし,上なるエルサレムは,
自由の女であって,
わたしたちの母をさす。
すなわち,こう書いてある,
『喜べ,不妊の女よ。
声をあげて喜べ,
産みの苦しみを知らない女よ。
ひとり者となっている女は
多くの子を産み,
その数は,
夫ある女の子らよりも多い』。
兄弟たちよ。
あなたがたは,
イサクのように,
約束の子である。
しかし,
その当時,肉によって生れた者が,
霊によって生れた者を迫害したように,
今でも同様である。
しかし,聖書はなんと言っているか。
『女奴隷とその子とを追い出せ。
女奴隷の子は,
自由の女の子と共に
相続をしてはならない』
とある。」
○
キリスト者の自由
(ガラテヤ5:5,6)
「わたしたちは、
御霊の助けにより、
信仰によって
義とされる望みを強くいだいている。
キリスト・イエスにあっては、
割礼があってもなくても、
問題ではない。
尊いのは、
愛によって働く信仰だけである。」
ここで、
「もう一つ別の福音」(誤った教え)
(ガラテヤ1:7)が何か、
その問題、
そしてそこからの決別を教えます。
律法の行いが,
救いのために必用だというのは
誤りなのです。
※
信仰により,
聖霊の働きによる愛によって,
神に喜ばれる働が勧められます。
(ガラテヤ5:2-6)
「見よ、このパウロがあなたがたに言う。
もし割礼を受けるなら、
キリストは
あなたがたに用のないものになろう。
割礼を受けようとするすべての人たちに、
もう一度言っておく。
そういう人たちは、
律法の全部を行う義務がある。
律法によって
義とされようとするあなたがたは、
キリストから離れてしまっている。
恵みから落ちている。
わたしたちは、御霊の助けにより、
信仰によって義とされる
望みを強くいだいている。
キリスト・イエスにあっては、
割礼があってもなくても、問題ではない。
尊いのは、
愛によって働く信仰だけである。」
○
互いに愛し合う
(ガラテヤ5:13)
「兄弟たちよ。
あなたがたが召されたのは、
実に、自由を得るためである。
ただ、その自由を、
肉の働く機会としないで、
愛をもって互に仕えなさい。」
互いに愛し合うことが,
イエス・キリストを信じる者に与えられた,
神からの戒めです。
イエスは次のように言っています。
(ヨハネ5:12-14)
「わたしのいましめは、これである。
わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互に愛し合いなさい。
人がその友のために
自分の命を捨てること、
これよりも大きな愛はない。
あなたがたに
わたしが命じることを行うならば、
あなたがたはわたしの友である。」
(ガラテヤ5:13-15)
「兄弟たちよ。
あなたがたが召されたのは、
実に、自由を得るためである。
ただ、その自由を、
肉の働く機会としないで、
愛をもって互に仕えなさい。
律法の全体は、
『自分を愛するように、
あなたの隣り人を愛せよ』
というこの一句に尽きるからである。
気をつけるがよい。
もし互にかみ合い、
食い合っているなら、
あなたがたは互に
滅ぼされてしまうだろう。 」
2023-01-08