ヨハネの福音書 スマホで読む 2025.2.8
「もう一つのクリスマス物語」
(ヨハネ1:14)
「そして言は肉体となり,
わたしたちのうちに宿った。
わたしたちはその栄光を見た。
それは父のひとり子としての栄光であって,
めぐみとまこととに満ちていた。」
神の子は肉となって来られ,
私たちの人間と共に生きられました。
○
神の小羊
(ヨハネ1;29)
「その翌日,
ヨハネはイエスが
自分の方にこられるのを見て言った,
『見よ,世の罪を取り除く神の小羊。』」
「神の小羊」はイザヤ53:6,8を受けています。
イエスは「神の小羊」であり「苦しむ僕」です。
○
ナタナエルの召し
(ヨハネ1:43―51)
「また言われた,
『よくよくあなたがたに言っておく。
天が開けて,
神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを,
あなたがたは見るであろう。』」
イエスは,私たちのところに来られ,
私たちのすべてを知っておられます。
○
「牛や羊を追い出します」
(ヨハネ2:14,15)
「そして牛,羊,はとを売る者や両替する者などが
宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって,
なわでむちを造り,羊も牛もみな宮から追いだし,
両替人の金を散らし,その台をひっくりかえし,」
イエスは神殿から商人を追い出します。
動物を捧げて神と交わる古い礼拝は終わります。
イエスキリストは十字架にかかり,
動物犠牲は繰り返されませんでした。
○
新しく生れる
(ヨハネ3:3)
「イエスは答えて言われた,
『よくよくあなたに言っておく。
だれでも新しく生れなければ,
神の国を見ることはできない』」。
「新たに」という言葉は,
「上から」「神から」の意味があります。
「新たに生まれる」とは,
神によって私達の存在が根本的に変えられます。
○
「永遠の命」
(ヨハネ3:14-16)
「そして,
ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように,
人の子もまた上げられなければならない。
それは彼を信じる者が,
すべて永遠の命を得るためである」。
神はそのひとり子を賜わったほどに,
この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,
永遠の命を得るためである。」
荒野のへびはイエスの十字架の型です。
主イエスを信じるものは「永遠の命」を受けます。
○
役人の息子をいやす
(ヨハネ4:50)
「イエスは彼に言われた,
『お帰りなさい。
あなたのむすこは助かるのだ』。
彼は自分に言われた
イエスの言葉を信じて帰って行った。」
あなたの息子は生きる
イエスは体も心も生きる者とされるお方です
○
ベトサダで病人を癒す
(ヨハネ5:8)
「イエスは彼に言われた,
『起きて,あなたの床を取りあげ,
そして歩きなさい』」。
イエスは十字架にかかり復活し
今も働いています。
イエスの権威は神から来ています。
(ヨハネ5:17)
「そこで,イエスは彼らに答えられた,
『わたしの父は今に至るまで働いておられる。
わたしも働くのである』」。
○
5つのパンと2匹の魚
(ヨハネ6:13)
「そこで彼らが集めると,
五つの大麦のパンを食べて残ったパンくずは,
十二のかごにいっぱいになった。」
5千人に食べ物を与えます。
私たちの小さな業は祝福されます。
イエスは驚く働きをされます。
○
生ける水
(ヨハネ7:37-38)
「祭の終りの大事な日に,
イエスは立って,叫んで言われた,
『だれでもかわく者は,
わたしのところにきて飲むがよい。
わたしを信じる者は,
聖書に書いてあるとおり,
その腹から生ける水が川となって
流れ出るであろう』」。
生ける水とは,信じる者に与えられる聖霊です。
○
「世の光」
(ヨハネ8:12)
「イエスは,
また人々に語ってこう言われた,
『わたしは世の光である。
わたしに従って来る者は,
やみのうちを歩くことがなく,
命の光をもつであろう』」。
イエスは「世の光」です。
イエスを信じる者は,暗闇でなく,
神の真の光が照らす道を歩みます。
(ヨハネ1:9)
「すべての人を照すまことの光があって,世にきた。」
○
(ヨハネ9:1)
「イエスが道をとおっておられるとき,
生れつきの盲人を見られた。」
イエスは生まれながらの盲人をいやします。
○
ラザロの復活
(ヨハネ11:39,40)
「イエスは言われた,
『石を取りのけなさい』。
死んだラザロの姉妹マルタが言った,
『主よ,もう臭くなっております。
四日もたっていますから』。
イエスは彼女に言われた,
『もし信じるなら神の栄光を見るであろうと,
