1.福音の初め(福音の初め)
マルコ1:1 (福音の初め)
マルコ1:2-8
(洗礼者ヨハネ,教えを宣べる)
「神の子イエス・キリストの福音の初め」
(マルコ1:1)
Ⅰ
「神の子イエス・キリストの福音の初め」
(マルコ1:1)
という言葉で始まる今日の福音書の日課は,
マルコによる福音書の序論の箇所です。
ですから,
これから始まる福音書の案内や内容を
要約してくれます。
まず,この福音書の表題として,
人の子イエス・キリストの福音の初め」と記し,
○
(ヨハネ1:1-3 言が肉となった)
マルコによる福音書は
主のご降誕に関しては全く触れていません。
マタイは系図から始めます。
ルカは自分が書いたものを
テオフィロという人に贈る
献呈の言葉から始めています。
ヨハネによる福音書は,
旧約聖書の創世記に倣(なら)った形で
書き起こしています。
創世記は万物の創造が
神様によってなされたことを書きます。
そこで用いられている最初の言葉は,
「初めに」(創世記1:1)という言葉であり,
その言葉の後で,
「神は天地を創造された」(創世記1:1)
と記しています。
ヨハネによる福音書も
「初めに」(ヨハネ1:1)
という言葉で始めて,
「言葉があった」(ヨハネ1:1)と記し,
この言葉は「神であった」(1:1)と記します。
次に神である言による万物の創造を,
次の言葉で記します。
「万物はことばによって成った。
成ったもので,
ことばによらずに成ったものは
一つもなかった。」
(ヨハネ1:3)
Ⅱ
(マルコ1:1-8)
(洗礼者ヨハネ,教えを宣べる)
次にイエス・キリストが
神から遣わされた方であることを,
イザヤ書の言葉を引用する形で伝えます。
(マルコ1:2、3)
「預言者イザヤの書にこう書いてある。
「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
あなたの道を準備させよう。
荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、
その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、」
しかし,その言葉はイザヤ書の言葉そのものではありません。
イザヤ書の言葉はバビロン捕囚に関する言葉で,
バビロンで奴隷として過ごしていた
イスラエルの人々が解放されるという預言ですが,
マルコによる福音書では,
イエスさまの到来に当てはめて書かれています。
イザヤ書では,
天上での神様の「慰めよ,わたしの民を慰めよ」
という言葉がまず響いて来て,
次に「荒れ野に道を備えよ」との宣言がなされます。
「呼びかける声がある。
主のために,荒れ野に道を備え
わたしたちの神のために,
荒れ地に広い道を通せ。」
(イザヤ40:3)
この宣言の箇所を用いて,
マルコによる福音書は
ヨハネの使者としての使命を明確にするために,
「見よ,わたしはあなたより先に使者を遣わし」
(マルコ1:2)という言葉を書き加えています。
この言葉は出エジプト記で,
モーセに神様がお伝えになった言葉です。
出エジプト記のつぎの言葉です。
(出エジプト23:20)
「見よ,
わたしはあなたの前に使いを遣わして,
あなたを道で守らせ,
わたしの備えた場所に導かせる。」
ここでのあなたはモーセであり,
イスラエルの人々のことですが,
「あなた」という言葉を加えることによって,
マルコによる福音書は
イエス・キリストに神様が
「あなた」と語りかけおられることを示します。
こうして,イエスさまの派遣は,
神様御自身がなさったことを明らかにし,
イエスさまの使命をより鮮明にするために,
マラキ書の次の言葉を用いています。
「見よ,わたしは使者を送る。
彼はわが前に道を備える」
(マラキ3:1)
これらの聖書の言葉を用いて,
神の子イエス・キリストの使命を
神様がお与えになったことを
明らかにするとともに,
それらを預言者イザヤの書とすることによって,
この使命の背景が
「慰めよ,わたしの民を慰めよ」
という神様の思いを伝えてくれています。
○
そして,主の道を備える者として,
洗礼者ヨハネは,次のように言います。
「わたしは水で洗礼を授けたが,
その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
(マルコ1:8)
☆彡
マルコ1:1-8
(洗礼者ヨハネ,教えを宣べる)
神の子イエス・キリストの福音の初め。
預言者イザヤの書にこう書いてある。
「見よ,
わたしはあなたより先に使者を遣わし,
あなたの道を準備させよう。
荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え,
その道筋をまっすぐにせよ。』」
そのとおり,
洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて,
罪の赦しを得させるために
悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆,
ヨハネのもとに来て,
罪を告白し,
ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
ヨハネはらくだの毛衣を着,
腰に革の帯を締め,
いなごと野蜜を食べていた。
彼はこう宣べ伝えた。
「わたしよりも優れた方が,
後から来られる。
わたしは,
かがんでその方の履物のひもを
解く値打ちもない。
わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが,
その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
2008年12月7日
(松隈貞夫牧師)
2021-02-28