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朝の光(聖書の言葉)

新約聖書 121  ローマーコリント 解説1 (2016.12.24)

新約聖書 手紙 

(ローマ書~黙示録) 1


新約聖書の手紙には,

何を信じるか,

信仰による恵み,

どのように生きるのかの大切なことが

書いてあります。


その一部を選び出し,

主の恵みを分かち合います。   




福音の力


(ローマ1:16,17)

「私は福音を恥とは思いません。
福音は,
ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも,
信じるすべての人にとって,
救いを得させる神の力です。
なぜなら,
福音のうちには
神の義が啓示されていて,
その義は,
信仰に始まり信仰に
進ませるからです。
『義人は信仰によって生きる。』
と書いてあるとおりです。」


パウロの言う「福音」とは,

イエス・キリストを信じることによって,

神に義とされることです。

「義人」は「正しい人」との意味であり,

その訳もあります。




イエスご自身が,

イザヤ書(イザヤ61:1,2,58:6)

を引用して,

次のように言っています。


イエスの働きは

「福音」を伝えることだといえます。


(ルカ4:16-19)

「それから,
イエスはご自分の育ったナザレに行き,
いつものとおり安息日に会堂にはいり,
朗読しようとして立たれた。
すると,
預言者イザヤの書が手渡されたので,
その書を開いて,
こう書いてある所を見つけられた。
『わたしの上に主の御霊がおられる。
主が,
貧しい人々に福音を伝えるようにと,
わたしに油を注がれたのだから。
主はわたしを遣わされた。
捕われ人には赦免を,
盲人には
目の開かれることを告げるために。
しいたげられている人々を自由にし,
主の恵みの年を
告げ知らせるために。』」




イエス・キリストは,

重い皮膚病のサマリヤ人を

いやします。


(ルカ17:19)

「それからその人に言われた。
『立ち上がって,行きなさい。
あなたの信仰が,
あなたを直したのです。』」



イエスは,

信仰によって病をいやしました。


ここに,イエスを信じることによって,

救われることに福音があります。




信仰による義認


(ローマ3:22-24)

「イエス・キリストを信じる
信仰による神の義であって,
それはすべての信じる人に与えられ,
何の差別もありません。
すべての人は,罪を犯したので,
神からの栄誉を受けることができず,
ただ,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる贖いのゆえに,
価なしに義と認められるのです。」


人は神から離れたので,

罪人となっています。


この状態から救い出してくださるのは,

イエス・キリストだけです。


わたしたちが,

イエス・キリストを信じると

義とされるのは,

イエス・キリストが十字架で

血を流してくださった,

犠牲があるからです。



「神の義」という場合,

神の品性

(神自身が義-正しい-ということ)か,

神の賜物

(神が人を義-正しい-と認めること)

を意味します。



ここでは,

神の賜物を意味しています。


義は信仰によって,

信じる者に与えてくださいます。


「贖(あがな)い」とは,

もとは代価を払って

買い取るという意味です。 


その後,「贖い」はキリストによる救いを

意味するようになります。


イエス・キリストの十字架における死は,

イエス・キリストのいのちを

与えることでもあり,

贖いの代価となっています。


わたしたちを罪の奴隷から解放し,

義人としてくださいます。


(ローマ3:24 フランシスコ会訳 1980)

「キリスト・イエスの
あがないの業を通して,
神の恵みにより無償で
正しい者とされるのです。」




御霊がうちに住む


(ローマ8:10)

「もしキリストが
あなたがたのうちにおられるなら,
からだは罪のゆえに死んでいても,
霊が,義のゆえに生きています。」


イエス・キリストを

死者の中から復活させた霊が,

イエス・キリストを

信じる者のうちに宿ります。


私たちはキリストの十字架と共に死に,

イエス・キリストの復活と

共に生きるのです。



(ローマ8:10,11)

「もしキリストが
あなたがたのうちにおられるなら,
からだは罪のゆえに死んでいても,
霊が,義のゆえに生きています。
もしイエスを死者の中から
よみがえらせた方の御霊が,
あなたがたのうちに住んでおられるなら,
キリスト・イエスを
死者の中からよみがえらせた方は,
あなたがたのうちに
住んでおられる御霊によって,
あなたがたの死ぬべきからだをも
生かしてくださるのです。」




