新約聖書 手紙
(ローマ書~黙示録) 1
新約聖書の手紙には,
何を信じるか,
信仰による恵み,
どのように生きるのかの大切なことが
書いてあります。
その一部を選び出し,
主の恵みを分かち合います。
○
福音の力
(ローマ1:16,17)
「私は福音を恥とは思いません。
福音は,
ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも,
信じるすべての人にとって,
救いを得させる神の力です。
なぜなら,
福音のうちには
神の義が啓示されていて,
その義は,
信仰に始まり信仰に
進ませるからです。
『義人は信仰によって生きる。』
と書いてあるとおりです。」
パウロの言う「福音」とは,
イエス・キリストを信じることによって,
神に義とされることです。
「義人」は「正しい人」との意味であり,
その訳もあります。
☆
イエスご自身が,
イザヤ書(イザヤ61:1,2,58:6)
を引用して,
次のように言っています。
イエスの働きは
「福音」を伝えることだといえます。
(ルカ4:16-19)
「それから,
イエスはご自分の育ったナザレに行き,
いつものとおり安息日に会堂にはいり,
朗読しようとして立たれた。
すると,
預言者イザヤの書が手渡されたので,
その書を開いて,
こう書いてある所を見つけられた。
『わたしの上に主の御霊がおられる。
主が,
貧しい人々に福音を伝えるようにと,
わたしに油を注がれたのだから。
主はわたしを遣わされた。
捕われ人には赦免を,
盲人には
目の開かれることを告げるために。
しいたげられている人々を自由にし,
主の恵みの年を
告げ知らせるために。』」
☆
イエス・キリストは,
重い皮膚病のサマリヤ人を
いやします。
(ルカ17:19)
「それからその人に言われた。
『立ち上がって,行きなさい。
あなたの信仰が,
あなたを直したのです。』」
イエスは,
信仰によって病をいやしました。
ここに,イエスを信じることによって,
救われることに福音があります。
○
信仰による義認
(ローマ3:22-24)
「イエス・キリストを信じる
信仰による神の義であって,
それはすべての信じる人に与えられ,
何の差別もありません。
すべての人は,罪を犯したので,
神からの栄誉を受けることができず,
ただ,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる贖いのゆえに,
価なしに義と認められるのです。」
人は神から離れたので,
罪人となっています。
この状態から救い出してくださるのは,
イエス・キリストだけです。
わたしたちが,
イエス・キリストを信じると
義とされるのは,
イエス・キリストが十字架で
血を流してくださった,
犠牲があるからです。
「神の義」という場合,
神の品性
(神自身が義-正しい-ということ)か,
神の賜物
(神が人を義-正しい-と認めること)
を意味します。
ここでは,
神の賜物を意味しています。
義は信仰によって,
信じる者に与えてくださいます。
「贖(あがな)い」とは,
もとは代価を払って
買い取るという意味です。
その後,「贖い」はキリストによる救いを
意味するようになります。
イエス・キリストの十字架における死は,
イエス・キリストのいのちを
与えることでもあり,
贖いの代価となっています。
わたしたちを罪の奴隷から解放し,
義人としてくださいます。
(ローマ3:24 フランシスコ会訳 1980)
「キリスト・イエスの
あがないの業を通して,
神の恵みにより無償で
正しい者とされるのです。」
○
御霊がうちに住む
(ローマ8:10)
「もしキリストが
あなたがたのうちにおられるなら,
からだは罪のゆえに死んでいても,
霊が,義のゆえに生きています。」
イエス・キリストを
死者の中から復活させた霊が,
イエス・キリストを
信じる者のうちに宿ります。
私たちはキリストの十字架と共に死に,
イエス・キリストの復活と
共に生きるのです。
(ローマ8:10,11)
「もしキリストが
あなたがたのうちにおられるなら,
からだは罪のゆえに死んでいても,
霊が,義のゆえに生きています。
もしイエスを死者の中から
よみがえらせた方の御霊が,
あなたがたのうちに住んでおられるなら,
キリスト・イエスを
死者の中からよみがえらせた方は,
あなたがたのうちに
