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朝の光(聖書の言葉)

聖書の言葉 120 新約聖書 ( ローマ ー 黙示)1 (2016.12.24)

電車の待ち時間,

通勤の電車の中でお読みください。


聖書によれば,

すべての人にとって,

最も大切なものは,

福音です。


新約聖書の手紙を,

駆け足で読んでみたいと思います。


大きい駅にだけ停まる快速電車のように,

聖書の一部をとばしながら書いています。


ところどころ読んでください。

急ぐ人は太字だけ読んでください。





福音とは

 
ローマ1:15-17口語訳)

わたしとしての切なる願いは,
ローマにいるあなたがたにも,
福音を宣べ伝えることなのである。
わたしは福音を恥としない。
それは,ユダヤ人をはじめ,
ギリシヤ人にも,
すべて信じる者に,
救を得させる神の力である。
神の義は,
その福音の中に啓示され,
信仰に始まり信仰に至らせる。
これは,
『信仰による義人は生きる』
と書いてあるとおりである。」

 
「福音」とは,「良い知らせ」です。
 

イエス・キリストの十字架の死によって,

信じる者の罪が赦され,

永遠の命が与えられることです。

 
福音とは,

イエス・キリストが神のみ子であり,

人として生まれ,

死人から復活したという知らせです。

 
「信じる」とは,

イエス・キリストを信じることであり,

福音の真理に同意し,

救い主を信頼することです。

 
「信仰」とは,

イエス・キリストを信じることです。

神の前にたち,自分が貧しくなり,

自分に死に,

イエス・キリストに生きることです。

 
「救い」とは,人を,罪の力,

死の恐怖,永遠の滅びからの

救いです。

 
イエス・キリストを

信じることによって救われます。

 
「義人は信仰によって生きる」は,

旧約聖書のハバクク書2:4からの引用です。



(ハバクク2:4)

「見よ,
その魂の正しくない者は衰える。
しかし義人は
その信仰によって生きる。」




キリストの贖い

(ローマ3:24)

「ただ,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる贖いのゆえに,
価なしに義と認められるのです。」


「贖い」とは,

元来は代価を払って

買い取るという意味です。


キリストは,

ご自身の血(いのちをあらわしている)

によって,

身代金を払ってくださいました。



「価なしに」とは,

わたしたちの行い,

功績によらないでということです。


イエス・キリストの十字架の死によって,

わたしたちを救ってくださったのです。


わたしたちが罪の奴隷であったところから,

贖いの代価,すなわち,

いのちを払ってくださることによって,

罪を赦し,

罪から解放して下さったのです。






神に生きる


(ガラテヤ2:19,20)

「私は,神に生きるために,
律法によって律法に死にました。
私はキリストとともに
十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく,
キリストが私のうちに
生きておられるのです。
いま私が,この世に生きているのは,
私を愛し私のために
ご自身をお捨てになった
神の御子を信じる
信仰によっているのです。」


この言葉は,

パウロの個人的な体験です。


しかし,

わたしたちの体験にもなります。


わたしたちが,

イエス・キリストを信じて生きているのは,

わたしたちが主と共に死んでおり,

主の復活と共に生きているのです。




イエス・キリスト御自身は,

次のように言っています。


(マタイ16:24)

「イエスは弟子たちに言われた。
『だれでも
わたしについて来たいと思うなら,
自分を捨て,
自分の十字架を負い,
そしてわたしについて来なさい。』」





「アバ父」


(ガラテヤ4:6)

「そして,
あなたがたは子であるゆえに,
神は『アバ,父。』と呼ぶ,
御子の御霊を,
私たちの心に
遣わしてくださいました。」



「アバ」とは,

アラム語で「お父さん」という言葉です。


聖霊がわたしたちに働きかけて,

「アバ父よ」と言わすのです。


わたしたちが

イエス・キリストを信じたとき,

神に向かって

「お父さん」と呼びかけることが

できるようになります。


(ローマ8:14-17)

「神の御霊に導かれる人は,
だれでも神の子どもです。
あなたがたは,
人を再び恐怖に陥れるような,
奴隷の霊を受けたのではなく,
子としてくださる御霊を受けたのです。
私たちは御霊によって,
「アバ,父。」と呼びます。
私たちが神の子どもであることは,
御霊ご自身が,私たちの霊とともに,
あかししてくださいます。
もし子どもであるなら,
相続人でもあります。」