野生種のオリーブ


(ローマ11:24)

「もしあなたが,
野生種であるオリーブの木から
切り取られ,
もとの性質に反して,
栽培されたオリーブの木に
つがれたのであれば,
これらの栽培種のものは,
もっとたやすく
自分の台木につがれるはずです。」


神は,

ユダヤ人という栽培種の枝を折りました。


それはユダヤ人が,

イエス・キリストを

受け入れなかったからです。


神は,わたしたち異邦人である野生の枝を,

神の台木に

接(つ)いでくださったのです。


イエスは次のように言われました。


(ヨハネ15:5)

「わたしはぶどうの木で,
あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり,
わたしもその人の中に
とどまっているなら,
そういう人は多くの実を結びます。
わたしを離れては,
あなたがたは何もすることが
できないからです。」




十字架の言葉


(1コリント1:18)

「十字架のことばは,
滅びに至る人々には愚かであっても,
救いを受ける私たちには,
神の力です。」


パウロは,「十字架のことば」によって,

コリントの教会の多くの問題,

あるいはすべての問題の

解決があると考えています。


「十字架のことば」とは,

福音のことです。


コリント教会での問題の解決は,

福音でした。


そして,福音の中心が

イエス・キリストの十字架のことでした。



(1ペテロ3:18)

イエス・キリストの十字架での死は,
私たちの罪の罰の身代わりでした。


(1ヨハネ2:1)

また,
罪のための「なだめの供え物」でした。




最もたいせつなこと


(1コリント15:1)

「兄弟たち。
私は今,
あなたがたに福音を知らせましょう。
これは,
私があなたがたに宣べ伝えたもので,
あなたがたが受け入れ,
また,
それによって立っている福音です。」

(1コリント15:3-5)
「私があなたがたに
最もたいせつなこととして伝えたのは,
私も受けたことであって,次のことです。
キリストは,聖書の示すとおりに,
私たちの罪のために死なれたこと,
また,葬られたこと,
また,聖書の示すとおりに,
三日目によみがえられたこと,
また,ケパに現れ,
それから十二弟子に現れたことです。
その後,キリストは五百人以上の
兄弟たちに同時に現れました。
その中の大多数の者は
今なお生き残っていますが,
すでに眠った者もいくらかいます。」


「福音」(15:1)とは,

「良い知らせ」です。


イエス・キリストが

「私たちの罪のために死んだこと」と

「三日目によみがえられたこと」が,

最も大切なことだと言います。


イエスが十字架で死んだのは,

ご自身の罪の結果ではありません。


ですから,死で終わりませんでした,

復活したのです。




イエス・キリストが

次のように弟子に話していたことが,

そのまま実現しました。


(マタイ16:21)

「その時から,イエス・キリストは,
ご自分がエルサレムに行って,
長老,祭司長,律法学者たちから
多くの苦しみを受け,殺され,
そして三日目に
よみがえらなければならないことを
弟子たちに示し始められた。」




復活の体


(1コリント15:49)

「私たちは
土で造られた者のかたちを
持っていたように,
天上のかたちをも持つのです。」


イエス・キリストの贖いは,

創造の目的の回復であり,

完成になります。 


わたしたちは,

イエス・キリストがもう一度来られる時,

わたしたちは新しい体を受け取ります。


その体は「天上のかたち」だといいます。


(1コリント15:42-49)

「死者の復活もこれと同じです。
朽ちるもので蒔かれ,
朽ちないものによみがえらされ,
卑しいもので蒔かれ,
栄光あるものによみがえらされ,
弱いもので蒔かれ,
強いものによみがえらされ,
血肉のからだで蒔かれ,
御霊に属するからだに
よみがえらされるのです。
血肉のからだがあるのですから,
御霊のからだもあるのです。
聖書に
『最初の人アダムは生きた者となった』
と書いてありますが,
最後のアダムは,
生かす御霊となりました。
最初にあったのは血肉のものであり,
御霊のものではありません。
御霊のものはあとに来るのです。
第一の人は地から出て,
土で造られた者ですが,
第二の人は天から出た者です。
土で造られた者はみな,
この土で造られた者に似ており,
天からの者はみな,
この天から出た者に似ているのです。
私たちは土で造られた者の
かたちを持っていたように,
天上のかたちをも持つのです。」