住んでおられる御霊によって,
あなたがたの死ぬべきからだをも
生かしてくださるのです。」
○
野生種のオリーブ
(ローマ11:24)
「もしあなたが,
野生種であるオリーブの木から
切り取られ,
もとの性質に反して,
栽培されたオリーブの木に
つがれたのであれば,
これらの栽培種のものは,
もっとたやすく
自分の台木につがれるはずです。」
神は,
ユダヤ人という栽培種の枝を折りました。
それはユダヤ人が,
イエス・キリストを
受け入れなかったからです。
神は,わたしたち異邦人である野生の枝を,
神の台木に
接(つ)いでくださったのです。
イエスは次のように言われました。
(ヨハネ15:5)
「わたしはぶどうの木で,
あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり,
わたしもその人の中に
とどまっているなら,
そういう人は多くの実を結びます。
わたしを離れては,
あなたがたは何もすることが
できないからです。」
○
十字架の言葉
(1コリント1:18)
「十字架のことばは,
滅びに至る人々には愚かであっても,
救いを受ける私たちには,
神の力です。」
パウロは,「十字架のことば」によって,
コリントの教会の多くの問題,
あるいはすべての問題の
解決があると考えています。
「十字架のことば」とは,
福音のことです。
コリント教会での問題の解決は,
福音でした。
そして,福音の中心が
イエス・キリストの十字架のことでした。
(1ペテロ3:18)
イエス・キリストの十字架での死は,
私たちの罪の罰の身代わりでした。
(1ヨハネ2:1)
また,
罪のための「なだめの供え物」でした。
○
最もたいせつなこと
(1コリント15:1)
「兄弟たち。
私は今,
あなたがたに福音を知らせましょう。
これは,
私があなたがたに宣べ伝えたもので,
あなたがたが受け入れ,
また,
それによって立っている福音です。」
(1コリント15:3-5)
「私があなたがたに
最もたいせつなこととして伝えたのは,
私も受けたことであって,次のことです。
キリストは,聖書の示すとおりに,
私たちの罪のために死なれたこと,
また,葬られたこと,
また,聖書の示すとおりに,
三日目によみがえられたこと,
また,ケパに現れ,
それから十二弟子に現れたことです。
その後,キリストは五百人以上の
兄弟たちに同時に現れました。
その中の大多数の者は
今なお生き残っていますが,
すでに眠った者もいくらかいます。」
「福音」(15:1)とは,
「良い知らせ」です。
イエス・キリストが
「私たちの罪のために死んだこと」と
「三日目によみがえられたこと」が,
最も大切なことだと言います。
イエスが十字架で死んだのは,
ご自身の罪の結果ではありません。
ですから,死で終わりませんでした,
復活したのです。
☆
イエス・キリストが
次のように弟子に話していたことが,
そのまま実現しました。
(マタイ16:21)
「その時から,イエス・キリストは,
ご自分がエルサレムに行って,
長老,祭司長,律法学者たちから
多くの苦しみを受け,殺され,
そして三日目に
よみがえらなければならないことを
弟子たちに示し始められた。」
○
復活の体
(1コリント15:49)
「私たちは
土で造られた者のかたちを
持っていたように,
天上のかたちをも持つのです。」
イエス・キリストの贖いは,
創造の目的の回復であり,
完成になります。
わたしたちは,
イエス・キリストがもう一度来られる時,
わたしたちは新しい体を受け取ります。
その体は「天上のかたち」だといいます。
(1コリント15:42-49)
「死者の復活もこれと同じです。
朽ちるもので蒔かれ,
朽ちないものによみがえらされ,
卑しいもので蒔かれ,
栄光あるものによみがえらされ,
弱いもので蒔かれ,
強いものによみがえらされ,
血肉のからだで蒔かれ,
御霊に属するからだに
よみがえらされるのです。
血肉のからだがあるのですから,
御霊のからだもあるのです。
聖書に
『最初の人アダムは生きた者となった』
と書いてありますが,
最後のアダムは,
生かす御霊となりました。
最初にあったのは血肉のものであり,
御霊のものではありません。
御霊のものはあとに来るのです。
第一の人は地から出て,
土で造られた者ですが,
第二の人は天から出た者です。
土で造られた者はみな,
