十字架の苦難
(ガラテヤ3:13)
「キリストは,
私たちのために
のろわれたものとなって,
私たちを律法ののろいから
贖(あがな)い
出してくださいました。
なぜなら,
『木にかけられる者は
すべてのろわれたものである。』
と書いてあるからです。」
イエスは,
私たちの生きる苦難(困難)を
引き受けられます。
それによって,
私たちの生きる苦難(困難)は
取り除かれます。
十字架につけられた方は神です。
神は裁く方です。
しかし,十字架によって,
裁く方が裁かれました。
まさに裁く方が裁かれる方となり,
神の審判と呪いは,
イエス・キリストが受けました。
すなわち,
裁く神が裁かれる人と
なったのです。
イエスが,私たちの審判,
呪いと罪を御自身の身に
受けてくださいました。
そして,わたしたちは呪い,
罪のないものとされます。
神の子の受難は,
真の神の受難であり,
十字架の神の業です。
○
(申命記21:22,23)
口語訳
「もし人が
死にあたる罪を犯して殺され,
あなたが
それを木の上にかける時は,
翌朝までその死体を
木の上に留めておいてはならない。
必ずそれをその日のうちに
埋めなければならない。
木にかけられた者は
神にのろわれた者だからである。
あなたの神,
主が嗣業として賜わる地を
汚してはならない。」
☆彡
(ガラテヤ3:13-14)
「キリストは,
私たちのために
のろわれたものとなって,
私たちを律法ののろいから
贖(あがな)い出して
くださいました。
なぜなら,
『木にかけられる者は
すべてのろわれたものである。』
と書いてあるからです。
このことは,
アブラハムへの祝福が,
キリスト・イエスによって
異邦人に及ぶためであり,
その結果,
私たちが信仰によって
約束の御霊を
受けるためなのです。」
2015-12-11 07