誰もが一度は手にしたことのある日本文学の大御所、漱石先生晩年の名作『こころ』を再読しました。数十年ぶりですね。
先日、書棚の中を少々整理していたら不思議にも文庫本の本作品が見つかりました。平成20年改版13版となっているからそんなに昔じゃないですよね。記憶にありません。『こころ』といえば高校の国語の教科書には必ず出てくる名作でしたね。最近はどうなのか知りませんが。
高校生の頃、岩波書店から出ていた「漱石全集」を全巻買って読みふけった記憶があります。確か10年程前まではこの書棚に並んでいたんだけど、他の文学全集と一緒に資源ゴミに・・・
しかし、どんな小説だったか、ボクはほぼ完全に記憶から抹消されていました。皆さんは如何でしょうか、ストーリーなど覚えておられますか・・・
思い出して頂くために、先ずあらすじを。手抜きですが、この本から抜粋です。
【上】先生と私
夏休み、海水浴に行った「私」はふとしたきっかっけで、ある人物と知りあう。とっさに「先生」と呼び、東京の自宅をしばしば訪問する。「先生」は学問がありながら仕事もせず、奥さんと二人ひっそうり暮らしている。雑司ケ谷の墓地に友人の墓参りに出かける以外には外出もしない。「私」が一緒したいと申し出ると、他人には話せない事情があって奥さんさえ連れていかないとのこと。自分は寂しい人間だ、死という事実をまじめに考えたことがあるか、天罰で子供が出来ない、恋は罪悪であるが神聖なものだ、自分が信用できないから他人も信用しない、人は金を前にすると悪人に変わる。親友を亡くしてから性格が変わったことを奥さんから聞く。こんな断片的な言葉の背景が謎のまま、「私」はその人格にひかれる。一人くらいは信用して死にたいから、時期が来れば話すと「先生」は約束した。
【中】両親と私
「私」は大学を卒業して故郷に帰る。「先生」に手紙で仕事の斡旋を頼むが、返信がない。病気の父が危篤状態になったころ、「先生」から会いたいという電報が来る。家を出られないでいるうちに「先生」から書留の厚い手紙が来る。開けると、この手紙が着くころにはもうこの世にはいないと思うという文句が。死に瀕した父を置いて「私」は東京行きの汽車に飛び乗った。
【下】先生と遺書
「先生」は20歳前に相次いで両親を亡くし、叔父に遺産管理を任せて一校に進学するが、叔父に裏切られ、人間不信に陥る。故郷を捨てて上京し、軍人の未亡人とその娘の住む家に下宿する。やがて同郷の友人Kの苦境に同情して自分の下宿に同居させる。ある日Kから娘さんに対する密かな恋心を打ち明けられる。「先生」は前からその娘さんに心惹かれていた。仮病を使って学校を休み奥さんと二人きりになった時、娘さんとの結婚を申し込み承諾を得る。奥さんがその縁談を話すと、何も知らないKは一瞬変な顔をしたが、微笑みを浮かべて祝福する。遺書にも恨みごと一つ残さず、Kは「先生」の隣室で自殺する。その後、大学を卒業して娘さんと結婚した「先生」は、妻に打ち明けることもできず、ただKの墓前にひざまずく。親友を裏切って自殺に追い込んだ罪の意識になさいなまれた「先生」は死んだつもりで生きていこうと決心する。しかし、明治天皇の崩御や、35年もの間、ひたすら死ぬ機会を待っていたという乃木大将の殉死がある。明治という時代の精神に殉死するように、「先生」もまた自らの死を決意した。
これをお読みになれば、大方の皆さんには思い出して頂けることと思います。このような三部構成になった物語です。当然「先生と遺書」がメインで、この小説のほとんど全てはこの【下】で構成されています。
ところが「先生と私」「両親と私」のニ部を前にもってきている所が文豪漱石といわれる所以でしょう。このニ部がメインの「先生と遺書」をより時間的・構成的に奥行きのあるに内容にしているのではないでしょうか。
本作品『こころ』が、ボクを惹きつけるたのは、青春の恋の悩みと死という素材が人間としての普遍性にあると思ったからです。信頼を裏切った他人に失望し、友情を裏切った自分にも絶望した人間が、誰にも打ち明けられない罪悪感と死に後れといった意識を抱きながら、ひたすら死に場所を探し続け、ついには自らの命を絶つ・・・こういった人間の大きなテーマに根源的に取り組んだ作品ではないでしょうか。
一つ、つけ加えておきます。最後の「明治天皇の崩御」とか「乃木大将の殉死」といった言葉の心を真に理解することは、昭和生まれのボクにはどうしても無理だったようです。
今回の再読作品は、最初こそ軽い気持ちで読み始めたのですが、そのうちにこの物語にぐいぐい引き込まれて、他の併読書を全て閉じてしまいました。漱石って凄いな~という感覚、しばらくはボクから離れないでしょうね。
(夏目漱石)
読書に関して欲張りなボクは、同じく文豪といわれた川端康成、志賀直哉の作品をどれでもいいから再読してみたい気持ちでいます。またまた「読みたい本・積読本」が増えそうですね。困ったものです・・・
なんと夏目漱石ですかぁ…
パピーさんもスロライクゾーンが広いですねぇ…
かく言う僕も先日来芥川龍之介の『羅生門/鼻』を読んでいましたぁ…
夏目漱石にしても芥川龍之介にしても…この頃の作品って読む側の年齢の変化に沿って作品の印象って変わってくると思うのですが…
パピーさんは如何思われますかぁ?
