◇渋谷真コラム「龍の背に乗って」 ◇30日 ヤクルト1-1中日(神宮)
日本プロ野球は創設からこの日までに6万5713試合行われたが、三振にまつわるオンリーワンの記録がある。それが涌井の毎回全員奪三振だ。西武時代の2009年4月24日(ロッテ戦、西武ドーム)で達成している。
4回に村上から空振りで奪って到達した通算2000奪三振は、史上24人目。200勝到達者も同数だから、その価値の大きさがよくわかる。 それなのに、涌井は「僕にとって三振はいらないもの」と言い切る。その理由も「僕は中学生のころには、内野ゴロを打たせて生きていく投手だと思っていた。だからよく言われる(全員三振の)81球より、断然27球で終わりたい派なんですよ」と明快だ。
しかし、記録が残れば記憶にも残る。2001も奪えば会心があるものだ。「空振り」と「見逃し」で、それぞれのベストKを選んでもらった。
まずは空振り。06年4月9日の日本ハム戦(札幌ドーム)で、新庄から奪った。 「最後はチェンジアップだったんですが、真っすぐのタイミングで振ってきての空振り。時差が生まれたんです」 速球との球速差が生み出す前後の変化。体勢を崩しきっての空振りは、投手にとって何よりの優越感だ。
続いて見逃しはロッテに移籍後の16年7月5日。西武戦(QVCマリン)で、最後の力を振り絞った。 「岸さん(現楽天)と投げ合って、9回投げきっても決着がつかなかったんです。その最後のアウトが中村さん。外角ストレートでした」 2死一、二塁のピンチに、糸を引くようなストレートで3球勝負。古巣の4番にバットさえ振らせなかった。エース対決にふさわしい投球で9イニングを投げ終えた。
空振りで奪う快感か、見逃しの美しさか。
涌井は「僕は空振り派。打者の予測を上回った感があるので」。いらないものなんて言いながら、そこには涌井らしい美学があった。
中日スポーツ
『奪三振王もシーズン200奪三振以上もなしで通算2000奪三振は、涌井秀章が何人目!?』
3月30日の4回裏、涌井秀章(中日ドラゴンズ)は、東京ヤクルト・スワローズのホセ・オスナと村上宗隆から、今シーズン最初の2三振を続けて奪い、史上24人目の通算2000奪三振に到達した。
涌井は、2005年3月29日、西武ライオンズの開幕4試合目に、先発投手としてデビューした。最初に三振を奪った相手は、北海道日本ハム・ファイターズの小田智之だ。
これまでの19シーズンに、奪三振王のタイトルは獲得していない。200奪三振以上のシーズンも皆無だ。
奪三振王なしで通算2000奪三振は7人目。200奪三振以上のシーズンなしで通算2000奪三振は10人目。このどちらにも当てはまるのは、平松政次、山田久志、星野伸之、岸孝之(東北楽天ゴールデンイーグルス)に、涌井の5人だ。
ただ、涌井は、2009年に200奪三振まであと1に迫った。順位は、パ・リーグ2位。涌井の上には、204三振を奪った福岡ソフトバンク・ホークスの杉内俊哉がいた。
ちなみに、岸のシーズン最多は、2017年の189奪三振だ。こちらは、パ・リーグ3位。トップは、現在も東北楽天でともに投げている則本昂大が222奪三振。2位には、217奪三振の菊池雄星(当時・埼玉西武ライオンズ/現トロント・ブルージェイズ)が位置した。
その一方で、奪三振王のタイトルを獲得しているが、1シーズンに160三振以上を奪ったことがない投手もいる。通算2000奪三振以上のなかでは、中日ドラゴンズ一筋に投げた山本昌がそうだ。自己最多は、1997年の159奪三振。この年のセ・リーグには、150奪三振以上の投手が他にいなかった。2番目に多かったのは、147三振を奪った横浜ベイスターズの川村丈夫だ。
unenatsuki
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