イエス・キリストを信じる者は,

神の子であり神の相続人となるのです。





「キリストが形づくられる」


(ガラテヤ4:19)

「私の子どもたちよ。
あなたがたのうちに
リストが形造られるまで,
私は再びあなたがたのために
産みの苦しみをしています。」


パウロは,

ガラテヤの信徒が

心の中にキリストが形造られるまで,

パウロ自身が苦しむといっています。


わたしたちは,

わたしたちの内に

キリストの形を造るべきです。


イエス・キリストご自身が,

わたしたちの心の中にいるということが,

わたしたちの生き方です。


そして,私たちの喜びです。





御霊(聖霊)の実


(ガラテヤ5:22,23)

「御霊の実は,
愛,喜び,平安,
寛容,親切,善意,
誠実,柔和,自制です。
このようなものを禁ずる律法は
ありません。」


イエス・キリストが十字架につけられ,

復活し,昇天した後,

聖霊が降(くだ)ります。


イエス・キリストを信じる者は,

信じたときこの聖霊を受けます。


私たちは,肉の行いではなく,

御霊によって導かれるように,

勧められています。

御霊によって導かれるなら,

わたしたちは御霊の実を結んでいきます。

生まれたままの生き方では,

実を結ぶことはできません。


☆彡


(ガラテヤ5:22-25)

「御霊の実は,愛,喜び,平安,
寛容,親切,善意,
誠実,柔和,自制です。
このようなものを禁ずる律法は
ありません。
キリスト・イエスにつく者は,
自分の肉を,
さまざまの情欲や欲望とともに,
十字架につけてしまったのです。
もし私たちが
御霊によって生きるのなら,
御霊に導かれて,
進もうではありませんか。」





イエスと共に天に座らせてくださる

(エペソ2:4-6)

「しかし,あわれみ豊かな神は,
私たちを愛してくださった
その大きな愛のゆえに,
罪過の中に死んでいたこの私たちを
キリストとともに生かし,
・・あなたがたが救われたのは,
ただ恵みによるのです。・・
キリスト・イエスにおいて,
ともによみがえらせ,
ともに天の所に
すわらせてくださいました。」


イエス・キリストを信じる者は,

罪と悪魔の力から開放されています。


信じる者は,

霊においては

キリストと共に十字架につけられ,

キリストと共に復活しているからです。


イエス・キリストは復活し,

天に昇り,神の右にいます。


イエス・キリストを信じる者もまた,

キリストと共に

天の所にすわらせてくださいます。


☆彡


(エペソ2:4-8 口語訳)

「しかるに,あわれみに富む神は,
わたしたちを愛して下さった
その大きな愛をもって,
罪過によって死んでいたわたしたちを,
キリストと共に生かし
――あなたがたの救われたのは,
恵みによるのである――
キリスト・イエスにあって,
共によみがえらせ,
共に天上で座に
つかせて下さったのである。
それは,キリスト・イエスにあって
わたしたちに賜わった
慈愛による神の恵みの絶大な富を,
きたるべき世々に示すためであった。
あなたがたの救われたのは,
実に,恵みにより,
信仰によるのである。
それは,
あなたがた自身から出たものではなく,
神の賜物である。」




愛の深さ


(エペソ3:17-19)

「また,信仰によって,
キリストが
あなたがたの心のうちに住み,
あなたがたが愛に根ざし愛を
基として生活することにより,
すべての聖徒と共に,
その広さ,長さ,高さ,深さを
理解することができ,
また人知をはるかに越えた
キリストの愛を知って,
神に満ちているもののすべてをもって,
あなたがたが満たされるように,
と祈る。」


神はご自身の愛の「深さ」によって,

わたしたちが沈み込んだとき

助けてくださいます。


イエスは,

わたしたちが落ち込んでいるとき,

わたしたちを,愛し助けてくださるのです。


イエス・キリストが誕生し,

罪のない生涯をすごし,

十字架につけられ死に,

葬られ,復活し,天国に上げられたのは,

わたしたちへの愛によっているのです。


わたしたちがイエス・キリストが

与えられて下さって愛に満たされるように,

パウロは祈っていました。




キリストは神の御姿である


(ピリピ2:6-8)

