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朝の光(聖書の言葉)

天に上げられる (ルカ24:50,51)

天に上げられる


(ルカ24:50,51)


「それから,

イエスは,

彼らをベタニヤまで連れて行き,

手を上げて祝福された。

そして祝福しながら,

彼らから離れて行かれた。」



ジョット 「主の昇天」

 



イエス・キリストは十字架にかけられ

死んだ後,

復活し弟子たちに顕れます。



その後,

天に上げられる出来事(昇天)が,

このことばです。


復活したイエスは弟子たちをエルサレムから,

御自身の愛されていたベタニヤに

連れて行きます。

そこから,イエスは天に昇られ,

神の御座へと着かれます。




イエスは昇天の前に

次のようにも言っています。


(マタイ28:20)
「あなたがたに命じておいた
いっさいのことを守るように教えよ。
見よ,わたしは世の終りまで,
いつもあなたがたと共にいるのである」。


イエスは天にあげられました。

天は神のいるところ。

神はどこにでもいます。

ですから,イエスはここにいます。






イエス・キリスト

天に上げられる


(ルカ24:50-52)

「それから,

イエスは,

彼らをベタニヤまで連れて行き,

手を上げて祝福された。

そして祝福しながら,

彼らから離れて行かれた。

彼らは,

非常な喜びを抱いてエルサレムに帰り,

いつも宮にいて神をほめたたえていた。」



このイエスの昇天の出来事は,

使徒行伝に詳しく記されています。


(使徒1:9-11)

「こう言ってから,

イエスは彼らが見ている間に上げられ,

雲に包まれて,

見えなくなられた。

イエスが上って行かれるとき,

弟子たちは天を見つめていた。

すると,見よ,

白い衣を着た人がふたり,

彼らのそばに立っていた。

そして,こう言った。

『ガリラヤの人たち。

なぜ天を見上げて立っているのですか。

あなたがたを離れて

天に上げられたこのイエスは,

天に上って行かれるのを

あなたがたが見たときと同じ有様で,

またおいでになります。』」


 



「雲に包まれて」といっても,

宇宙空間のどこかにイエス・キリスト

の所在を求めるべきではありません。


昇天は物理的に説明できません。


パウロは,次のように言います。

(エペソ1:20,21)
「神は,
その全能の力をキリストのうちに働かせて,
キリストを死者の中からよみがえらせ,
天上においてご自分の右の座に着かせて,
すべての支配,権威,権力,主権の上に,
また,今の世ばかりでなく,
次に来る世においてもとなえられる,
すべての名の上に高く置かれました。」


神の臨在を象徴する

栄光の雲のうちに上げられたものとして,

霊的に理解すべきです。


(1テモテ3:16)
「キリストは肉において現われ,
霊において義と宣言され…
世界中で信じられ,
栄光のうちに上げられた。」


2015.11.13

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