あなたに言ったではないか』」。
○
(月曜日)
ナルドの香油
(ヨハネ12:3)
「その時,
マリヤは高価で純粋な
ナルドの香油一斤を持ってきて,
イエスの足にぬり,
自分の髪の毛でそれをふいた。
すると,
香油のかおりが
家にいっぱいになった。」
(ヨハネ12:7)
イエスは言われた、
「この女のするままにさせておきなさい。
わたしの葬りの日のために、
それをとっておいたのだから。」
マリアはイエスへの愛から香油を注ぎました。
家は香油の香りでいっぱいになります。
(ヨハネ12:7)
イエスは言われた、
「この女のするままにさせておきなさい。
わたしの葬りの日のために、
それをとっておいたのだから。」
マリアはイエスへの愛から香油を注ぎました。
○
一粒の麦
(ヨハネ12:24)
「よくよくあなたがたに言っておく。
一粒の麦が地に落ちて死ななければ,
それはただ一粒のままである。
しかし,もし死んだなら,
豊かに実を結ぶようになる。」
この麦の例えの「一粒の麦」はイエス自身であり,
イエスを信じる者でもあります。
「栄光を受けるとき」(12:23)とは,
イエス自身が人類のために贖いのために
かかることが,神の栄光です。
○
(水曜日)
洗足
(ヨハネ13:21)
「イエスがこれらのことを言われた後,
その心が騒ぎ,おごそかに言われた,
『よくよくあなたがたに言っておく。
あなたがたのうちのひとりが,
わたしを裏切ろうとしている』。
栄光受ける時とは,
イエス自身が人類のために
贖いの十字架にかかることです。
イエスは弟子の一人のユダによって裏切られます。
○
聖木曜日
(ヨハネ13:5)
「それから水をたらいに入れて,
弟子たちの足を洗い,
腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。」
イエスの模範は,イエスの愛から出たものでした。
○
神を信じる
(ヨハネ14:1)
「あなたがたは,心を騒がせないがよい。
神を信じ,またわたしを信じなさい。」
イエスは父なる神に行く道です。
イエスを信じるなら父の元である
天国に行きの命を与えられます。
○
迫害の予告
(ヨハネ15:19)
「もしあなたがたが
この世から出たものであったなら,
この世は,
あなたがたを自分のものとして
愛したであろう。
しかし,
あなたがたはこの世のものではない。
かえって,
わたしがあなたがたを
この世から選び出したのである。
だから,
この世はあなたがたを憎むのである。」
○
求めなさい
(ヨハネ16:24)
「今までは,
あなたがたはわたしの名によって
求めたことはなかった。
求めなさい,
そうすれば,与えられるであろう。
そして,
あなたがたの喜びが
満ちあふれるであろう。」
不可能だと思えることを祈るなら,かなえられます。
このことで,悲しみは喜びに代わります。
○
(金曜日)
受苦日
(ヨハネ18:4,5)
「しかしイエスは,
自分の身に起ろうとすることを
ことごとく承知しておられ,
進み出て彼らに言われた,
『だれを捜しているのか』。
彼らは「ナザレのイエスを」と答えた。
イエスは彼らに言われた,
「わたしが,それである」。
イエスを裏切ったユダも,
彼らと一緒に立っていた。」
イエスは私たちが受けるべき
苦しみを引き受けてくださいました。
この苦しみは勝利者の姿でもありました。
イザヤの「苦難のしもべ」でした。
○
埋葬
(ヨハネ19:41,42)
「イエスが十字架にかけられた所には,
一つの園があり,
そこにはまだだれも葬られたことのない
新しい墓があった。
その日はユダヤ人の準備の日であったので,
その墓が近くにあったため,
イエスをそこに納めた。」
ヨセフとニコデモはイエスを葬ります。
弟子たちは絶望していました。
祭司長,民衆は高笑いをしていました。
この安息日が終わると
神の栄光を弟子たちにあらわします。
○
復活
(ヨハネ20:1)
「一週の初めの日に,朝早くまだ暗いうちに,
マグダラのマリヤが墓に行くと,
墓から石がとりのけてあるのを見た。」
この朝に起きたことは
1.石が取り除かれた
2.墓にイエスがいない
3.マリア,天使に会う
4.マリア,イエスに会う
イエスは十字架の愛によって,私達の罪は赦されました
イエスの言葉には生きる力があります。
イエスの復活はイエスが神であり,
死と罪と暗闇を打ち破られた証となります。
○
「わたしに従ってきなさい」
(ヨハネ21:22)
「イエスは彼に言われた,
『たとい,
わたしの来る時まで
彼が生き残っていることを,
わたしが望んだとしても,
あなたにはなんの係わりがあるか。
あなたは,わたしに従ってきなさい。』」
他の人と比較せず
あなたはあなたでよい
そのまま イエスに従えばよいのです。