朝の光(聖書の言葉)

3.「からし種」のたとえ (からし種)  

.「からし種」のたとえ (からし種)  

マルコ4:26-34 

(「からし種」のたとえ)

「神の国を何にたとえようか。
どのようなたとえで示そうか。
それは,からし種のようなものである。
土に蒔かれるときには,
地上のどんな種よりも小さいが,
蒔くと,
成長してどんな野菜よりも大きくなり,
葉の陰に空の鳥が
巣を作るほどに大きな枝を張る。」
(マルコ4:30b-32)




(マルコ2:1-22 ガリラヤ伝道)

「時は満ち,
神の国は近づいた。
悔い改めて福音を信じなさい」
(マルコ1:15)

とイエスさまのガリラヤでの宣教は始まり,

弟子たちを招き,

多くの病人を癒(いや)しました。


イエスさまは人々が

罪人として遠ざけている人たちと

一緒に食事をされました。


ファリサイ派の人々や律法学者は,

イエスさまが罪人たちと

食事をされるのを見て批評しました。


その批判に対して,

「医者を必要とするのは,

丈夫な人ではなく,

病人である。

わたしが来たのは,

正しい人を招くためではなく,

罪人を招くためである」

(マルコ2:17)

とおっしゃいました。


つぎに,

「新しいぶどう酒は,

新しい革袋に入れるものだ」

(マルコ2:22)

とおっしゃいました。


新しい革袋を用意するために,

その宣教を進められました。


それは,イエスさまをお遣わしになった

父である神様の御心に沿うものでした。


その御心を示すものとして,

安息日についての

イエスさまのお言葉も

受け取ることができます。



(マルコ2:23-3:6 安息日論争)

イエスさまは安息日について,

「安息日は,人のために定められた。
人が安息日のためにあるのではない。
だから,人の子は安息日の主でもある」
(マルコ2:28-29)

とおっしゃっています。


ここに,神様の福音を伝える

新しい革袋が用意されています。


この革袋に,

わたしたちは新しいぶどう酒を

注がなければなりません。
 

奴隷解放を推進した

アブラハム・リンカーンは貧しい家に育ち,

聖書とユークリッドの幾何学の本を

テキストに教養を磨いたと言われています。


彼の演説集には,

聖書から取られた有名な演説があります。


それは,

「分かれたる家は立つこと能わず」

という演説です。


先週,わたしたちは日課の言葉として,

その言葉を聞きました。


イエスさまに

「あの男はベルゼブルに取りつかれている」,

「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」

(マルコ3:22)

という批判する人々に対して,


イエスさまは

「どうして,サタンがサタンを追い出せよう。
国が内輪で争えば,その国は成り立たない。
家が内輪で争えば,その家は成り立たない」
(マルコ3:23-25)

とお答えになっています。


リンカーンは,

このイエスさまのお言葉を用いて

演説をしています。


リンカーンの有名な演説に

ゲティスバーグ演説があります。


奴隷解放を巡る対立の中で

戦われた南北戦争で,

戦死した人々の最後の安息の場所として

ささげられた墓地の献納に

際して演説されました。


その演説は,次の言葉で結ばれています。

「神のもとに,
新しく自由の誕生をなさしめるため,
そして人民の,人民による,
人民のための,
政治を地上から
絶滅させないためであります。」


これは岩波文庫に納められた

演説集から引用しましたが,

人民と訳された言葉は

ピープルという言葉ではないかと思います。


後書きの解説では,ある演説で,

「ア ガヴァメント オブ ザ ピープル バイ ザ セイム ピープル」

という言葉が使われていることを

紹介しているからです。


「神のもとに,

新しい自由の誕生をなさしめるための,

そして人々の,人々による,

人々のための政治」

という言葉は,

イエスさまがおっしゃった

「安息日は人のために定められた。

人が安息日のためにあるのではない。

だから,人の子は安息日の主でもある」

(マルコ2:27)

という言葉に重ねることができます。


その時代の新しいぶどう酒として,

リンカーンの言葉も受け取ることができます。


「安息日は,人のために定められた。

人が安息日のためにあるのではない。

だから,人の子は安息日の主でもある」

(マルコ2:27)


と言われたイエスさまを,

人々は十字架につけました。


「神のもとに,人々の,

人々による,人々のための政治」

を目指したリンカーンは銃で殺されました。


これが罪に束縛(そくばく)された

人間の世界ではないでしょうか。


この社会に対して,

わたしたちは宣教していかなければなりません。



イエスさまは神の国を

「成長する種」にたとえ,

また「からし種」にたとえて

お話しくださいました。


わたしたちに勇気を

与えるたとえではないでしょうか。 




(マルコ4:26―34)
(「成長する種」のたとえ)

イエスさまは,

まず神の国を「成長する種」に

たとえて話されました。


その成長の過程を,

イエスさまは

力強く語ってくださっています。


人が土に種を蒔くと,

夜昼寝起きしている間に,

芽を出し成長します。


しかし,どうしてそうなるかは,

蒔いた人は知りません。


土はひとりでに実を結ばせるのです。


「神の国は,
人が地に種を蒔(ま)くようなもので, 
夜は寝て,朝は起き,
そうこうしているうちに,
種は芽を出して育ちます。
どのようにしてか,人は知りません。
地は人手によらず実をならせるもので,
初めに苗,次に穂,
次に穂の中に実がはいります。
実が熟すると,
人はすぐに鎌(かま)を入れます。
収穫の時が来たからです。」
(マルコ4:26-29)


イエスさまを殺し,

リンカーンを殺す社会の中にあって,

豊かな収穫のあることを

イエスさまは語ってくださいます。




(マルコ4:30―34)

(「からし種」のたとえ)


続いて,神の国を「からし種」にたとえて,

次のようにとおっしゃいました。 

「神の国は,
どのようなものと言えばよいでしょう。
何にたとえたらよいでしょう。
それはからし種のようなものです。
地に蒔かれるときには,
地に蒔かれる種の中で,
一番小さいのですが,
それが蒔かれると,
生長してどんな野菜よりも大きくなり,
大きな枝を張り,
その陰に空の鳥が
巣を作れるほどになります。」
(マルコ4:30-34)


わたしたちに委(ゆだ)ねられているのは,

イエスさまの言葉を伝えることです。


伝えれば必ず,豊かな実りがもたらされ,

神の国はその陰に人々が

憩うことができるほどになります。




☆彡


マルコ4:26-34 

(「からし種」のたとえ)

イエスは言われた。
「神の国は次のようなものである。
人が土に種を蒔いて,
夜昼,寝起きしているうちに,
種は芽を出して成長するが,
どうしてそうなるのか,その人は知らない。
土はひとりでに実を結ばせるのであり,
まず茎,次に穂,
そしてその穂には豊かな実ができる。
実が熟すと,早速,鎌を入れる。
収穫の時が来たからである。」
更に,イエスは言われた。
「神の国を何にたとえようか。
どのようなたとえで示そうか。
それは,からし種のようなものである。
土に蒔くときには,
地上のどんな種よりも小さいが,
蒔くと,
成長してどんな野菜よりも大きくなり,
葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど
大きな枝を張る。」
イエスは,人々の聞く力に応じて,
このように多くのたとえで御言葉を語られた。
たとえを用いずに語ることはなかったが,
御自分の弟子たちには
ひそかにすべてを説明された。


(2006年7月15日)


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「説教」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事