電車の待ち時間,
通勤の電車の中でお読みください。
聖書によれば,
すべての人にとって,
最も大切なものは,
福音です。
新約聖書の手紙を,
駆け足で読んでみたいと思います。
大きい駅にだけ停まる快速電車のように,
聖書の一部をとばしながら書いています。
ところどころ読んでください。
急ぐ人は太字だけ読んでください。
○
福音とは
(ローマ1:15-17口語訳)
「わたしとしての切なる願いは,
ローマにいるあなたがたにも,
福音を宣べ伝えることなのである。
わたしは福音を恥としない。
それは,ユダヤ人をはじめ,
ギリシヤ人にも,
すべて信じる者に,
救を得させる神の力である。
神の義は,
その福音の中に啓示され,
信仰に始まり信仰に至らせる。
これは,
『信仰による義人は生きる』
と書いてあるとおりである。」
「福音」とは,「良い知らせ」です。
イエス・キリストの十字架の死によって,
信じる者の罪が赦され,
永遠の命が与えられることです。
福音とは,
イエス・キリストが神のみ子であり,
人として生まれ,
死人から復活したという知らせです。
「信じる」とは,
イエス・キリストを信じることであり,
福音の真理に同意し,
救い主を信頼することです。
「信仰」とは,
イエス・キリストを信じることです。
神の前にたち,自分が貧しくなり,
自分に死に,
イエス・キリストに生きることです。
「救い」とは,人を,罪の力,
死の恐怖,永遠の滅びからの
救いです。
イエス・キリストを
信じることによって救われます。
「義人は信仰によって生きる」は,
旧約聖書のハバクク書2:4からの引用です。
(ハバクク2:4)
「見よ,
その魂の正しくない者は衰える。
しかし義人は
その信仰によって生きる。」
○
キリストの贖い
(ローマ3:24)
「ただ,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる贖いのゆえに,
価なしに義と認められるのです。」
「贖い」とは,
元来は代価を払って
買い取るという意味です。
キリストは,
キリストは,
ご自身の血(いのちをあらわしている)
によって,
身代金を払ってくださいました。
「価なしに」とは,
わたしたちの行い,
功績によらないでということです。
イエス・キリストの十字架の死によって,
わたしたちを救ってくださったのです。
身代金を払ってくださいました。
「価なしに」とは,
わたしたちの行い,
功績によらないでということです。
イエス・キリストの十字架の死によって,
わたしたちを救ってくださったのです。
わたしたちが罪の奴隷であったところから,
贖いの代価,すなわち,
いのちを払ってくださることによって,
罪を赦し,
罪から解放して下さったのです。
○
神に生きる
(ガラテヤ2:19,20)
「私は,神に生きるために,
律法によって律法に死にました。
私はキリストとともに
十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく,
キリストが私のうちに
生きておられるのです。
いま私が,この世に生きているのは,
私を愛し私のために
ご自身をお捨てになった
神の御子を信じる
信仰によっているのです。」
この言葉は,
パウロの個人的な体験です。
しかし,
わたしたちの体験にもなります。
わたしたちが,
イエス・キリストを信じて生きているのは,
わたしたちが主と共に死んでおり,
主の復活と共に生きているのです。
☆
イエス・キリスト御自身は,
次のように言っています。
(マタイ16:24)
「イエスは弟子たちに言われた。
『だれでも
わたしについて来たいと思うなら,
自分を捨て,
自分の十字架を負い,
そしてわたしについて来なさい。』」
○
「アバ父」
(ガラテヤ4:6)
「そして,
あなたがたは子であるゆえに,
神は『アバ,父。』と呼ぶ,
御子の御霊を,
私たちの心に
遣わしてくださいました。」
「アバ」とは,
アラム語で「お父さん」という言葉です。
聖霊がわたしたちに働きかけて,
「アバ父よ」と言わすのです。
わたしたちが
イエス・キリストを信じたとき,
神に向かって
「お父さん」と呼びかけることが
できるようになります。
(ローマ8:14-17)
「神の御霊に導かれる人は,
だれでも神の子どもです。
あなたがたは,
人を再び恐怖に陥れるような,
奴隷の霊を受けたのではなく,
