自分自身の重荷
「人にはおのおの,
負うべきがあるのです。」
自分の重荷を負う。
また,互いの重荷を負い合うように
パウロは言います。
(ガラテヤ6:2)
「互いの重荷を負い合い,
そのようにして
キリストの律法を全うしなさい。」
☆
イエスは次のように言います。
「すべて,疲れた人,
重荷を負っている人は,
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを
休ませてあげます。」
○
すべて疲れた人に
(詩篇119:71)
「すべて,疲れた人,
重荷を負っている人は,
わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを
休ませてあげます。」
苦しみ,悩みによって,
神のおきてを学び,
人間性を成就させるものになります。
○
キリストの苦難となぐさめ
(2コリント1:3-6)
「私たちの主イエス・キリストの父なる神、
慈愛の父、
すべての慰めの神がほめたたえられますように。
神は、どのような苦しみのときにも、
私たちを慰めてくださいます。
こうして、私たちも、
自分自身が神から受ける慰めによって、
どのような苦しみの中にいる人をも
慰めることができるのです。
それは、
私たちにキリストの苦難が
あふれているように、
慰めもまたキリストによって
あふれているからです。
もし私たちが苦しみに会うなら、
それはあなたがたの慰めと救いのためです。
もし私たちが慰めを受けるなら、
それもあなたがたの慰めのためで、
その慰めは、
私たちが受けている苦難と
同じ苦難に耐え抜く力を
あなたがたに与えるのです。
パウロは,苦難によって,
神の慰めを知り,
人々を慰めることが
出来るようになると言います。」
2019-02-13