神の愛 聖書の8か所の言葉
(H.M) 2020.5.31
口語訳聖書
神は「光」として現われ,
わたしたちを守り,導いてくださいます。
(1)(2)
神が,
わたしたちを愛し,
御子イエスを送ってくださいました。
(4)
御子イエスは,
わたしたちの身代わりとして
十字架にかかりました。
(3)
復活し,天に昇り,
そして聖霊を注いでくださっています。
わたしたちは,今,
この聖霊を受けています。
(5)
聖霊によって,神の愛が
わたしたちのうちにあります。
(6)
そして,聖霊によって,
悪霊に打ち勝てます。
(7)

(1)
主はわたしの光
(詩編27:1,2)
「主はわたしの光,
わたしの救だ,
わたしはだれを恐れよう。
主はわたしの命のとりでだ。
わたしはだれをおじ恐れよう。
わたしのあだ,
わたしの敵である悪を行う者どもが,
襲ってきて,
わたしをそしり,
わたしを攻めるとき,
彼らはつまずき倒れるであろう。」
ダビデの作った詩です。
神は「わたしの光」です。
「光」は,変わらない神の栄光であり,
神の臨在を現わしています。
その神によって,
わたしたちは救われています。
○
(神の臨在)
(詩編27:4-6)
「わたしは一つの事を主に願った,
わたしはそれを求める。
わたしの生きるかぎり,
主の家に住んで,
主のうるわしきを見,
その宮で尋ねきわめることを。
それは主が悩みの日に,
その仮屋のうちにわたしを潜ませ,
その幕屋の奥にわたしを隠し,
岩の上に
わたしを高く置かれるからである。
今わたしのこうべは
わたしをめぐる敵の上に高くあげられる。
それゆえ,わたしは主の幕屋で,
喜びの声をあげて,いけにえをささげ,
歌って,主をほめたたえるであろう。」
ダビデの作った詩です。
「主の家に住む」こと,
「主のうるわしさを見る」とは,
主と共にいること,
神が臨在していることを示しています。
ダビデは油注がれた王だったので,
神が臨在していることを
知っていました。
イエスを信じるわたしたちは,
神が臨在していることが,
わたしたちの内にある
聖霊によってわかります。

(2)
主の翼
(詩編91:4)
「主はその羽をもって,
あなたをおおわれる。
あなたはその翼の下に
避け所を得るであろう。
そのまことは大盾,
また小盾である。」
天使であるケルビムは「翼」を広げて,
幕屋のなかにある契約の箱の上に
一対のケルビムの間で
神は語られました。
(出エジプト25:22)
神の栄光を現わしています。
そのように,主が羽で,
わたしたちを「おおわれます」。
わたしたちは,
神の栄光,神の臨在のもとにあります。
○
救い
(詩編91:14-16)
「彼はわたしを愛して離れないゆえに,
わたしは彼を助けよう。
彼はわが名を知るゆえに,
わたしは彼を守る。
彼がわたしを呼ぶとき,
わたしは彼に答える。
わたしは彼の悩みのときに,
共にいて,彼を救い,
彼に光栄を与えよう。
わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ,
わが救を彼に示すであろう。」
ここでは,
「わたし」(91:14)は神であり,
イエス・キリストです。
「彼」(91:14)とは,
神を信じるわたしたちです。
イエスはわたしたちを助けだし,
高く上げ,呼び求めるとき答えて下さり,
苦しみの時も共にいてくださり,
「長寿」(91:16)を
与えてくださいます。
この「長寿」は,
わたしたちにとっては,
イエス・キリストが与えてくださる
永遠のいのちであり,
復活のいのちでもあります。
(ヨハネ11:25,26)
「イエスは彼女に言われた,
『わたしはよみがえりであり,
命である。
わたしを信じる者は,
たとい死んでも生きる。
また,生きていて,
わたしを信じる者は,
いつまでも死なない。
あなたはこれを信じるか』」。