子としてくださる御霊を受けたのです。
私たちは御霊によって,
「アバ,父。」と呼びます。
私たちが神の子どもであることは,
御霊ご自身が,私たちの霊とともに,
あかししてくださいます。
もし子どもであるなら,
相続人でもあります。」
イエス・キリストを信じる者は,
神の子であり神の相続人となるのです。
○
「キリストが形づくられる」
(ガラテヤ4:19)
「私の子どもたちよ。
あなたがたのうちに
キリストが形造られるまで,
私は再びあなたがたのために
産みの苦しみをしています。」
パウロは,
ガラテヤの信徒が
心の中にキリストが形造られるまで,
パウロ自身が苦しむといっています。
わたしたちは,
わたしたちの内に
キリストの形を造るべきです。
イエス・キリストご自身が,
わたしたちの心の中にいるということが,
わたしたちの生き方です。
そして,私たちの喜びです。
○
御霊(聖霊)の実
(ガラテヤ5:22,23)
「御霊の実は,
愛,喜び,平安,
寛容,親切,善意,
誠実,柔和,自制です。
このようなものを禁ずる律法は
ありません。」
イエス・キリストが十字架につけられ,
復活し,昇天した後,
聖霊が降(くだ)ります。
イエス・キリストを信じる者は,
信じたときこの聖霊を受けます。
私たちは,肉の行いではなく,
御霊によって導かれるように,
勧められています。
御霊によって導かれるなら,
わたしたちは御霊の実を結んでいきます。
生まれたままの生き方では,
実を結ぶことはできません。
☆彡
(ガラテヤ5:22-25)
「御霊の実は,愛,喜び,平安,
寛容,親切,善意,
誠実,柔和,自制です。
このようなものを禁ずる律法は
ありません。
キリスト・イエスにつく者は,
自分の肉を,
さまざまの情欲や欲望とともに,
十字架につけてしまったのです。
もし私たちが
御霊によって生きるのなら,
御霊に導かれて,
進もうではありませんか。」
○
イエスと共に天に座らせてくださる
(エペソ2:4-6)
「しかし,あわれみ豊かな神は,
私たちを愛してくださった
その大きな愛のゆえに,
罪過の中に死んでいたこの私たちを
キリストとともに生かし,
・・あなたがたが救われたのは,
ただ恵みによるのです。・・
キリスト・イエスにおいて,
ともによみがえらせ,
ともに天の所に
すわらせてくださいました。」
イエス・キリストを信じる者は,
罪と悪魔の力から開放されています。
信じる者は,
霊においては
キリストと共に十字架につけられ,
キリストと共に復活しているからです。
イエス・キリストは復活し,
天に昇り,神の右にいます。
イエス・キリストを信じる者もまた,
キリストと共に
天の所にすわらせてくださいます。
☆彡
(エペソ2:4-8 口語訳)
「しかるに,あわれみに富む神は,
わたしたちを愛して下さった
その大きな愛をもって,
罪過によって死んでいたわたしたちを,
キリストと共に生かし
――あなたがたの救われたのは,
恵みによるのである――
キリスト・イエスにあって,
共によみがえらせ,
共に天上で座に
つかせて下さったのである。
それは,キリスト・イエスにあって
わたしたちに賜わった
慈愛による神の恵みの絶大な富を,
きたるべき世々に示すためであった。
あなたがたの救われたのは,
実に,恵みにより,
信仰によるのである。
それは,
あなたがた自身から出たものではなく,
神の賜物である。」
○
愛の深さ
(エペソ3:17-19)
「また,信仰によって,
キリストが
あなたがたの心のうちに住み,
あなたがたが愛に根ざし愛を
基として生活することにより,
すべての聖徒と共に,
その広さ,長さ,高さ,深さを
理解することができ,
また人知をはるかに越えた
キリストの愛を知って,
神に満ちているもののすべてをもって,
あなたがたが満たされるように,
と祈る。」
神はご自身の愛の「深さ」によって,
わたしたちが沈み込んだとき
助けてくださいます。
イエスは,
わたしたちが落ち込んでいるとき,
わたしたちを,愛し助けてくださるのです。
イエス・キリストが誕生し,
罪のない生涯をすごし,
十字架につけられ死に,
葬られ,復活し,天国に上げられたのは,
わたしたちへの愛によっているのです。
わたしたちがイエス・キリストが
与えられて下さって愛に満たされるように,
パウロは祈っていました。
○
キリストは神の御姿である
