前回の読書日記で取り上げた『ビタミンF』の作者、重松清氏とはどのような作家なんだろうか、、、という興味半分で読み始めた今回の作品は、文庫本上下二冊で820頁を超える長編小説『カシオペアの丘で』です。
1977年、人工衛星ボイジャー2号、1号を見るために親に内緒で夜中に抜け出し名もない近くの丘に上がった小学校4年生だった“シュン・トシ・ミッチョ・ユウちゃん”の4人の幼馴染みがを中心とした、友情、人間関係、命、運命、死などにまつわる人間模様を描いた物語です。
、という人生の重い課題を描いたにもかかわらず、重松氏の文体は、単純に小説の面白さを純真な気持ちで味わうことが出来た作品でした。それに、本当に、久しぶりに最終章では目が涙でかすむシーンも味わえました。
では、本題に入ります。
彼らの頭上に広がる北海道・北都市の夜空は、雲ひとつない見渡す限りの満点の星空……4人はこの丘に、将来は遊園地ができればいいと声を揃えて語り合います。
その夢は十年以上あとに赤字財政を積み重ねる北都市の公共事業として実現します。
その『カシオペアの丘』と名づけられた遊園地の園長になったのは、子ども時代の事故がきっかけで車椅子に乗るようになったトシで、トシの傍らには彼と結婚したミッチョ(美智子)が寄り添うようになっていました。しかし、このトシとミッチョのいる北都の故郷にシュンは決して足を向けることは無かったのです。
4人の素朴な友情は長く続くはずだったけれど、いつの間にかシュン(倉田俊介)とトシ(敏彦)の関係は修復不可能な形でこじれ、中学校時代から大人になるまで二度と顔を合わすことがなくなりました。倉田俊介の祖父・倉田千太郎は、昭和初期の炭鉱経営からスタートした建設・不動産事業を母体とする倉田グループ(倉田建設)の総帥であり、北都市の経済開発と労働雇用を一手に取り仕切ってきた人物です。北都市は倉田グループが中心になって開発した町であり、倉田千太郎はワンマン経営者として北都の町に君臨し、人々の雇用と町の発展を強力に推進してきました。倉田建設はグループ企業となり、倉田コーポレーションと社名を変更して、小さな北都市を飛び出して北海道最大の都市・札幌へと本社を移転します。しかし、その時には「倉田」の後継者として祖父に期待されていたシュンは北都にも札幌にもいなかったのです。(北海道の方だったらこの小説のモデルとなった、この町がどこで、倉田建設がどこかおわかりになるでしょうね)
倉田俊介は「倉田」の総帥である祖父が、北都の町で過去に下した冷酷な判断(炭鉱火災事故の処理に対する判断)を許すことができず、深く傷つき倉田という名字と後継者の地位を捨てて故郷の北海道からも姿を消します。親友でありライバルだったシュンとトシの関係を永遠に切り裂いくことになります。孤独で強い精神力を持つ倉田千太郎はシュンからもトシからもミッチョからも強く憎悪され軽蔑されますが、彼は80歳を超えても「倉田」の相談役として院政を取り続け、あらゆる怒りや憎悪、復讐の念を一身で受け止め続けるのです。
しかし、90歳を超えて「倉田」の経営の全権をシュンの兄・健一に譲り、死を間近に控えた千太郎の精神は現実を正しく把握することができなくなり、札幌から故郷の北都へと思いを募らせるようになります。
一方、東京で結婚して普通の会社員として働いているシュン(倉田俊介)と北都に残って公務員をしているトシ・ミッチョの夫婦が再会する可能性は全く無かったのだが、一つのをきっかけにしてユウちゃん(雄司)が仲立ちすることでかつての幼馴染みが再び集う日がやってきます。前年の夏、トシとミッチョが働いている『カシオペアの丘』に遊びにきていた川原隆史さんの家族に、娘の真由ちゃんが殺害されるという悲劇が降りかかったのです。何の問題もなく、とても仲が良さそうに見えた川原さん親子だったが、真由ちゃんの殺害という悲報に続いて、殺害した犯人が妻の典子さんの不倫相手の若者だったことが明らかになってしまいます。大切な娘を失うと同時に最後の拠り所だった夫婦関係も破綻してしまった川原さんは、やり場のない絶望と怒りに苦しめられるが、そこに追い討ちをかけるように週刊誌やワイドショーの取材がやってきます。
