朝の光(聖書の言葉)

「夢十話」  第七夜

「夢十夜」 第七夜

『何でも大きな船に乗っている。

この船が毎日毎夜すこしの絶間なく黒い煙を吐いて…』

とにかく舟に乗っているのだが,乗っている理由がまったく分からない。

不安になり水夫に話を聞くが,要領を得ない。

ホールでピアノを弾く女性を見ているうち,

むなしくなった自分は甲板から海へと飛び込む。



「ある晩甲板(かんぱん)の上に出て,一人で星を眺めていたら,

一人の異人が来て,天文学を知ってるかと尋ねた。

自分はつまらないから死のうとさえ思っている。

天文学などを知る必要がない。黙っていた。

すると,

その異人が金牛宮(きんぎゅうきゅう)の頂(いただき)にある

七星(しちせい)の話をして聞かせた。

そうして星も海もみんな神の作ったものだと云った。

最後に自分に神を信仰するかと尋ねた。

自分は空を見て黙っていた。」


この夢は,「救い」を扱っています。

神の摂理と信仰の話しが出てきますが,そこから進みません。




夏目漱石の「夢十話」を読んでいます。

次のような文章があります。

「最後に自分に神を信仰するかと尋ねた。

自分は空を見て黙っていた。」

「とうとう死ぬ事に決心した。」


ここには,まことの神の救いを信じなかった人の最後を書いています。

夢というかたちで書いていますが,たましいの真実の姿を知ることが出来ます。


この異人は,

「星も海もみんな神の作ったものだと云った。

最後に自分に神を信仰するかと尋ねた」のです。


神が天地を造り,支配していること,

そして,神を信じることを勧めています。

夢の中の「自分」が,異人にもう少し教えてくださいというなら,

ローマ書の次の箇所を教えたかもしれません。



(ローマ4:16-5:1)

