十字架につけられた世界
(ガラテヤ6:14)
「しかし私には,
私たちの主イエス・キリストの
十字架以外に
誇りとするものが
決してあってはなりません。
この十字架によって,
世界は私に対して
十字架につけられ,
私も世界に対して十字架に
つけられたのです。」
「世界は私に対して
十字架につけられ」
とは,
世界がわたしに対して,
力も価値もなくなったということを
あらわしています。
十字架につけられたとは
死を意味します。
この世は自分とは
関係なくなったという意味です。
(ローマ6:6)
「私たちの古い人が
キリストとともに
十字架につけられたのは,
罪のからだが滅びて,
私たちがもはやこれからは
罪の奴隷でなくなるためで
あることを,
私たちは知っています。」
(ヘブル12:2)
「信仰の創始者であり,
完成者である
イエスから
目を離さないでいなさい。
イエスは,
ご自分の前に置かれた
喜びのゆえに,
はずかしめをものともせずに
十字架を忍び,
神の御座の右に着座されました。」
キリストと世の関係を
歌ったものは,
次の新聖歌があります。
「栄えの主イェスの」
(新聖歌117)
1.
栄えの主イェスの
十字架を仰げば
世の富誉(ほま)れは
塵(ちり)にぞ等しき
2.
十字架の他には
誇(ほこ)りはあらざれ
この世のもの皆
消えなば消え去れ
3.
見よ
主の御頭(みかしら)
御手(みて)御足(みあし)よりぞ
恵みと悲しみ
交々(こもごも)流るる
4.
恵みと悲しみ
一つに溶け合い
茨(いばら)は眩(まばゆ)き
冠(かむり)と輝く
5.
ああ主の恵みに
報(むく)ゆる術なし
唯(ただ)身と魂(たま)とを
献げて額(ぬか)ずく
ペテロは,
キリストの十字架について,
次のように言います。
(1ペテロ2:22-25)
「キリストは
罪を犯したことがなく,
その口に何の偽りも
見いだされませんでした。
ののしられても,
ののしり返さず,
苦しめられても,
おどすことをせず,
正しくさばかれる方に
お任せになりました。
そして自分から十字架の上で,
私たちの罪を
その身に負われました。
それは,私たちが罪を離れ,
義のために生きるためです。
キリストの打ち傷のゆえに,
あなたがたは,
いやされたのです。
あなたがたは,
羊のようにさまよっていましたが,
今は,自分のたましいの牧者であり
監督者である方のもとに
帰ったのです。」
2014-02-02