(3)
苦難の主 十字架の主
(イザヤ53:4-6)
「まことに彼はわれわれの病を負い,
われわれの悲しみをになった。
しかるに,われわれは思った,
彼は打たれ,神にたたかれ,
苦しめられたのだと。
しかし彼はわれわれの
とがのために傷つけられ,
われわれの不義のために
砕かれたのだ。
彼はみずから懲らしめをうけて,
われわれに平安を与え,
その打たれた傷によって,
われわれはいやされたのだ。
われわれはみな羊のように迷って,
おのおの自分の道に向かって行った。
主はわれわれすべての者の不義を,
彼の上におかれた。」
イザヤがイエス・キリストの姿を
預言(神から示された言葉を人々に語る)
しています。
イエスは,わたしたちの罪と病を背負い,
わたしたちの身代わりととして,
十字架にかかってくださいました。
(ローマ6:23)
「罪の支払う報酬は死である。
しかし神の賜物は,
わたしたちの主キリスト・イエスにおける
永遠のいのちである。」
このイエス・キリストの
贖いの業は完全です。
わたしたちは
イエス・キリストを信じることによって,
罪は赦され,病はいやされます。
そして,永遠のいのちを受けます。
このイザヤ書の預言は,
つぎのマタイの福音書が引用しています。
(マタイ8:16,17)
「夕暮になると,
人々は悪霊につかれた者を大ぜい,
みもとに連れてきたので,
イエスは
み言葉をもって霊どもを追い出し,
病人をことごとくおいやしになった。
これは,預言者イザヤによって
『彼は,
わたしたちのわずらいを身に受け,
わたしたちの病を負うた』
(イザヤ53:4)
と言われた言葉が成就するためである。」
イエスは生涯と十字架の死によって,
悪霊を追い出し,病人をいやし,
不義(罪)を赦します。

(4)
変わらない愛
(イザヤ54:10)
「『山は移り,丘は動いても,
わがいつくしみは
あなたから移ることなく,
平安を与える
わが契約は動くことがない』と,
あなたを
あわれまれる主は言われる。」
(イザヤ54:10 新改訳)
「『たとい山々が移り,
丘が動いても,
わたしの変わらぬ愛は
あなたから移らず,
わたしの平和の契約は動かない』
とあなたをあわれむ主は仰せられる。」
「山々が移り,丘が動いても」,
神の愛は変わりません。
地上の終わり,
新しい天と新しい地が来ても,
神の愛は変わりません。
神はわたしたちを
天地を造る前から愛して下さっています。
(エペソ1:4,5)
「みまえに
きよく傷のない者となるようにと,
天地の造られる前から,
キリストにあってわたしたちを選び,
わたしたちに,
イエス・キリストによって
神の子たる身分を授けるようにと,
御旨のよしとするところに従い,
愛のうちに
あらかじめ定めて下さったのである。」
「新しい天と新しい地」の創造まで,
神はわたしたちを
愛して下さっています。
神はわたしたちを
永遠に愛して下さっています。
(黙示21:1-4)
「わたしはまた,
新しい天と新しい地とを見た。
先の天と地とは消え去り,
海もなくなってしまった。
また,聖なる都,新しいエルサレムが,
夫のために着飾った花嫁のように
用意をととのえて,
神のもとを出て,
天から下って来るのを見た。
また,
御座から大きな声が叫ぶのを聞いた,
『見よ,神の幕屋が人と共にあり,
神が人と共に住み,
人は神の民となり,
神自ら人と共にいまして,
人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。
もはや,死もなく,悲しみも,
叫びも,痛みもない。
先のものが,
すでに過ぎ去ったからである』」。
○
イザヤは,
神による人の創造を宣べています。
神は,わたしたちを神の栄光のために
創造したと宣べます。
(イザヤ43:7口語訳)
「すべてわが名をもって
となえられる者をこさせよ。
わたしは彼らを
わが栄光のために創造し,
これを造り,これを仕立てた」。

