先日、わたしの世界には、
「愛してる」と言う言葉が根付いていないというお話を書きまして、
(「愛」について超どうでもいい考察(愛していると言ってくれ) - 日々片付)
それ以来、
なんとなーく「愛してる」が頭の中を巡っております
ねぇどうして〜すごくすごく好きなことただ伝えたいだけなのに〜ルルルルル〜
「愛してる」をわたしの世界に根付かせるには、
普段から言ってみるといいんじゃない?とふと思い、
「アイシテルアイシテルアイシテル・・・・」
とブツブツ呟いてましたら、
夫に、
「新しい呪文??」と
奇異の目で見られた、片月はるかです
イェーイ
皆さ〜ん、愛し合ってますか〜
まあ軽い気持ちで、
常日頃から思っている、
「世の中の(日本の)人は、愛してると日常使うのであろうか」
という、
リアルでは、聞くに聞けないお話を書いたのですが、
そこからブログの師behonestasmyself仙人様が、
ふかーい考察を書いて下さり、
(behonestasmayself様のブログで読めます)
私もそこからまた、
「愛してる」とはなんであろうか、
なぜに「愛してる」と言葉が根付いていないのであろうか、
などと考えてしまい、
愛の泥沼といいますか、
愛の世界の迷子になってしまったのです
先日の記事には、
愛してる使う方🙆のコメントも、
わたくしと同じく、「言えない〜🙅」族のコメントも、
どちらも頂きました。
ありがとうございました
「愛してる」と言わない、言えない族だからって、
「愛」のない世界に住んでいるわけでは、
もちろんないですよね。
むしろ、
わざわざ(嘘っぽい)言葉にしなくても、
ちゃんと通じあえる、
そんな穏やかな世界にいる(と信じていたい)
よく、テレビなんかで、
「奥様に愛してるって、ちゃんと言ってますか?
言葉にしなきゃダメですよ〜!」
なーんてコメンテーターが言ってたりしますが、
我々根付いてない族は、
そんなこと言われた日にゃ、
「キモ!なんやのん?」
と怒り出すやもしれません。
先日の記事で、
恐らくは都市伝説であろう、
夏目漱石が「I LOVE YOU」を、
「月がきれいですね」と訳したというお話を書きましたが、
もしも私なら、
やっぱり「愛してる」とか「好きです」とは訳さない。
「あなたをとても大切に思っている」とか、
「ずっと一緒にいたいです」とか。
月になぞらえるとするなら、
「来年もその次も、一緒に同じ月を見たいです」とか。
ではなんでしょうか。
「愛してる」とは直接的で、
日本人にはなじまない、深みのない言葉というのでしょうか。
もちろんそれもちょっと違いますよね。
ちゃーんと「愛してる」使ってる、
「愛してる」根付いた世界の住人もいらっしゃるのですから。
「愛してる」はっきり言葉にして、
思いを伝える世界。
それは多分、きらきらの太陽が輝いて、
明るい世界。
「愛してる」なんて言わないけれど、
言えない、言わない思いを大事にする世界。
そこはきっと、穏やかな日差しがあたたかく、
静かな心地よさ。
どちらの世界も良くて、
どちらを選んでも、
きっといいのだと思います。
(二人の場合なら、世界が一致してる方がいいでしょうけれど)
(でもこのお話は、別に男女とかに限った話というのではないのです)
でもね。。。
わたしったら、ふと思ってしまったんですよ。
「愛してる根付いた明るい世界」って見てみたいじゃん??
だって、わたし今までずっと、
「根付いてない穏やかな世界」見てきたし
これはまあ、
いつもの?「ブログ書けない絶望の世界」を見たい好奇心と、
多分同じですね。
そんなわけで、
「愛してる」いつでも飛び出せるように、
ブツブツ呪文のように準備してる私でした。
(冗談のように、夫に言ってみようとしたけれど、
口だけが金縛りにあったごとく、
カッチンカッチンに固まってしまいました
ゾワゾワする気持ちが抑えられませんでした)
ヘレン・ケラーが、
水に触れて、
水がリアリティを持って、彼女の世界に飛び込んできて、
「water!」と叫んだ日のように、
ある日わたしに、
リアリティを持って
「愛してる!」がやってきて、
「愛してる!」全力で叫ぶ日が来るのでしょうか。
わたしの愛のためらいは続く・・・
(いえ、お話は続きませんけど)
まあ、それまでここでも練習しておきましょ。
今日もこのブログを読んでくださった、
お優しい皆様、愛してます(照)
今日は愛について考えすぎたのか(多分違う)
頭痛がひどいので、
お片付けは休みます
新聞は読もうかな?
こちらでもようやく金木犀が香り出しました。
写真は、
「えっと、あれ?
今年まだ咲いてないんだっけ??」
そんな金木犀たちです