ピアノを習いたいと思った時に当たり前のように
両親がアップライトピアノを与えてくれたが
練習嫌いの私は30分も弾いた事は無かった
音大を考えた時はいち早くグラントピアノを与えてくれた
ピアノにたいしての愛があったかと言えば全く無かった
結婚と子育てを機に離れ、もう一生弾く事は無いと思っていたピアノは 私が居ない間も実家の一部屋を占領し鎮座していて、湿気にやられ錆が発生し、音を鳴らす事もなくなったピアノを、なんとなく手放す気になれない母と私が居た
月が見える冷えた朝、始発電車、誰も居なくなった最終電車に乗りレッスンに通い続けた事、母が作ってくれたおにぎりに有り難さも感じず、嫌々ながらレッスンに通った記憶も今となっては宝のように思える
田舎で経験した職が都会で通用するか、自信などあるわけでは無く、自信をつける為に、向上心だけは持ち続けたかった。
当たり前にあったピアノは無くなり、相棒は電子ピアノ、ハイブリッドピアノと何度も変わり、限界を感じてきた頃、何度挫折したか分からない
(正確には折れた事にも気づかず、結果を生み出す事が出来ない事にも気づかなかったのかもしれない)
側にいすぎて気づかなかった、当たり前が必ず存在しないこと、愛おしいものに対しての在り方
何年もかかってしまったけれど
私だけの力ではなく、いくつもの縁と周りの力で思いが形になり、新たなる挑戦が始まる
限界値ギリギリで生きているつもりでも、まだまだ自分なら可能だと信じている
人生は一度きりなのだから
そんな風に育ててくれた両親を私は自分の命を懸けて守っていきたいし、子供達に対してもそうでありたいと思っている
側にいてよね