「キリストは神の御姿である方なのに,
神のあり方を捨てられないとは考えず,
ご自分を無にして,
仕える者の姿をとり,
人間と同じようになられました。
人としての性質をもって現れ,
自分を卑しくし,
死にまで従い,
実に十字架の死にまでも
従われました。」


パウロはピリピの手紙で,

イエスが来られたのは,

神のへりくだりであったと述べます。


イエス・キリストは

人に仕える生涯でありました。


また,

父なる神への従順な生涯でもありました。


私たちもこのイエス。

キリストの倣いたいと思います。


☆彡


(ピリピ2:3-11)

「何事でも
自己中心や虚栄からすることなく,
へりくだって,互いに人を
自分よりもすぐれた者と思いなさい。
自分のことだけではなく,
他の人のことも顧みなさい。
あなたがたの間では,
そのような心構えでいなさい。
それはキリスト・イエスのうちにも
見られるものです。
キリストは神の御姿である方なのに,
神のあり方を捨てられないとは考えず,
ご自分を無にして,
仕える者の姿をとり,
人間と同じようになられました。
人としての性質をもって現れ,
自分を卑しくし,死にまで従い,
実に十字架の死にまでも従われました。
それゆえ神は,この方を高く上げて,
すべての名にまさる名を
お与えになりました。
それは,イエスの御名によって,
天にあるもの,地にあるもの,
地の下にあるもののすべてが,
ひざをかがめ,
すべての口が,
『イエス・キリストは主である』
と告白して,
父なる神が
ほめたたえられるためです。」




祈りと願い


(ピリピ4:6,7)

「何も思い煩わないで,
あらゆるばあいに,
感謝をもってささげる
祈りと願いによって,
あなたがたの願い事を
神に知っていただきなさい。
そうすれば,
人のすべての考えにまさる神の平安が,
あなたがたの心と思いを
キリスト・イエスにあって
守ってくれます。」


わたしたちが,

神に「感謝」と「祈り」をするなら,

神はわたしに

「平安」を与えてくださいます。


わたしたちの生涯には,

「感謝」「祈り」「平安」が必要です。


♪ 「告げよ主に」 (新聖歌 35)  

告げよ主に 告げよ今 内にある悩みを
御恵みに富める主は 聞き給わん親しく
主の許(もと)に 降(お)ろせ 
汝(な)が 重き荷の全てを
御恵みに 富める主は 
取り給(たま)わん 残らず




神のかたちである御子  


(コロサイ1:15,16)  

「御子は,見えない神のかたちであり,
造られたすべてのものより先に
生まれた方です。
なぜなら,
万物は御子にあって造られたからです。
天にあるもの,地にあるもの,
見えるもの,また見えないもの,
王座も主権も支配も権威も,
すべて御子によって造られたのです。
万物は,御子によって造られ,
御子のために造られたのです。」


御子イエス・キリストは,

見えない神の姿であるといいます。


御子は初めから存在する神であり,

天地を造られたお方です。


この神の御子は人として来られ,

わたしたちに

見えるようにしてくださいました。


そのお方が,イエス・キリストです。


父なる神,子なる神,

聖霊なる神が一つとなって,

天地万物を神が造られました。




ヨハネ福音書1章にも

同じことが書かれています。

(ヨハネ1:1-3)

「初めに,ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。
この方は,初めに神とともにおられた。
すべてのものは,
この方によって造られた。
造られたもので,
この方によらずにできたものは
一つもない。」




再臨 


(1テサロニケ4:16,17)

「主は,号令と,御使いのかしらの声と,
神のラッパの響きのうちに,
ご自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が,
まず初めによみがえり,
次に,生き残っている私たちが,
たちまち彼らといっしょに
雲の中に一挙に引き上げられ,
空中で主と会うのです。
このようにして,
私たちは,
いつまでも主とともに
いることになります。」


テサロニケの教会では,

キリストがまもなく再臨するのだから

働く必要はないと考える者がいました。


すでに死んだ者は

キリストの再臨に与かることがないと考え,

悲しむ者もいました。


そのような誤った再臨の考えに対して,

パウロが語ったものです。


わたしが,困難のなかにあっても,

主の再臨の希望は大きな慰めです。


○          


喜び,祈り,感謝

(1テサロニケ5:16-18) 
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について,感謝しなさい。
これが,キリスト・イエスにあって
神があなたがたに
望んでおられることです。」