この土で造られた者に似ており,
天からの者はみな,
この天から出た者に似ているのです。
私たちは土で造られた者の
かたちを持っていたように,
天上のかたちをも持つのです。」
♪ 「球根の中には」
(讃美歌21 575)
1
球根の中には 花が秘められ,
さなぎの中から いのちはばたく。
寒い冬の中 春はめざめる。
その日,その時を ただ神が知る。
2
沈黙はやがて 歌に変えられ,
深い闇の中 夜明け近づく。
過ぎ去った時が 未来を拓く。
その日,その時を ただ神が知る。
3
いのちの終わりは いのちの始め。
おそれは信仰に,死は復活に,
ついに変えられる 永遠の朝。
その日,その時を ただ神が知る。
○
「死は勝利にのまれました」
(1コリント15:54)
「朽ちるものが朽ちないものを着,
死ぬものが不死を着るとき,
『死は勝利にのまれた』
としるされている,
みことばが実現します。」
死の解決は,
イエス・キリストを信じることだけです。
わたしたちのからだの,
完全な救いは,
再臨のときです。
再臨の時に,
わたしたちが変えられることにより与えられます。
○
地上の幕屋
(2コリント5:1)
「私たちの住まいである
地上の幕屋がこわれても,
神の下さる建物があることを,
私たちは知っています。
それは,人の手によらない,
天にある永遠の家です。」
ここでの「地上の幕屋」とは,
体のことです。
イエス・キリストは,
自分の体が壊されても,
再び新しい体が与えられるといいます。
イエスを信じる者もまた,
死んでも,永遠の体を受けるのです。
☆
イエスは,ご自身が死んでも,
復活すると言っていました。
同じ恵みを,イエスを信じる者は,
受けることが出来るのです。
(ヨハネ2:19-22)
「イエスは彼らに答えて言われた。
『この神殿をこわしてみなさい。
わたしは,三日でそれを建てよう。』
そこで,ユダヤ人たちは言った。
『この神殿は建てるのに
四十六年かかりました。
あなたはそれを,
三日で建てるのですか。』
しかし,イエスはご自分のからだの
神殿のことを言われたのである。
それで,
イエスが死人の中から
よみがえられたとき,
弟子たちは,イエスがこのように
言われたことを思い起こして,
聖書とイエスが
言われたことばとを信じた。」
○
愛
(1コリント13:4-8)
「愛は寛容であり,愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず,高慢になりません。
礼儀に反することをせず,
自分の利益を求めず,
怒らず,人のした悪を思わず,
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし,すべてを信じ,
すべてを期待し,すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。
預言の賜物ならばすたれます。
異言ならばやみます。
知識ならばすたれます。」
ここでの愛は,神の愛であり,
ギリシャ語ではアガペーといいます。
「愛は決して絶えることがありません」
すなわち,
愛は不滅であると言っています。
そして,この愛が一番すぐれているといいます。
○
いつまでも残るもの
(1コリント13:13)
「こういうわけで,
いつまでも残るものは
信仰と希望と愛です。
その中で
一番すぐれているのは愛です。」
ヨハネの福音書では,
次のように書かれています。
(ヨハネ3:16)
「神は,実に,
そのひとり子をお与えになったほどに,
世を愛された。
それは御子を信じる者が,
ひとりとして滅びることなく,
永遠のいのちを持つためである。」
○
土の器
(2コリント4:6)
「私たちは,この宝を,
土の器の中に入れているのです。」
土の器とは,私たちのことです。
宝とは,
イエス・キリストのことであり,
福音のことです。
わたしたちが伝えるのは,
わたしたちの内にあるキリストです。
(2コリント4:6,7)
「『光が,やみの中から輝き出よ。』
と言われた神は,
私たちの心を照らし,
キリストの御顔にある
神の栄光を知る知識を
輝かせてくださったのです。
私たちは,この宝を,
土の器の中に入れているのです。
それは,この測り知れない力が
神のものであって,
私たちから出たものでないことが
明らかにされるためです。」
(2016.12.24)