(5)
新しい心と,新しい霊
(エゼキエル18:30-32)
「それゆえ,イスラエルの家よ,
わたしはあなたがたを,
おのおのそのおこないに従ってさばくと,
主なる神は言われる。
悔い改めて,
あなたがたのすべてのとがを離れよ。
さもないと悪はあなたがたを滅ぼす。
あなたがたがわたしに対して
おこなったすべてのとがを捨て去り,
新しい心と,新しい霊とを得よ。
イスラエルの家よ,
あなたがたはどうして死んでよかろうか。
わたしは何人の死をも
喜ばないのであると,
主なる神は言われる。
それゆえ,
あなたがたは翻って生きよ」。
イエス・キリストが十字架にかかり,
復活し,天に昇り,聖霊を下します。
わたしたちは,この聖霊により,
「新しい心と新しい霊」
(エゼキエル18:31)を,
聖霊の恵みとして受けます。
聖霊は,
イエス・キリストを信じる者のうちに
いてくださいます。
(ガラテヤ4:6 口語訳)
「このように,
あなたがたは子であるのだから,
神はわたしたちの心の中に,
『アバ,父よ』と呼ぶ御子の霊を
送って下さったのである。」

(6)
神の愛
(ローマ8:34-39)
「だれが,わたしたちを罪に定めるのか。
キリスト・イエスは,死んで,
否,よみがえって,神の右に座し,
また,わたしたちのために
とりなして下さるのである。
だれが,キリストの愛から
わたしたちを離れさせるのか。
患難か,苦悩か,迫害か,飢えか,
裸か,危難か,剣か。
『わたしたちはあなたのために終日,
死に定められており,
ほふられる羊のように見られている』
と書いてあるとおりである。
しかし,わたしたちを
愛して下さったかたによって,
わたしたちは,
これらすべての事において
勝ち得て余りがある。
わたしは確信する。
死も生も,天使も支配者も,
現在のものも将来のものも,
力あるものも,
高いものも深いものも,
その他どんな被造物も,
わたしたちの
主キリスト・イエスにおける神の愛から,
わたしたちを引き離すことは
できないのである。」
イエス・キリストは,
十字架の死によって,
神の義を示しました。
(ローマ3:24,25)
「彼らは,価なしに,神の恵みにより,
キリスト・イエスによる
あがないによって義とされるのである。
神はこのキリストを立てて,
その血による,
信仰をもって
受くべきあがないの供え物とされた。
それは神の義を示すためであった。
すなわち,今までに犯された罪を,
神は忍耐をもって
見のがしておられたが,」
そして,イエス・キリストはよみがえり,
昇天し,神の右にいます。
(ローマ8:34)
「だれが,わたしたちを罪に定めるのか。
キリスト・イエスは,死んで,否,
よみがえって,神の右に座し,
また,わたしたちのために
とりなして下さるのである。」
今,イエス・キリストは,
神の右の座から
わたしたちに
執り成しの祈りをしてくださり,
聖霊を送ってくださっています。
イエス・キリストは,
わたしたちを愛して下さっています。
イエス・キリストを信じる者は
人生がどんなときでも,
神の愛がわたしたちを
引き離すことがありません。