パウロの勧めは,

信仰生活へのアドバイスになっています。




主の日が来る前の背教

(2テサロニケ2:3)
「だれにも,どのようにも,
だまされないようにしなさい。
なぜなら,まず背教が起こり,
不法の人,
すなわち滅びの子が現れなければ,
主の日は来ないからです。」


主が再び来られる前には,

神に対する反逆が起こります。


私たちは,苦難があっても,

主が再び来るまで,

主を信じ続けたいものです。


イエスは次のように言っていました。


(マタイ24:9-14)
「そのとき,人々は,
あなたがたを苦しいめに会わせ,
殺します。
また,わたしの名のために,
あなたがたは
すべての国の人々に憎まれます。
また,そのときは,
人々が大ぜいつまずき,
互いに裏切り,憎み合います。
また,にせ預言者が多く起こって,
多くの人々を惑わします。
不法がはびこるので,
多くの人たちの愛は冷たくなります。
しかし,
最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
この御国の福音は
全世界に宣べ伝えられて,
すべての国民にあかしされ,
それから,
終わりの日が来ます。」




キリスト再臨の希望

(2テサロニケ1:7)
「苦しめられているあなたがたには,
私たちとともに,
報いとして安息を与えてくださることは,
神にとって正しいことなのです。
そのことは,主イエスが,炎の中に,
力ある御使いたちを従えて
天から現われるときに起こります。」


イエス・キリストの再臨の教えは,

慰めが与えられます。


わたしたちは,再臨の時,

「安息」を得,「主の御顔の前に行き」,

「主の御力の栄光」(1:9)を受けます。


しかし,

信じない者には

永遠の滅びの刑罰があります。


(2テサロニケ1:8,9)
「そのとき主は,神を知らない人々や,
私たちの主イエスの福音に
従わない人々に報復されます。
そのような人々は,
主の御顔の前と
その御力の栄光から退けられて,
永遠の滅びの刑罰を受けるのです。」




再臨の時

(2テサロニケ2:8)
「その時が来ると,
不法の者が現れますが,
主イエスは
彼を御自分の口から吐く息で殺し,
来られるときの御姿の輝かしい光で
滅ぼしてしまわれます。」


テサロニケの教会では,

主の日は既に来ていると

考えたる者がいました。

(2テサロニケ2:2)


そして,働くことをやめて,

落ち着かない生活をする者がいました。


パウロは,

怠惰な者に次のように

警告をしていました。


(1テサロニケ4:11)
「私たちが命じたように,
落ち着いた生活をすることを志し,
自分の仕事に身を入れ,
自分の手で働きなさい。」




とこしえの御霊によって

(ヘブル9:14)
「まして,キリストが傷のないご自身を,
とこしえの御霊によって
神におささげになったその血は,
どんなにか私たちの良心をきよめて
死んだ行ないから離れさせ,
生ける神に仕える者と
することでしょう。」


イエス・キリストは

十字架につけられて

贖いの死を全うしました。


イエス・キリストの贖いは,

「とこしえの御霊によって」

(ヘブル9:14),

イエス御自身を

神にささげることによってなされました。


イエスの贖いは,

とこしえの御霊によってなされましたが,

同じ御霊により,

信じる者に救いをもたらします。


(ヘブル9:12-14)
「やぎと子牛との血によってではなく,
ご自分の血によって,
ただ一度,まことの聖所にはいり,
永遠の贖いを成し遂げられたのです。
もし,やぎと雄牛の血,
また雌牛の灰を汚れた人々に
注ぎかけると,
それが聖めの働きをして
肉体をきよいものにするとすれば,
まして,キリストが傷のないご自身を,
とこしえの御霊によって
神におささげになったその血は,
どんなにか私たちの良心を
きよめて死んだ行ないから離れさせ,
生ける神に仕える者と
することでしょう。」




イエスの血

(へブル10:19,20)
「こういうわけですから,兄弟たち。
私たちは,イエスの血によって,
大胆にまことの聖所に
入ることができるのです。
イエスはご自分の肉体という
垂れ幕を通して,
私たちのためにこの新しい生ける道を
設けてくださったのです。」


