義とされる祈り
(ルカ18:14)
「言っておくが,
義とされて家に帰ったのは,
この人であって,
あのファリサイ派の人ではない。
だれでも高ぶる者は低くされ,
へりくだる者は高められる。」
「義と認められて」(18:14)
とは,すべての罪が赦されて,
神の御前に
正しいと認められることです。
パリサイ人は
自分の行ないの正しさによって,
義とされようとしますが,
義と認められません。
取税人は
自分の罪深さを自覚したため,
罪が赦され,
神の御前で
正しい者と認められました。
☆彡
徴税人とファリサイ派の人の祈り
(ルカ18:9-14)
自分は正しい人間だとうぬぼれて,
他人を
見下している人々に対しても,
イエスは次のたとえを話された。
「二人の人が
祈るために神殿に上った。
一人はファリサイ派の人で,
もう一人は徴税人だった。
ファリサイ派の人は立って,
心の中でこのように祈った。
『神様,
わたしはほかの人たちのように,
奪い取る者,不正な者,
姦通を犯す者でなく,
また,
この徴税人のような者でも
ないことを感謝します。
わたしは週に二度断食し,
全収入の十分の一を
献げています。』
ところが,徴税人は遠くに立って,
目を天に上げようともせず,
胸を打ちながら言った。
『神様,罪人のわたしを
憐れんでください。』
言っておくが,
義とされて家に帰ったのは,
この人であって,
あのファリサイ派の人ではない。
だれでも高ぶる者は低くされ,
へりくだる者は高められる。」
2021-09-07