(ピリピ2:6-8)
「キリストは神の御姿である方なのに,
神のあり方を捨てられないとは考えず,
ご自分を無にして,
仕える者の姿をとり,
人間と同じようになられました。
人としての性質をもって現れ,
自分を卑しくし,
死にまで従い,
実に十字架の死にまでも
従われました。」
パウロはピリピの手紙で,
イエスが来られたのは,
神のへりくだりであったと述べます。
イエス・キリストは
人に仕える生涯でありました。
また,
父なる神への従順な生涯でもありました。
私たちもこのイエス。
キリストの倣いたいと思います。
☆彡
(ピリピ2:3-11)
「何事でも
自己中心や虚栄からすることなく,
へりくだって,互いに人を
自分よりもすぐれた者と思いなさい。
自分のことだけではなく,
他の人のことも顧みなさい。
あなたがたの間では,
そのような心構えでいなさい。
それはキリスト・イエスのうちにも
見られるものです。
キリストは神の御姿である方なのに,
神のあり方を捨てられないとは考えず,
ご自分を無にして,
仕える者の姿をとり,
人間と同じようになられました。
人としての性質をもって現れ,
自分を卑しくし,死にまで従い,
実に十字架の死にまでも従われました。
それゆえ神は,この方を高く上げて,
すべての名にまさる名を
お与えになりました。
それは,イエスの御名によって,
天にあるもの,地にあるもの,
地の下にあるもののすべてが,
ひざをかがめ,
すべての口が,
『イエス・キリストは主である』
と告白して,
父なる神が
ほめたたえられるためです。」
○
祈りと願い
(ピリピ4:6,7)
「何も思い煩わないで,
あらゆるばあいに,
感謝をもってささげる
祈りと願いによって,
あなたがたの願い事を
神に知っていただきなさい。
そうすれば,
人のすべての考えにまさる神の平安が,
あなたがたの心と思いを
キリスト・イエスにあって
守ってくれます。」
わたしたちが,
神に「感謝」と「祈り」をするなら,
神はわたしに
「平安」を与えてくださいます。
わたしたちの生涯には,
「感謝」「祈り」「平安」が必要です。
♪ 「告げよ主に」 (新聖歌 35)
告げよ主に 告げよ今 内にある悩みを
御恵みに富める主は 聞き給わん親しく
主の許(もと)に 降(お)ろせ
汝(な)が 重き荷の全てを
御恵みに 富める主は
取り給(たま)わん 残らず
○
神のかたちである御子
(コロサイ1:15,16)
「御子は,見えない神のかたちであり,
造られたすべてのものより先に
生まれた方です。
なぜなら,
万物は御子にあって造られたからです。
天にあるもの,地にあるもの,
見えるもの,また見えないもの,
王座も主権も支配も権威も,
すべて御子によって造られたのです。
万物は,御子によって造られ,
御子のために造られたのです。」
御子イエス・キリストは,
見えない神の姿であるといいます。
御子は初めから存在する神であり,
天地を造られたお方です。
この神の御子は人として来られ,
わたしたちに
見えるようにしてくださいました。
そのお方が,イエス・キリストです。
父なる神,子なる神,
聖霊なる神が一つとなって,
天地万物を神が造られました。
☆
ヨハネ福音書1章にも
同じことが書かれています。
(ヨハネ1:1-3)
「初めに,ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。
この方は,初めに神とともにおられた。
すべてのものは,
この方によって造られた。
造られたもので,
この方によらずにできたものは
一つもない。」
○
再臨
(1テサロニケ4:16,17)
「主は,号令と,御使いのかしらの声と,
神のラッパの響きのうちに,
ご自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が,
まず初めによみがえり,
次に,生き残っている私たちが,
たちまち彼らといっしょに
雲の中に一挙に引き上げられ,
空中で主と会うのです。
このようにして,
私たちは,
いつまでも主とともに
いることになります。」
テサロニケの教会では,
キリストがまもなく再臨するのだから
働く必要はないと考える者がいました。
すでに死んだ者は
キリストの再臨に与かることがないと考え,
悲しむ者もいました。
そのような誤った再臨の考えに対して,
パウロが語ったものです。
