「希望」
(ローマ4:18)
「彼(アブラハム)は
希望するすべもなかったときに,
なおも望みを抱いて,信じ,
『あなたの子孫はこのようになる』
といわれていた通りに,
多くの民の父となりました。」
旧約聖書のアブラハムは希望のないとき,
望みを抱いていました。
アブラハムは信じたとおり,
望んだとおりとなりました。
ここに信仰の本質があるようです。
信仰とは希望のないときにも,
神を信じることです。
イエスの十字架のあとの
復活を信じることに,
信仰があります。
わたしたちも神を信じることによって,
神からの祝福を受けることが
出来ます。
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☆彡
信仰によって与えられる約束
(ローマ4:13-25)
「世界の相続人となるという約束が,
アブラハムに,あるいはまた,
その子孫に与えられたのは,
律法によってではなく,
信仰の義によったからです。
もし律法による者が
相続人であるとするなら,
信仰はむなしくなり,
約束は無効になってしまいます。
律法は怒りを招くものであり,
律法のないところには違反もありません。
そのようなわけで,
世界の相続人となることは,
信仰によるのです。
それは,恵みによるためであり,
こうして約束がすべての子孫に,
すなわち,
律法を持っている人々にだけでなく,
アブラハムの信仰にならう人々にも
保証されるためなのです。
『わたしは,
あなたをあらゆる国の人々の
父とした。』
と書いてあるとおりに,
アブラハムは
私たちすべての者の父なのです。
このことは,彼が信じた神,
すなわち死者を生かし,
無いものを有るもののように
お呼びになる方の御前で,
そうなのです。
彼は望みえないときに
望みを抱いて信じました。
それは,
『あなたの子孫はこのようになる。』
と言われていたとおりに,
彼があらゆる国の人々の
父となるためでした。
アブラハムは,およそ百歳になって,
自分のからだが死んだも同然であることと,
サラの胎の死んでいることとを認めても,
その信仰は弱りませんでした。
彼は,
不信仰によって
神の約束を疑うようなことをせず,
反対に,信仰がますます強くなって,
神に栄光を帰し,
神には約束されたことを成就する力が
あることを堅く信じました。
だからこそ,
それが彼の義とみなされたのです。
しかし,
『彼の義とみなされた。』
と書いてあるのは,
ただ彼のためだけでなく,
また私たちのためです。
すなわち,
私たちの主イエスを死者の中から
よみがえらせた方を信じる私たちも,
その信仰を義とみなされるのです。
主イエスは,
私たちの罪のために死に渡され,
私たちが義と認められるために,
よみがえられたからです。」
2014-05-04