「そのようなわけで,

世界の相続人となることは,信仰によるのです。

それは,恵みによるためであり,

こうして約束がすべての子孫に,

すなわち,律法を持っている人々にだけでなく,

アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。

「わたしは,あなたをあらゆる国の人々の父とした。」と書いてあるとおりに,

アブラハムは私たちすべての者の父なのです。

このことは,彼が信じた神,すなわち死者を生かし,

無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で,そうなのです。

彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。

それは,「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに,

彼があらゆる国の人々の父となるためでした。

アブラハムは,およそ百歳になって,

自分のからだが死んだも同然であることと,

サラの胎の死んでいることとを認めても,

その信仰は弱りませんでした。

彼は,不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず,

反対に,信仰がますます強くなって,神に栄光を帰し,

神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

だからこそ,それが彼の義とみなされたのです。

しかし,「彼の義とみなされた。」と書いてあるのは,

ただ彼のためだけでなく,また私たちのためです。

すなわち,私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも,

その信仰を義とみなされるのです。

主イエスは,私たちの罪のために死に渡され,

私たちが義と認められるために,よみがえられたからです。

ですから,信仰によって義と認められた私たちは,

私たちの主イエス・キリストによって,神との平和を持っています。」




天地を造られた神は,天地の摂理によって守っています。

そして,イエス・キリストによってこの真実をあらわします。

この異人は次のように言うかもしれません。

「無から天地を造られた神は,

イエス・キリストを死からよみがえらせました。」

と言うかも知れません。

「ここに,あなたの生きる意味があります」と,言うかもしれません。




「夢十夜」 第七夜 夏目漱石著  青空文庫から


 何でも大きな船に乗っている。

 この船が毎日毎夜すこしの絶間(たえま)なく

黒い煙(けぶり)を吐いて浪(なみ)を切って進んで行く。

凄(すさま)じい音である。

けれどもどこへ行くんだか分らない。

ただ波の底から焼火箸(やけひばし)のような太陽が出る。

それが高い帆柱の真上まで来てしばらく挂(かか)っているかと思うと,

いつの間にか大きな船を追い越して,先へ行ってしまう。

そうして,

しまいには焼火箸(やけひばし)のようにじゅっといってまた波の底に沈んで行く。

そのたんびに蒼(あお)い波が遠くの向うで,蘇枋(すおう)の色に沸(わ)き返る。

すると船は凄(すさま)じい音を立ててその跡(あと)を追(おっ)かけて行く。

けれども決して追つかない。


 ある時自分は,船の男を捕(つら)まえて聞いて見た。

「この船は西へ行くんですか」

 船の男は怪訝(けげん)な顔をして,しばらく自分を見ていたが,やがて,

「なぜ」と問い返した。

「落ちて行く日を追かけるようだから」

 船の男はからからと笑った。

そうして向うの方へ行ってしまった。

「西へ行く日の,果(はて)は東か。

それは本真(ほんま)か。東(ひがし)出る日の,御里(おさと)は西か。

それも本真か。身は波の上。。流せ流せ」と囃(はや)している。

舳(へさき)へ行って見たら,水夫が大勢寄って,

太い帆綱(ほづな)を手繰(たぐ)っていた。


 自分は大変心細くなった。

いつ陸(おか)へ上がれる事か分らない。

そうしてどこへ行くのだか知れない。

ただ黒い煙(けぶり)を吐いて波を切って行く事だけはたしかである。

その波はすこぶる広いものであった。

際限(さいげん)もなく蒼(あお)く見える。

時には紫(むらさき)にもなった。

ただ船の動く周囲(まわり)だけはいつでも真白に泡(あわ)を吹いていた。

自分は大変心細かった。

こんな船にいるよりいっそ身を投げて死んでしまおうかと思った。


 乗合(のりあい)はたくさんいた。

たいていは異人のようであった。

しかしいろいろな顔をしていた。

空が曇って船が揺れた時,一人の女が欄(てすり)に倚(よ)りかかって,

しきりに泣いていた。

眼を拭く手巾(ハンケチ)の色が白く見えた。

しかし身体(からだ)には更紗(さらさ)のような洋服を着ていた。

この女を見た時に,悲しいのは自分ばかりではないのだと気がついた。


 ある晩甲板(かんぱん)の上に出て,一人で星を眺めていたら,

一人の異人が来て,天文学を知ってるかと尋ねた。

自分はつまらないから死のうとさえ思っている。

天文学などを知る必要がない。

黙っていた。

するとその異人が金牛宮(きんぎゅうきゅう)の頂(いただき)にある

七星(しちせい)の話をして聞かせた。

そうして星も海もみんな神の作ったものだと云った。

最後に自分に神を信仰するかと尋ねた。自分は空を見て黙っていた。


 或時サローンに這入(はい)ったら派手(はで)な衣裳(いしょう)を着た若い女が

向うむきになって,洋琴(ピアノ)を弾(ひ)いていた。

その傍(そば)に背の高い立派な男が立って,唱歌を唄(うた)っている。

その口が大変大きく見えた。

けれども二人は二人以外の事にはまるで頓着(とんじゃく)していない様子であった。

船に乗っている事さえ忘れているようであった。


 自分はますますつまらなくなった。

とうとう死ぬ事に決心した。

それである晩,あたりに人のいない時分,思い切って海の中へ飛び込んだ。

ところが ― 自分の足が甲板(かんぱん)を離れて,

船と縁が切れたその刹那(せつな)に,急に命が惜しくなった。

心の底からよせばよかったと思った。

けれども,もう遅い。

自分は厭(いや)でも応でも海の中へ這入らなければならない。

ただ大変高くできていた船と見えて,

身体は船を離れたけれども,足は容易に水に着かない。

しかし捕(つか)まえるものがないから,しだいしだいに水に近づいて来る。

いくら足を縮(ちぢ)めても近づいて来る。

水の色は黒かった。


 そのうち船は例の通り黒い煙(けぶり)を吐いて,通り過ぎてしまった。

自分はどこへ行くんだか判らない船でも,

やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら,

しかもその悟りを利用する事ができずに,

無限の後悔と恐怖とを抱(いだ)いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。

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