♪ 「球根の中には」

 (讃美歌21 575)

1 

球根の中には 花が秘められ,
さなぎの中から いのちはばたく。
寒い冬の中 春はめざめる。
その日,その時を ただ神が知る。


2 

沈黙はやがて 歌に変えられ,
深い闇の中 夜明け近づく。
過ぎ去った時が 未来を拓く。
その日,その時を ただ神が知る。


3 

いのちの終わりは いのちの始め。
おそれは信仰に,死は復活に,
ついに変えられる 永遠の朝。
その日,その時を ただ神が知る。




「死は勝利にのまれました」


(1コリント15:54)

「朽ちるものが朽ちないものを着,
死ぬものが不死を着るとき,
『死は勝利にのまれた』
としるされている,
みことばが実現します。」


死の解決は,

イエス・キリストを信じることだけです。


わたしたちのからだの,

完全な救いは,

再臨のときです。


再臨の時に,

わたしたちが変えられることにより与えられます。




地上の幕屋


(2コリント5:1)

「私たちの住まいである
地上の幕屋がこわれても,
神の下さる建物があることを,
私たちは知っています。
それは,人の手によらない,
天にある永遠の家です。」


ここでの「地上の幕屋」とは,

体のことです。


イエス・キリストは,

自分の体が壊されても,

再び新しい体が与えられるといいます。


イエスを信じる者もまた,

死んでも,永遠の体を受けるのです。




イエスは,ご自身が死んでも,

復活すると言っていました。


同じ恵みを,イエスを信じる者は,

受けることが出来るのです。


(ヨハネ2:19-22)

「イエスは彼らに答えて言われた。
『この神殿をこわしてみなさい。
わたしは,三日でそれを建てよう。』
そこで,ユダヤ人たちは言った。
『この神殿は建てるのに
四十六年かかりました。
あなたはそれを,
三日で建てるのですか。』
しかし,イエスはご自分のからだの
神殿のことを言われたのである。
それで,
イエスが死人の中から
よみがえられたとき,
弟子たちは,イエスがこのように
言われたことを思い起こして,
聖書とイエスが
言われたことばとを信じた。」




愛 


(1コリント13:4-8)

「愛は寛容であり,愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず,高慢になりません。
礼儀に反することをせず,
自分の利益を求めず,
怒らず,人のした悪を思わず,
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし,すべてを信じ,
すべてを期待し,すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。
預言の賜物ならばすたれます。
異言ならばやみます。
知識ならばすたれます。」


ここでの愛は,神の愛であり,

ギリシャ語ではアガペーといいます。


「愛は決して絶えることがありません」

すなわち,

愛は不滅であると言っています。


そして,この愛が一番すぐれているといいます。




いつまでも残るもの


(1コリント13:13)

「こういうわけで,
いつまでも残るものは
信仰と希望と愛です。
その中で
一番すぐれているのは愛です。」


ヨハネの福音書では,

次のように書かれています。


(ヨハネ3:16)
「神は,実に,
そのひとり子をお与えになったほどに,
世を愛された。
それは御子を信じる者が,
ひとりとして滅びることなく,
永遠のいのちを持つためである。」




土の器


(2コリント4:6)

「私たちは,この宝を,
土の器の中に入れているのです。」


土の器とは,私たちのことです。


宝とは,

イエス・キリストのことであり,

福音のことです。


わたしたちが伝えるのは,

わたしたちの内にあるキリストです。


(2コリント4:6,7) 

「『光が,やみの中から輝き出よ。』
と言われた神は,
私たちの心を照らし,
キリストの御顔にある
神の栄光を知る知識を
輝かせてくださったのです。
私たちは,この宝を,
土の器の中に入れているのです。
それは,この測り知れない力が
神のものであって,
私たちから出たものでないことが
明らかにされるためです。」
 


(2016.12.24)

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