(7)
悪魔に打ち勝つ神の武具
(エペソ6:10-18)
「最後に言う。
主にあって,その偉大な力によって,
強くなりなさい。
悪魔の策略に対抗して立ちうるために,
神の武具で身を固めなさい。
わたしたちの戦いは,
血肉に対するものではなく,
もろもろの支配と,権威と,
やみの世の主権者,
また天上にいる
悪の霊に対する戦いである。
それだから,悪しき日にあたって,
よく抵抗し,完全に勝ち抜いて,
堅く立ちうるために,
神の武具を身につけなさい。
すなわち,立って真理の帯を腰にしめ,
正義の胸当を胸につけ,
平和の福音の備えを足にはき,
その上に,
信仰のたてを手に取りなさい。
それをもって,
悪しき者の放つ火の矢を
消すことができるであろう。
また,救のかぶとをかぶり,
御霊の剣,すなわち,
神の言を取りなさい。
絶えず祈と願いをし,
どんな時でも御霊によって祈り,
そのために目をさましてうむことがなく,
すべての聖徒のために
祈りつづけなさい。」
イエスが来られたのは,
福音を伝え,
病気をいやし,
悪霊を追い出すためでした。
福音とは,
イエス・キリストを信じる者は,
罪が赦され,
天国に入れるということです。
(マタイ4:23,24)
「イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて,
諸会堂で教え,御国の福音を宣べ伝え,
民の中のあらゆる病気,
あらゆるわずらいをおいやしになった。
そこで,
その評判はシリヤ全地にひろまり,
人々があらゆる病にかかっている者,
すなわち,
いろいろの病気と
苦しみとに悩んでいる者,
悪霊につかれている者,
てんかん,中風の者などを
イエスのところに連れてきたので,
これらの人々をおいやしになった。」
イエス・キリストは
十字架であがないの業を
完全に成し遂げ,
復活しました。
イエス・キリストは,
その生涯と十字架の死によって
福音を語り,病をいやし,
悪霊を追い出しました。
わたしたちは,信仰によって
この恵みを受け取ります。
○
わたしたちが悪魔に勝つには,
神の武具が必要です。
神の武具とは,
真理,正義,平和の福音,
信仰,救い,御霊,神の言,
祈り,御霊の祈りです。
そのなかでも,
イエス・キリストを信じることが
大切です。
それは,
イエス・キリストがわたしたちのために
悪魔に勝ったからです。

(8)
互いに愛し合う
(1ヨハネ4:7-9)
「愛する者たちよ。
わたしたちは互に愛し合おうではないか。
愛は,神から出たものなのである。
すべて愛する者は,
神から生れた者であって,
神を知っている。
愛さない者は,神を知らない。
神は愛である。
神はそのひとり子を世につかわし,
彼によって
わたしたちを生きるようにして下さった。
それによって,
わたしたちに対する神の愛が
明らかにされたのである。」
この手紙は,
イエスの弟子のヨハネが書きました。
ヨハネは
イエス・キリストの言葉を
直接聞いていました。
○
(1ヨハネ4:7)
「愛する者たちよ。
わたしたちは互に愛し合おうではないか。
愛は,神から出たものなのである。
すべて愛する者は,
神から生れた者であって,
神を知っている。」
この言葉を
イエスは次のように言っています。
(ヨハネ15:12口語訳)
「わたしのいましめは,これである。
わたしがあなたがたを愛したように,
あなたがたも互に愛し合いなさい。」
○
(1ヨハネ4:9)
「神はそのひとり子を世につかわし,
彼によって
わたしたちを生きるようにして下さった。
それによって,
わたしたちに対する神の愛が
明らかにされたのである。」
ヨハネの福音書では,
次のように述べています。
(ヨハネ3:16口語訳)
「神はそのひとり子を賜わったほどに,
この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者が
ひとりも滅びないで,
永遠の命を得るためである。」
○
この手紙は,
聖霊の降臨の後に書かれています。
聖霊が降り,
わたしたちは聖霊の実を受けます。
その実の中心にあるのが愛です。
(ガラテヤ5:22,23口語訳)
「御霊の実は,
愛,喜び,平和,寛容,
慈愛,善意,忠実,
柔和,自制であって,
これらを否定する律法はない。」
○
イエス・キリストは,
「ぶどうの木のたとえ」で
互いに愛することについて,
次のように言っています。
(ヨハネ15:5)
「わたしはぶどうの木,
あなたがたはその枝である。
もし人がわたしにつながっており,
またわたしがその人とつながっておれば,
その人は実を豊かに結ぶようになる。
わたしから離れては,
あなたがたは
何一つできないからである。」
(ヨハネ15:9)
「父がわたしを愛されたように,
わたしもあなたがたを愛したのである。
わたしの愛のうちにいなさい。」
(ヨハネ15:12)
「わたしのいましめは,これである。
わたしがあなたがたを愛したように,
あなたがたも互に愛し合いなさい。」
H.M
2020.5.31
