自由・解放
(ローマ6:19)
「キリストの支配とは,
われわれが実際に自由とされることで,
それはつまり誤った服従から
正しい服従へと
解放されるということです。」
(ローマ6:11)
「このように,
あなたがたも,
自分は罪に対しては死んだ者であり,
神に対してはキリスト・イエスにあって
生きた者だと,思いなさい。」
イエスを信じると,
罪への服従から,
神への服従となります。
神に従がうと,
自由と解放が与えられます。
「主の霊のあるところには自由がある」
(2コリント3:17)からです。
義の奴隷
(ローマ6:11―23)
「このように,あなたがたも,
自分は罪に対しては死んだ者であり,
神に対しては
キリスト・イエスにあって生きた者だと,
思いなさい。
ですから,
あなたがたの死ぬべきからだを
罪の支配にゆだねて,
その情欲に従ってはいけません。
また,
あなたがたの手足を不義の器として
罪にささげてはいけません。
むしろ,
死者の中から生かされた者として,
あなたがた自身とその手足を義の器として
神にささげなさい。
というのは,
罪はあなたがたを
支配することがないからです。
なぜなら,
あなたがたは律法の下にはなく,
恵みの下にあるからです。
それではどうなのでしょう。
私たちは,律法の下にではなく,
恵みの下にあるのだから罪を犯そう,
ということになるのでしょうか。
絶対にそんなことはありません。
あなたがたは
このことを知らないのですか。
あなたがたが
自分の身をささげて
奴隷として服従すれば,
その服従する相手の奴隷であって,
あるいは罪の奴隷となって死に至り,
あるいは従順の奴隷となって
義に至るのです。
神に感謝すべきことには,
あなたがたは,
もとは罪の奴隷でしたが,
伝えられた教えの規準に心から服従し,
罪から解放されて,
義の奴隷となったのです。
あなたがたにある肉の弱さのために,
私は人間的な言い方をしています。
あなたがたは,
以前は自分の手足を
汚れと不法の奴隷としてささげて,
不法に進みましたが,
今は,
その手足を義の奴隷としてささげて,
聖潔に進みなさい。
罪の奴隷であった時は,
あなたがたは義については,
自由にふるまっていました。
その当時,
今では
あなたがたが恥じている
そのようなものから,
何か良い実を得たでしょうか。
それらのものの行き着く所は死です。
しかし今は,
罪から解放されて神の奴隷となり,
聖潔に至る実を得たのです。
その行き着く所は永遠のいのちです。
罪から来る報酬は死です。
しかし,神の下さる賜物は,
私たちの主キリスト・イエスにある
永遠のいのちです。」