制作プロダクションのディレクターとして働くユウちゃん(雄司)は、川原さんの事件の取材でカシオペアの丘を訪れトシとミッチョと再会するが、雄司は川原さんを取材している内に川原さんの境遇に感化されて個人的な関係を深めていくことになります。娘と妻というかけがえのない二人の肉親を同時に失った川原さんも、トシ・シュン・ミッチョと同じくという激烈な葛藤に襲われて人生の方向感覚を完全に失ってしまっていました。
こんな時、倉田の姓を捨てて結婚相手の恵理の名字を取った柴田俊介(シュン)は、会社の健康診断のレントゲン検査で肺に影が出ていたが、精密検査の結果、肺がんの悪性腫瘍であることが判明します。
39歳になった俊介は、妻の恵理と小学4年生の哲夫と東京で暮らす平凡な家庭の幸福の中にあったが、末期の肺がんの病魔に冒されることで人生が突如暗転。なぜ、自分だけが39歳という若さでがんを発症して死ななければならないのかの納得のいく理由は全くないが、俊介は否応なく自分の余命と過去の解決できていない問題(すべて忘れたふりをしていた親友や祖父との問題)に向き合わされることになります。残された僅かな時間の中で、妻の恵理や息子の哲夫にどんなメッセージや意志を伝えきることができるのか、逃げるようにして捨ててきた北海道の故郷・北都や小学生時代の親友たちともう一度再会して過去を許してもらうことができるのか、祖父の千太郎を「ひとごろし」と思った憎しみや悲しみから自由になれるのか、を前にしてさまざまな思いが脳裏を過ぎるのです。また、小学校5年のときに脊椎損傷を負ったトシ(敏彦)を除いた、シュン・ミッチョ・ユウちゃん、の3人は東京の大学で一度再会していて、トシの知らない大学時代のミッチョと恵理の知らない大学時代のシュンの間には、男女関係の記憶が積み重ねられていたのです。
この『カシオペアの丘』の小説には二つのテーマが読み取れると思います。一つはであり、もう一つは反対にです。多くの登場人物たちが、過去の傷つきや裏切りによって誰かを恨んだり怒ったり、嫉妬したりしている、あるいは、自分自身の過去の行動を許すことができずに責め続けている。そういった積年の怨恨や不満、不信、後悔、自己嫌悪、自己懲罰などと向き合ってとが本書全体を貫くテーマでしょう。そして家族の愛情や、友人との友情、恋愛の切なさ、人を許すことの難しさを物語り、その中で「人間関係の素晴らしさ」や「生きることの喜び」を多分に感じることの出来る作品でもありました。
長文、最後までお付き合い頂きありがとう。長編小説ですが、決して退屈させられる作品ではないと思います。お時間があればお薦め作品では。
(なお文中の写真は、本作品とは関係ありません。ボクが勝手に想像して、Web内から借用したものです)
かなり重たい課題を描いた作品。
パピーさんが読み取った二つのテーマ☆
<許すこと>と<許されること>
その前に自分や他人のありのままを受け入れることも難しい課題です。
さすが、北国の方ですね。
う~ん、自分のありのままを受け入れるって
難しそう。我欲がじゃまをする!
でも、「受け入れる」って「あきらめる」こと
じゃないよね。
39歳でガンになった俊介が余命6ケ月と宣告
された事実を見事に受け入れたですね。
もし、自分だったらどうだろうか、、、
でも、受け入れることによって絶交していた
祖父を「ゆるす」ことが出来たのですね。
この作品、こんな重いテーマを語っているのに
読んでいて重さは感じないだよ。その辺が上手いな~と思いました。読み終わってはじめて
重さに気付くなんて。。。
コメントありがとう
良かったです。
ここ数年の人気作家より読み応えがありました。
すらすら読めるのが気に入ったですね。内容
はしっかりしているのに。
コメントありがとう