わたしが,困難のなかにあっても,
主の再臨の希望は大きな慰めです。
○
喜び,祈り,感謝
(1テサロニケ5:16-18)
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について,感謝しなさい。
これが,キリスト・イエスにあって
神があなたがたに
望んでおられることです。」
パウロの勧めは,
信仰生活へのアドバイスになっています。
○
主の日が来る前の背教
(2テサロニケ2:3)
「だれにも,どのようにも,
だまされないようにしなさい。
なぜなら,まず背教が起こり,
不法の人,
すなわち滅びの子が現れなければ,
主の日は来ないからです。」
主が再び来られる前には,
神に対する反逆が起こります。
私たちは,苦難があっても,
主が再び来るまで,
主を信じ続けたいものです。
イエスは次のように言っていました。
(マタイ24:9-14)
「そのとき,人々は,
あなたがたを苦しいめに会わせ,
殺します。
また,わたしの名のために,
あなたがたは
すべての国の人々に憎まれます。
また,そのときは,
人々が大ぜいつまずき,
互いに裏切り,憎み合います。
また,にせ預言者が多く起こって,
多くの人々を惑わします。
不法がはびこるので,
多くの人たちの愛は冷たくなります。
しかし,
最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
この御国の福音は
全世界に宣べ伝えられて,
すべての国民にあかしされ,
それから,
終わりの日が来ます。」
○
キリスト再臨の希望
(2テサロニケ1:7)
「苦しめられているあなたがたには,
私たちとともに,
報いとして安息を与えてくださることは,
神にとって正しいことなのです。
そのことは,主イエスが,炎の中に,
力ある御使いたちを従えて
天から現われるときに起こります。」
イエス・キリストの再臨の教えは,
慰めが与えられます。
わたしたちは,再臨の時,
「安息」を得,「主の御顔の前に行き」,
「主の御力の栄光」(1:9)を受けます。
しかし,
信じない者には
永遠の滅びの刑罰があります。
(2テサロニケ1:8,9)
「そのとき主は,神を知らない人々や,
私たちの主イエスの福音に
従わない人々に報復されます。
そのような人々は,
主の御顔の前と
その御力の栄光から退けられて,
永遠の滅びの刑罰を受けるのです。」
○
再臨の時
(2テサロニケ2:8)
「その時が来ると,
不法の者が現れますが,
主イエスは
彼を御自分の口から吐く息で殺し,
来られるときの御姿の輝かしい光で
滅ぼしてしまわれます。」
テサロニケの教会では,
主の日は既に来ていると
考えたる者がいました。
(2テサロニケ2:2)
そして,働くことをやめて,
落ち着かない生活をする者がいました。
パウロは,
怠惰な者に次のように
警告をしていました。
(1テサロニケ4:11)
「私たちが命じたように,
落ち着いた生活をすることを志し,
自分の仕事に身を入れ,
自分の手で働きなさい。」
○
とこしえの御霊によって
(ヘブル9:14)
「まして,キリストが傷のないご自身を,
とこしえの御霊によって
神におささげになったその血は,
どんなにか私たちの良心をきよめて
死んだ行ないから離れさせ,
生ける神に仕える者と
することでしょう。」
イエス・キリストは
十字架につけられて
贖いの死を全うしました。
イエス・キリストの贖いは,
「とこしえの御霊によって」
(ヘブル9:14),
イエス御自身を
神にささげることによってなされました。
イエスの贖いは,
とこしえの御霊によってなされましたが,
同じ御霊により,
信じる者に救いをもたらします。
(ヘブル9:12-14)
「やぎと子牛との血によってではなく,
ご自分の血によって,
ただ一度,まことの聖所にはいり,
永遠の贖いを成し遂げられたのです。
もし,やぎと雄牛の血,
また雌牛の灰を汚れた人々に
注ぎかけると,
それが聖めの働きをして
肉体をきよいものにするとすれば,
まして,キリストが傷のないご自身を,
とこしえの御霊によって
神におささげになったその血は,
どんなにか私たちの良心を
きよめて死んだ行ないから離れさせ,
生ける神に仕える者と
することでしょう。」
○
イエスの血
(へブル10:19,20)
「こういうわけですから,兄弟たち。
私たちは,イエスの血によって,