明治時代は新しい時代の幕開け、西洋文化が入り、
そして,戦争など激動の時代ですね。
そんな時代を困窮や病と闘いながらの作家活動。。
今の世も生きづらいかも知れませんが、この時代だからこそ
大変だったでしょうか。
こんな事を思いながらもたいした読書もしない自分を
反省している次第です。
それなりに人生経験も積んだ今、読んでみたらまた新しい発見があるかも知れません。
お元気そうで何より。
そうですね、当時の高校生は純真で真面目
な学生が多かったです。未だ本当の「恋」も
知らないし、自分の「死」なんて夢にも
思わなかったですよね。
それが、恋も結婚も夫婦もそして正直言って
裏切りも人生の多くを知った今の年代で
この作品に対面すると、受ける感じが全く
異なってきましたね。
高校生時代の時のような、ドキドキ感や
ワクワク感は無いけれど、物語にグイグイ
引き込まれていく感じです。これが本物の
小説が持つ力なんでしょうね。
時にはこういった若き時代に熱中した作品
を今一度読んでみることも素晴しいことだ
と実感できたことはよかったと思います。
たぼさんだって龍之介ですか、良かった
でしょう。ボクは「雪国」とか「伊豆の
踊り子」とかいったような作品を今一度
読んでみたいと思ってます。
(もしかしたら若さが少しは取り戻せる
かも)(笑)
コメントありがとう
まだお若いからね、もう少し歳を重ねて
時間的な余裕も出来るとおそらく多読の
naokoさんになるんじゃないでしょうか。
漱石、おっしゃるように若い時には神経
衰弱に悩み、後年には「こころ」の前作
「行人」執筆中から胃潰瘍で入院とか
たびたびの吐血などの苦しみながら、切実に
「死」を思うほどの厭世観に捕らわれていた
時期の作品ですから、時代の背景と相まって
深淵の内部を懐抱していたであろうということ
はこの作品からも感じ取ることが出来ますね。
コメントありがとう
やっぱり高校国語の教科書にありましたか。
この歳になって改めて読んでみて、こりゃあ
高校生には少々無理じゃないかな・・・
なんて思いました。
うわべだけ読めば、単なる男女の三角関係の
物語に過ぎないじゃないか、なんてことに
・・・
コメントありがとう
「こころ」
ほぼ完全に記憶から抹消されていました・・(笑)
高校生の時に読んだ・・はず・・
1度読んでも 結構忘れてしまうものですね。
お忙しい中、お立ち寄り頂きありがとう。
でしょう、、高校生じゃこの作品の本質まで
理解は無理だと思うんです。
だから記憶に全く無い状態になるんだろう
と思います。
文豪といわれた名作を今一度再読してみる
ことは愉しいな~と強く思いました。
また、時間がとれたら読んでみようね。
コメントありがとう
お邪魔させてもらってはいたのですが
どぅしても この作品の内容が分からず
何度も何度もパピーさんの書いてくれた
あらすじを読んだんですがヤッパ記憶に
ない--;
と言うか読んだのかさえ分からず仕舞い…
「坊ちゃん」とか「吾輩へ猫である」は
直ぐに思い出せるのに…
取り留めのない変なコメでゴメンです-人-
この作品、教科書に当時はよく載っていた
から、読んだ気になってるんじゃないかな。
「明暗」や「それから」などと同じ晩年の
作品で「坊ちゃん」や「・・猫である」とは
雰囲気全然違うし、多分教科書で一部だけ
読んで全部は読んでおられないのでは・・・
と思います。
主な登場人物は男性の物語です、もう気に
されなくていいですよ。ゴメンね。
コメントありがとう