聖書では,血は命をあらわしています。


(レビ17:14)
「すべての生き物の命はその血であり,
それは生きた体の内にあるからである。」


私たちが主と交わり,

礼拝が出来るのは,

私たちの業とか努力によるものでは

ありません。


イエスが私たちを愛し

十字架にかかられ流された血によって,

私たちは,神に近づき,

礼拝が出来るのです。


(へブル10:19-23)
「こういうわけですから,兄弟たち。
私たちは,イエスの血によって,
大胆にまことの聖所に
入ることができるのです。
イエスはご自分の肉体という
垂れ幕を通して,
私たちのためにこの新しい生ける道を
設けてくださったのです。
また,私たちには,
神の家をつかさどる,
この偉大な祭司があります。
そのようなわけで,私たちは,
心に血の注ぎを受けて
邪悪な良心をきよめられ,
からだをきよい水で洗われたのですから,
全き信仰をもって,
真心から神に近づこうではありませんか。
約束された方は真実な方ですから,
私たちは動揺しないで,
しっかりと希望を
告白しようではありませんか。」




「彼は私の心そのものです。」 

(ピレモン1:12)
「そのオネシモを,
あなたのもとに送り返します。
彼は私の心そのものです。」


パウロが,

逃亡した奴隷のオネシモを

主人のピレモンに送り返すときに,

渡したのがピレモンの手紙です。


「心」の原義は内臓であり,

慈しみと憐れみのでてくるところだと

考えられていました。


深い愛情をこの言葉であらわしています。 


パウロはオネシモを深く愛していました。


この愛は,

イエス・キリストの愛と同じものでした。

だから,この手紙が聖書に入れられたのです。


(ピレモン1:8-12)
「私は,あなたのなすべきことを,
キリストにあって少しもはばからず
命じることができるのですが,
こういうわけですから,
むしろ愛によって,
あなたにお願いしたいと思います。
年老いて,
今はまた
キリスト・イエスの囚人となっている
私パウロが,
獄中で生んだわが子オネシモのことを,
あなたにお願いしたいのです。
彼は,前にはあなたにとって
役に立たない者でしたが,
今は,あなたにとっても私にとっても,
役に立つ者となっています。
そのオネシモを,
あなたのもとに送り返します。
彼は私の心そのものです。」





キリストの苦しみ

(1ペテロ2:21-24)
「あなたがたが召されたのは,
実にそのためです。
キリストも,
あなたがたのために苦しみを受け,
その足跡に従うようにと,
あなたがたに模範を残されました。
キリストは罪を犯したことがなく,
その口に何の偽りも
見いだされませんでした。
ののしられても,ののしり返さず,
苦しめられても,
おどすことをせず,
正しくさばかれる方に
お任せになりました。
そして自分から十字架の上で,
私たちの罪をその身に負われました。
それは,私たちが罪を離れ,
義のために生きるためです。
キリストの打ち傷のゆえに,
あなたがたは,いやされたのです。」


イエス・キリストが十字架につけられ,

苦しみを受けられたのは,

わたしたちの罪の身代わりでした。


それゆえに,私たちの罪はゆるされました。


(イザヤ53:4,5)
「まことに,彼は私たちの病を負い,
私たちの痛みをになった。
だが,私たちは思った。
彼は罰せられ,
神に打たれ,苦しめられたのだと。
しかし,彼は,
私たちのそむきの罪のために刺し通され,
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが
私たちに平安をもたらし,
彼の打ち傷によって,
私たちはいやされた。」






「罪の赦し」
 
(1ヨハネ1:9)
「もし,
わたしたちが自分の罪を
告白するならば,
神は真実で正しいかたであるから,
その罪をゆるし,
すべての不義から
わたしたちをきよめて下さる。」

 
わたしたちが神に自分の罪を悔い改め,

罪を告白するなら,

神はその罪を赦して下さいます。

 
それは,イエス・キリストが十字架で,

わたしたちの罪の身代わりとなって

死んでくださったからです。


わたしたちは、罪を悔い改め、

イエス・キリストを信じるなら,

罪が赦されているのです。






(2016.12.24)


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