大胆にまことの聖所に
入ることができるのです。
イエスはご自分の肉体という
垂れ幕を通して,
私たちのためにこの新しい生ける道を
設けてくださったのです。」
聖書では,血は命をあらわしています。
(レビ17:14)
「すべての生き物の命はその血であり,
それは生きた体の内にあるからである。」
私たちが主と交わり,
礼拝が出来るのは,
私たちの業とか努力によるものでは
ありません。
イエスが私たちを愛し
十字架にかかられ流された血によって,
私たちは,神に近づき,
礼拝が出来るのです。
(へブル10:19-23)
「こういうわけですから,兄弟たち。
私たちは,イエスの血によって,
大胆にまことの聖所に
入ることができるのです。
イエスはご自分の肉体という
垂れ幕を通して,
私たちのためにこの新しい生ける道を
設けてくださったのです。
また,私たちには,
神の家をつかさどる,
この偉大な祭司があります。
そのようなわけで,私たちは,
心に血の注ぎを受けて
邪悪な良心をきよめられ,
からだをきよい水で洗われたのですから,
全き信仰をもって,
真心から神に近づこうではありませんか。
約束された方は真実な方ですから,
私たちは動揺しないで,
しっかりと希望を
告白しようではありませんか。」
○
「彼は私の心そのものです。」
(ピレモン1:12)
「そのオネシモを,
あなたのもとに送り返します。
彼は私の心そのものです。」
パウロが,
逃亡した奴隷のオネシモを
主人のピレモンに送り返すときに,
渡したのがピレモンの手紙です。
「心」の原義は内臓であり,
慈しみと憐れみのでてくるところだと
考えられていました。
深い愛情をこの言葉であらわしています。
パウロはオネシモを深く愛していました。
この愛は,
イエス・キリストの愛と同じものでした。
だから,この手紙が聖書に入れられたのです。
(ピレモン1:8-12)
「私は,あなたのなすべきことを,
キリストにあって少しもはばからず
命じることができるのですが,
こういうわけですから,
むしろ愛によって,
あなたにお願いしたいと思います。
年老いて,
今はまた
キリスト・イエスの囚人となっている
私パウロが,
獄中で生んだわが子オネシモのことを,
あなたにお願いしたいのです。
彼は,前にはあなたにとって
役に立たない者でしたが,
今は,あなたにとっても私にとっても,
役に立つ者となっています。
そのオネシモを,
あなたのもとに送り返します。
彼は私の心そのものです。」
○
キリストの苦しみ
(1ペテロ2:21-24)
「あなたがたが召されたのは,
実にそのためです。
キリストも,
あなたがたのために苦しみを受け,
その足跡に従うようにと,
あなたがたに模範を残されました。
キリストは罪を犯したことがなく,
その口に何の偽りも
見いだされませんでした。
ののしられても,ののしり返さず,
苦しめられても,
おどすことをせず,
正しくさばかれる方に
お任せになりました。
そして自分から十字架の上で,
私たちの罪をその身に負われました。
それは,私たちが罪を離れ,
義のために生きるためです。
キリストの打ち傷のゆえに,
あなたがたは,いやされたのです。」
イエス・キリストが十字架につけられ,
苦しみを受けられたのは,
わたしたちの罪の身代わりでした。
それゆえに,私たちの罪はゆるされました。
(イザヤ53:4,5)
「まことに,彼は私たちの病を負い,
私たちの痛みをになった。
だが,私たちは思った。
彼は罰せられ,
神に打たれ,苦しめられたのだと。
しかし,彼は,
私たちのそむきの罪のために刺し通され,
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが
私たちに平安をもたらし,
彼の打ち傷によって,
私たちはいやされた。」
○
「罪の赦し」
(1ヨハネ1:9)
「もし,
わたしたちが自分の罪を
告白するならば,
神は真実で正しいかたであるから,
その罪をゆるし,
すべての不義から
わたしたちをきよめて下さる。」
わたしたちが神に自分の罪を悔い改め,
罪を告白するなら,
神はその罪を赦して下さいます。
それは,イエス・キリストが十字架で,
わたしたちの罪の身代わりとなって
死んでくださったからです。
わたしたちは、罪を悔い改め、
イエス・キリストを信じるなら,
罪が赦されているのです。
(2016.12.24)