こんばんは。
お昼に編集を開始しましたが、そのまま夜になってしまったので「にちは」を消して「ばんは」に直したところです。
最近ずっと立て込んでいます。
幸せなことなんだろうなと思いますが、やっぱり少し大変ですね。
お正月らしい期間ももう終わってしまいました。お正月休みあんまり関係なく動いていたのですが、電車に人が増えてきた気もします。今日の帰りは、久々にぎゅうぎゅうの満員電車でした。
急に話が飛びますが、私、侮られやすい外見をしています。
無害そうな、とかいうと少し棘があるでしょうか。自覚があるのですが、綺麗な言葉で言うなら大人しそうな印象を持ってもらえる見た目です。
特徴を挙げるなら、背がそんなに高くないとか、目が少し垂れ目がちとか。姿勢があんまりピンと伸びてないのも関係あるかもしれません。
まぁ、そこは自分の好きなところでもあるのですが。
困ったことに、侮られやすい。つまりは、横暴な態度を取られやすいです。でもそれって、人間として…動物として?…すごく普通なことというか、合理的なことだと思います。危険の及ばなそうな相手の前で、気を緩めておく。もしかしたらそんな意図ではないのかもしれませんが。
私の態度がよくないのかな?と思ったのですが、仕事で出会った初対面の、一番最初の会話とかでもダメだったことが多いので、もう印象とか雰囲気の影響が大きいかなと思い始めた次第です。
そんなことを繰り返すうちに、学んだことがあります。
自分が悪くない時は、必要以上に傷つかなくていい。
心の中では、攻撃姿勢でいい。
この2つです。
私は基本的に好戦的な人間です。勝負事に燃えるタイプだし、負けたらとっても悔しい。
いろんな場面において、いろんな状況下において、自分が悪くないのに相手がすごく怒ってること、あると思います。
それはお互いの小さな勘違いのせいだったり、考えの違いのせいだったりすると思いますが、客観的に見ると叱られている方が悪くないことも多いと思います。
しかも、そういうタイミングをよく引いてしまう人も多い気がします。
そんなとき、あんまり気にしないでね、って声をかけて回ったりします。
もちろん、双方に非があったりする場合は別です。いわば、
これは理不尽に遭遇した時の考え方です。
あくまで、私個人の。
私は割と心が強めの人間なんじゃないかと思っています。強いというよりは、沸点が高いし、融点が低い。
あんまり低温の怒りで沸騰することもないし、心がつらくて溶けてしまう温度も、低め。
だから「気にしないでおこう」が割と気軽にできる人間です。
でも、そういう人ばっかりじゃないことももちろんわかっているし、それがいけないことだともまったく思っていないし、実際何かをぐっと言われたら、怖いし傷つきます。勢いや声色ってそれだけ強いものだと思っています。私もなんだかんだ、悲しくなってしまいます。矛盾するようですが、心は耳から入った情報を割と素直に受け止めてしまうと思います。自分は悪くないっていくらわかっていても。
だから、少なくとも頭にだけは言い聞かせる感じで、回復に努めます。
心と頭、片方が元気なら、なんとかなる気がするから。
いつの間にか話が脱線してしまいました。
私は、侮られやすい見た目をしています。
つまり、なんとなく理不尽な対応を取られやすい。impolite な感じといった方が私の意図に近いかもしれません。英語は苦手ですが、この単語はよく使います。なんかちょっと、礼に欠けた感じ。
そんな感じだとやっぱり悲しいので、常に心は戦うつもりでいます。もしそんな理不尽に遭遇したら。
原因を考えて、自分に心当たりがある時はしっかり反省する。ない時はもっと考えます。
どうして相手はそんな態度になっているのか。何を一番気にしているのか。何を目的にしているのか。
烈火の如く怒っている理由に、心当たりがなければないほど、相手の気にしている核心が曝け出されている気がします。
誰しもそうかもしれませんが、自分の弱いところや傷を隠すために、あえて直接的な言葉を使ったりする。
攻撃は最大の防御のパターンです。
多分私も、使うことがある手段です。怒鳴ったりはしませんが、触れられたくない話題にあえて自分から触れておいて、追及を避けるやり方です。それに、無意識のうちに選ぶ言葉に、核心に触れる語彙が含まれていることもあります。気にしてなければ、言葉としてなかなか咄嗟に出てこない。すごい怒りの中というのは、その咄嗟の状況だと思います。
もしかしたらこの人はこんなことを気にしているのかもしれない、という仮説がたてられると、意外と感じていた悲しみが消えたりします。
仮説の中に自分が関係なければ、なおさら。
宝くじに当たったようなものだった、ってわかるから。
道を歩いている時もそうです。
私のコースどりが下手なのかもしれませんが、向こうからやってくる相手に、避けてもらえないことが多いです。
「あんたが避ければいいじゃない」という話なのですが、あまりにも私が避けて当然でしょう?みたいな表情で見られてしまうと、ちょっと反抗心も湧いてしまうわけです。「ム」と。
一度、私の与える印象と表情の関係性について、考えて実験したことがありました。
道を歩いているときに、前方を睨む感じの表情を作ってみました。眉間に皺を寄せるのではなく、まっすぐ前をしっかり見つめる感じで。
すると、いつもよりもスムーズに歩けたのです。たまたまかと思ったのですが、何回試してもそんな感じがしました。
もしかしたらちょっとよろしくない表情をしていたので避けられていたのかもしれませんが。
わーいと喜んでいたのも束の間、家に帰って鏡を見て、自分の表情が鋭くなっていることに気がつきました。
歩いている時の癖で、引っ張られてしまっていたんですね。
それ以来、自分がタレ目がちであることを思い出すようにしています。ありのままの私の方が、なんだか好きだから。
ここまで書くことを、ちょっとためらっていました。
被害妄想なんじゃないか、気にしすぎなんじゃないか、って思うからです。
私が受け取ったことがすべてになってしまう、とても主観的な意見だからです。
きっと私にも原因があって、相手にも理由があって、のことなのだと思いますが、心のままに書いてみよう、というこのブログの趣旨に甘えてみました。
ここまで文句ばっかり言ってきましたが、私の見た目、何故か赤ちゃんにとってもウケがよいので、実はプラマイゼロだと思っています。